火藍降矢の章

第8話

 どくどくどく…と激しく鼓動が鳴っている。

 

 なぜこんな事に—————————?

 

 潜伏していると噂されている雷浩宇の征伐に訪れた、県の外れの廃れた天幕に雲嵐と二人きり。


 「…雪花。」


 「はい。…陛下。」


 何年ぶりだろうか?

 こんなに近くであの頃と変わらない澄んだ呂色の瞳と視線を交えたのは………



 

 ことの始まりを思い起こせば数日前。


 あの、朱城に奇襲を仕掛けた雷浩宇の行方を一年も追っているという雲嵐は、隣国手前の北の県にある火藍カランという小さな町にその者が潜伏しているという情報を聞きつけて、たった一つの軍と影衛隊だけで征伐に赴いた。

 

 それを聞いた時に皇帝自ら出向くこと!?

 と思ったが、雲嵐は周りが止めるのも聞かなかったという。

 そうまでして朱城に奇襲を掛けて自分の首を狙った雷浩宇を憎んでいるのか。

 自らが出向くほど雲嵐にはきっと宿敵なのだろう。


 その出征を不満げに聞いていたのだが、憂炎が私以上に不満げに私を見下ろしながら言った。


 「…雪花。お前も来いと陛下が仰った。

 チッ!手早く準備するように。」


 あの憂炎の舌打ちにはもう慣れてしまった、などと悠長に考えている場合では無かった。

 たかが一近衛兵が準備するものなど限られているが、急いで出征の準備を整えて雲嵐や隊員らと朱城を旅立つ。

 

 しかし困ったことに。

 日も落ちかけて途中に陣を構えて野営をすることになったのだが。

 二日ほど風呂に入れなかった雲嵐は近くにある湖で身体を洗いたいと、たった二人の影衛隊だけを連れて出て行ったらしい。

 

 …何してるの雲嵐!

 

 僅かな護衛しか付けずに土地勘のない場所を歩き回るなんてと、私は誰にも知られず一人ひしひしと怒る。

 

 まったく!朱国皇帝の自覚はあるの!?

 

 同じ隊の仲間にこの怒りをぶつけられるはずもなく、だが一向に怒りは収まらない。

 結局雲嵐が心配すぎる私は、自分のいる天幕からこっそり抜け出してしまう。

 やっぱり転生しても雲嵐を大好きなのは変わらなかった。


 まさに犬のように足跡を頼りに後を追うと、雲嵐に付いていた影衛隊の二人に出くわした。

 だけどそこに雲嵐の姿はなく。

 蒼白な顔をして狼狽える彼らは、目の前から皇帝がいなくなったとおろおろするばかりだった。


 一先ず私がこの辺りを探すので一度陣に戻り憂炎様や他の影衛隊で捜索するようにと彼らに託す。

 それから一人で薄暗い森の中を突き進むように歩いた。

 不思議なことに、そのうち森の様様々な場所から雲嵐の匂いがすることに気がついた。


 まるで獣のように、私は雲嵐のその匂いを辿った。

 

 なぜこんなにも雲嵐の匂いだけでその行先が分かるのか。

 預かった照明でいくら照らしてるとは言え、なぜこんな闇夜の森の中を、障害物を避けながら歩き回れるほどの視力があるのか。

 それだけでなく…周りに潜む獰猛どうもうな獣を威嚇し寄せつけないのか。

 考えてもきっと何も分からないが、それでも雲嵐を誰よりも早く探し出せる自信はあった。

 

 

 唸り声を聞きつけ、窪んだ草の根の中を除き込む。

 そこに差し込むように照明をかざすと。


 「…雪…花か?」


 「陛下?はい。雪花です。」


 どこかほっとしたように頬を緩め、雲嵐は暗闇で足を滑らせて滑落したと気まずそうに呟いた。

 

 見つかった、良かったー…!

 

 もう、本当に心配させないでよ、雲嵐!

 こっちはちっとも生きてる心地がしなかったのよ、分かってるの?

 

 無事に雲嵐を見つけて安堵はしたが、どちらかと言えば歯痒い気持ちの方が上回っていた私の顔は、それは見事に引き攣っていたと思う。

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