第10話

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 ———朱国後宮で生まれた四代目皇帝。

 任冬雹レンドンバオは戦狂だった。

 早々に親を隠居させて皇帝の座に就いてからは、手当たり次第軍を率いて隣国に攻め入った。

 

 何年もそんな血生臭い戦を繰り返した冬のある日。

 攻め滅ぼした鷲国の姫、まだ幼い氷水ビンスイを冬雹は奴隷として自国に連れ帰る。

 しかも冬雹は余興として氷水をそのまま側室とし、純潔を奪った。

 しかしそのたった一度きりで氷水は妊娠してしまう。

 当時まだ後継者のいなかった冬雹は、自分を恨む氷水を寵愛してその子をこの国の太子とした。


 それが任雲嵐、現皇帝である。

 

 自分の国を滅ぼし辱め、無理やり自分を皇后に押し上げた男を憎む氷水は、そんな男の子供も心底憎んだ。


 「産みたくなんてなかったのに。

 ———何で生まれてきたのよ?

 雲嵐よ。

 お前なんか生まれなければ良かったのに。

 ———死ねばいいのに。

 あの男も。お前も。」


 …いつも母がくれるのは恨みの言葉。

 冷酷な瞳。

 呪詛。

 愛されてはいない。…いけない。

 そんな酷いことをした父の息子は、母に愛される資格はないのだ。


 幼い頃から自分を恨む氷水に恨み言を吐かれ続けた雲嵐は、自分の気持ちを曝け出せない子に育ってしまった。


 そのうち氷水に飽きた父親の冬雹も、他の多くの側室らに夢中になり、雲嵐に対して太子としての寵はあっても息子としての情などとうに捨て去っていた。

 

 いつも愛情に飢えていて居場所が欲しかった雲嵐は、当時、軍備で度々宮廷を訪れていた大尉府の武泰然に懐くようになり、彼に会いに宮廷に行くようになった。

 

 泰然は軍事の調整や人員の増員といった業務を主にしていて、その度に大将軍や武将に関する話を聞かせてくれた。

 自分の知らない強い武将たちの逸話や武勇伝を聞くたびに雲嵐は目を輝かせた。

 それを聞くだけで心が躍り、寂しさを忘れる事ができた。

 そんな泰然に娘だと自慢げに紹介されたのが雪玲だった。


 ———雪のように白く透き通る肌。

 紅潮した頬。

 大きく開いた目。栗色をした瞳。

 小さな唇。

 艶やかな結った黒髪。

 名は体を表すというが本当に雪のように、

可憐に鳴る鈴のように清楚で美しい娘。

 

 「はじめまして。お兄ちゃんはなんていう名前なの?」


 自分より2歳年下の武雪玲はそう問いながら曇りのない素直な瞳で、笑いかけてくる。


 「僕は雲嵐だ。…雲嵐と呼んで。」


 「うんらん?…分かったわ。

 私は雪玲。武雪玲。宜しくね、うんらん。」


 宮廷では誰もが雲嵐を太子様と呼ぶ。

 母から憎まれ、父から情を貰えなくなった哀れな太子。

 その子に名前を呼ばれたその瞬間、ようやく自分の名前が雲嵐だったことを思い出した。


 それからは度々武家に訪問し、雪玲と頻繁に遊ぶようになる。


 その頃は雲嵐自身にも次々と半分血の繋がっている妹達ができたが、側室達によく思われていない雲嵐は、そのうちの誰も可愛いとは思えずにいた。 


 誰にも心を開けない。

 そんな雲嵐にとって、血の繋がりがなくても雪玲だけは特別だった。

 

 

 まだ幼いゆえに雲嵐のことをそこまで高貴だと思っていない雪玲は、ただ純粋に本当の兄のように雲嵐に懐いてくれていた。

 それがまた妹達以上に可愛かったのだ。



 ——雪玲と出会ってから、少しずつ雲嵐の心は軽やかになっていった。

 そんな気持ちを知り始めた、青い花が咲き乱れる、ある春の日のことだった。



 「…死んで!雲嵐、死んでよ!

 お前なんかこの国の皇帝にはさせない!

 この母と一緒に滅びるのよ…!!」



 長く恨みを募らせた氷水はついに我が子に手に掛けた。

 雲嵐は実の母に首を絞められ殺されそうになったのだ。

 その現場を辛うじて内官らに発見されて事なきを得たが、雲嵐自身は心に深く傷を負う。


 しかも、女以外に子供ができない皇帝は唯一の太子である雲嵐を殺そうとした氷水を廃后し、すぐさま処刑したのである。


 実の母親に殺され掛け、そしてその母が斬首されて死んだその日。


 誰かに愛してもらう事など幻想なのだと絶望し、抜け殻のようになった雲嵐を——小さい体で力強く抱きしめてくれたのは。


 「…雲嵐?どうしたの?…悲しい?

 …泣かないで。

 私がいるわ。私がずっと側にいてあげる。

 泣かないでいられるように、ずっとあなたを守ってあげるわ。」


 「…雪…玲…ふっ…ううっ…」


 誰よりも小さいはずのその人は、誰よりも温かく、壊れそうな雲嵐の心ごと掬い上げてくれた。

 そんな雪玲に両腕を回し、必死にしがみついた雲嵐は、堰が切れたように啜り泣いた————。

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