第7話

 無邪気な記憶喪失の女を演じる雪花を、空虎は心底疑いの眼差しで見つめる。

 颯爽と隊の連中に溶け込んだそれはあまりに不自然な存在。

 それから暫くして憂炎が彼女と共に訓練場を去った後、空虎は小鷹の側に近付いて耳打ちした。


 「小鷹。お前わざと教えただろう。」


 「ふふ。怪しいから教えたんだよ。」


 「…だろうな。一年前に陛下の傍にいた数人の兵と内官は、その場で遺体になっていたんだ。

 その事を知る者は限られている。少なくとも憂炎様が口を滑らせるはずがない。

 …なぜあいつが知っている?」


 雪花が去って行った方角を空虎が訝しがって見つめていると、小鷹が一笑した。


 「…さあ。怪しくて面白い。あの娘が陛下にとって善となるか悪となるか。

 俺らで監視しようじゃないか。」


 皇帝を守るための影衛隊。

 そこに唐突に所属となった身体能力が化け物染みた怪しい小娘。

 一般の民には到底知り得ない情報を知っていた。

 それだけで十分怪しい。

 偉大なる皇帝の存在を脅かすものなら容赦はしない。

 この時二人が同時に同じような考えに至っていた事など、雪花は知る由もなかった。





 ・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・

 


 林杏の行方がずっと気になっていた。


 あれから流石に化け物染みていても一応女だからと、隊舎とは別の使われなくなった旧舎に一人だけ住まわせてもらう事になった。

 これなら自由に動き回ることができるだろう。

 

 荷物は元々なかったので何も片付ける必要がない。

 支給された鉄紺色の服を着て、男たちと同じように帯を絞め、雪玲の時より少し短い髪を結った。


 こんな時に不謹慎だが側室でいた時よりこの方がずっと面白い。

 女だからとか妃だからとか立ち振る舞いや周囲の目を気にする必要もない。

 言葉遣いもずっと自由だ。

 

 しかも、皇帝直属の親衛隊なら誰より雲嵐を傍で守ることも可能だ。

 もしかしてこれが転生させられた意味?なんて。

 

 そんな事を一人考えながら私はこっそり旧舎を抜け出す。




 今も林杏がいるとするなら後宮だけど、罪を着せられている雪玲の侍女だったことで何か被害をこうむった可能性もある。

 

 勝手知ったる後宮への抜け道を衛兵の目を誤魔化しながら通り抜けていく。

 この支給された制服のお陰でそれ程警戒もされてない様だ。

 

 それにしてもこの身体は本当に何て身軽なんだろう。

 

 この広大な城を疲れも知らずこれほど早く駆け回れるとは。

 


 そんな事を考えていると東側に位置する外廷への出入り口、左東門の前に差し掛かる。


 「何やってんのよ!鈍臭いわね!

 本当に使えない女だわ!」


 「痛っ…」

 

 誰かの罵声とそれに苦痛を訴える声。

 この方向は尚食局ショウショクキョクの方だ。(※食事や医療品等を管理する部署)

 何やら宮女同士がいさかい合っている。

 見張りの兵士に見つからないように隠れつつ中を覗き見た。

 

 「あんたあの悪女の雪玲妃に仕えていたくらいだものねえ。

 陛下に首を切られなかっただけでもマシと思いなさいよ!」


 あそこで虐げられてるのは…林杏?

 

 間違いない。

 あの日雲嵐を探しに行ってしまった私と城内で離れてしまった林杏だ。

 

 「あなたたち!何やってるの?」

 

 表立った行動は控えるべきと分かっていても身を乗り出し思わず叫んでしまう。

 当然、その場にいた宮女たちが驚いた顔をして、一斉にこちらを見た。

 その中の、吊り目の性格のキツそうな宮女がすかさず噛みついてくる。


 「はあ?あなたこそ誰よ?

 …その格好文官?

 信じられない、女の文官なんていたの?

 聞いた事ないわ!」



 

 あ…これ文官服なんだ。

 では普段「影衛隊」は文官として過ごしてるということ?(※内政関係の職に就く人のこと)

 なら皇帝の親衛隊である事は秘密か、表立って公表してないって事だろうか。

 だとすれば私が憂炎を見た事がないのも頷ける気がする。

 皇帝や内官以外に武官や文官職にある男性が、後宮を自由に出入りすることはできないからだ。

 

 「…雪…玲…さま?」

 

 なぜか傷だらけでいる林杏は、私を見上げてぼそっと呟いた。

 

 そうか。顔は似ているものね。

 けれど今は自分が雪玲だということを明かすべきじゃない。

 それにしても以前はあんなにふくよかだったのにすっかり痩せて。

 

 やっぱり雪玲の侍女だったからなの?


 「あなた達どの宮の者?

 宮廷内でいさかいを起こせば罰せられるのを知らないの?」


 地面に跪いた林杏に駆け寄りながら、意地の悪そうな宮女たちを睨み付ける。


 「う…うるさいわね!ただの文官もどきのくせに」


 「…もう行こう!言い付けられたら後々面倒だわ!」

 

 本当に上に告げ口されるかも知れないと思ったのか、結局吊り目の宮女を含め、その場にいた宮女たちは全員あっさりと去って行った。



 これ以上面倒ごとにならなくて、こちらとしてもホッとする。

 それから私はしゃがみ込んでいた林杏の顔を覗き込んだ。


 「…大丈夫?

 何か酷いことでもされたの?」


 「…いえ…あの。

 そう…ですよね。雪玲様のはずがないですよね。

 うっ………

 ううーっ!雪玲さまああ………!」


 うるうるとした瞳で私を見上げた林杏は、やがて私の腕にもたれかかり、そのまま幼子ように大泣きしてしまった———。

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