第1話

 実のところ、私と雲嵐の出会いはわずか6歳の頃まで遡る。

 その頃すでに太子として朱国の時期皇帝の座が決まっていた雲嵐は、中央官の三公で、大尉の官職を担っていた父に懐いており、都にある我が家にもよく遊びに来ていた。

 

 私には下に3人の妹達がいたが、男の兄弟は一人もおらず、そんな私にとって2歳年上の雲嵐は当時優しい兄のような存在だった。

 

 ある日、武家の庭をいつものように雲嵐と追いかけごっこをして走り回っていたところ、私がうっかり転倒して膝を擦りむき、大泣きしてしまったことがあった。

 その時雲嵐は、躊躇いもなく自身の綺麗な服の袖を当てて止血してくれた。

 さすがの私も雲嵐が高貴な身分だと分かっていたので大慌てする。


 「雲嵐、綺麗な服が汚れてしまうわ。」


 「大丈夫だよ雪玲。君の涙と血が止まれば服なんて大したことない。」


 「雲嵐あなたって、本当に優しいのね。」


 「雪玲だって優しいよ。…ずっと変わらないでいてくれるかい?」


 「もちろんよ!私はずっと変わらないわ。」


 「…ふふ。なら嬉しいな。」


 そう言って雲嵐は、澄み切った呂色ろいろの瞳を細めて笑った。

 単純な話だが幼心に私はこれですとん、と恋に落ちてしまったのだ。

 あの頃より月日が流れ———。


 すっかり変わりすぎだ。

 私も、雲嵐も。

 幼い頃は呼んでいた名前すら呼ぶことのできない、今は遠い存在である雲嵐。

 賢帝けんていと呼ばれる若皇帝。

 好きな気持ちはこの胸の中に収めたまま。

 いつか誰かと結ばれる、彼の幸せを心から祈っている。



 —————しかしそんな私の思いとは裏腹に、19歳で皇帝に即位した雲嵐の治世に、戦争の二文字が止む事はなかった。


 北部では、以前朱国に攻め入ろうとして戦に敗れた雷浩宇レイ・ハオユーと呼ばれる豪族の族長が、兵を再集結させていると言われていた。

 そのため朱国では、近いうちに戦になるのではないかという噂が流れている。

 軍の最高責任者である私の父も、この頃は慌ただしく宮廷を出入りするようになっていた。

 そうして、普段あまり会話することのない、父親の武泰然ウー・タイランと接触する機会があった。

 昔から父の影響で雪玲が軍事に詳しく、興味があったせいかもしれない。

 その父は深刻そうな顔をして言った。


 「雪玲よ。

 ここだけの話だが、噂では貴妃である静芳ジンファン様が、豪族の雷浩宇と裏で手を組んで、朱国への謀反を目論んでいると言われている。」


 「…静芳様が?

 朱国の貴妃である彼女が、豪族の雷浩宇と一体どのような関係があるというのですか?」


 「事実は伏せられているが、雷浩宇と静芳様はどうやら遠い外戚のようだ。

 静芳様は意外と欲深い。

 自分の得だと思う方に耳を傾ける傾向があるお方だから、何か上手い話に乗せられているのかもしれん。

 お前も十分気をつけて見ていておくれ…

 陛下のこともしっかりお守りするのだぞ。」

 

 意外なことに父は雲嵐を守れという。

 己の野心のためだけに、私を後宮に放り込んだとばかり思っていたのに。

 

 

 そんな父の言葉を真摯しんしに聞き入れながら、もし本当に雲嵐に何か危険が迫っているのなら、その時は命令などなくても、例え雲嵐に嫌われていても、私は喜んで命をお守りすると考えていた。






 ———その直後、父の危惧していた通りに朱国を覆う暗雲が訪れてしまう。

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