〈再び矢が迸る日に〉

第19話

 ————雲嵐を追った小鷹の後を、何故あれほど影衛隊が追えたのか?

 

 彼らには、ある決まりがある。

 それは標的や皇帝を見失わない様に水に染料の材料となる元を入れ着色して、それを道すがら溢すことである。


 いつも常備している飲み水の容器には蓋の所が工夫されており、下に返せば少量ずつ水滴が溢れるようになっていた。

 そのお陰で影衛隊は皇帝の後を追えたのだ。

 ちなみにそれの発案者は小鷹で影衛隊の一番隊・副隊長である。

 特に素早く追尾能力が優れているのも、その役に抜擢された理由の一つ。

 それでもその小鷹さえも雲嵐は時々上手に撒いてしまうのだが。



 


 ・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・



 あの後、馬を引いてきた他の数人の影衛隊は雲嵐の護衛として付き添っていた。

 残り二番隊、三番隊は雷浩宇の行方を追っている。

 随時報告が入るだろう。


 何事もなかったかのように馬に乗る雲嵐を、小鷹は遠目に眺めた。

 それから後方にいる、他の隊員の馬に同乗している明らかに様子の変な雪花にも、ちらりと目を遣った。


 ああ、どうしたものか————。

 先程のあれが見間違いでなければ陛下は雪花を…ということになる。


 これは実は凄い事なのだ。

 

 そもそも陛下が恋愛に溺れている暇などなかった。

 敵は何も雷浩宇だけではないのだ。


 不穏な動きをする現皇太后・由麗麗ヨウ・レイレイや丞相の金劉帆ジン・リュウホなどにも目を光らせて置かなければならず、一時たりとも気が休まる日はなかっただろう。


 後宮には煌びやかで妖艶で、いくらでも誘惑を囁く側室たちが居るのに、陛下はそのどれにも反応しなかった。

 一年前に雪玲妃の陰謀から陛下を救ったという貴妃、静芳様にさえも。


 いや、まあ俺は憂炎様と違って静芳様はあまり好きじゃない。

 遠目にしか拝見できないが、あの方の吊り上がった目や、きつそうな唇はいつ見ても狡猾そうに見えてしまう。失礼かもしれないけれど。

 

 陛下は静芳様を寵愛しているというが、本当にそうか?


 寵愛とは、何も形式や言葉だけじゃないはずだ。


 例えばこの件の陛下のように————。


 雪花が戻らないと知るなり衣服さえ乱れたまま馬を走らせ、雷浩宇に良いようにされていた雪花を奪い返すというあの行動。

 また、奪い返した後も肩を抱き片時も離さずにいた。

 まるで雪花が自分のものであるかのように。

 雪花を熱のある瞳で見つめ、そして…

 

 正直堪らない。

 あの日偉担のイカれた虐殺から逃れた俺たちの前に現れた、謎の少年。

 何事にも動じず冷淡とし、人間ですらなかった俺たちに「忠誠を誓え」と手を差し出した。


 ———生きる道を陛下から貰った。

 

 後から知ったが、偉担は法に基づき死にはしないが刑罰を受けたらしい。

 その偉担の親である粗灘は15歳以下の少年、少女らの奴婢を良識のある貴族に譲渡することになり、またそれ以上奴婢を買うことを禁止されたという。

 

 それから19歳で即位した陛下がまず一番初めに行った改革は「奴隷制度」の廃止だった。

 あの方は歴代皇帝がしなかったそれをやってのけたのだ。

 

 この恩はまだ返し切れていない。

 いつも淡々としていて、太子時代から突然ふらりといなくなり、未だに何考えてるかさっぱり分からない陛下にもついに遅い春が…


 そう思うと、小鷹は何故だか自分の事のように堪らなく嬉しかった。


 幼い頃は確かに大切にしていた雪玲妃の裏切りに合い、益々側室を避けているとばかり。

 その陛下がまた人を…することができたのが感無量に思えた。


 それにまだ若干の疑いは残るものの、雪花は一度陛下の危機を救っている。

 それを思えば雪花が陛下に害を成すものだとは、もう思えないということだ。


 「うわあ…。いっそ空虎に話してしまいたいけど、やっぱりこれだけは駄目だよねえ。

 陛下のお気持ちが定まるまでは…ね。」


 「小鷹様何か言いましたか?」


 他の影衛隊がにやにやと怪しく笑う小鷹を見て、不思議そうに声をかけた。

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