雪玲死戻の章

第1話

 沢山いる側室のうちの一人。

 それが私、雪玲シューリンという人間を言い表している。

 

 加えて私は陛下と、とても仲が悪い。

 今日も。今日とて。

 不機嫌な二人が目を合わせれば、たちまち後宮に血の雨が降り注ぎそうだった。


 「雪玲妃シューリンヒ


 「——陛下。」


 シュ国皇帝、レン雲嵐ウンランは苦い薬を飲んだ時のようにしかめ面をした。

 ただ単に二人は後宮内ですれ違っただけなのに、である。

 

 目の前で立ち止まった雲嵐は、皇帝だけが着る赤の煌びやかな外衣を身に纏い、彩豊かな冕冠べんかんを頭上に乗せ、飾りの玉を揺らしていた。

 結った艶やかな黒髪が、その整った顔立ちをより一層際立たせている。


 相変わらず見目麗しくて、非の打ち所もなくて、今日も不機嫌そうに私を睨みつけてくる。

 しかし私だって負けてはいない。

 貴妃の次の階級である「」の称号を持つ私もまた、仇でも見るような目で睨み返した。


 そんな状況を板挟みとなって見ていた雲嵐の側近や私の侍女らがたちまち、

『今日こそは雪玲妃の首が飛ぶのではないか』と顔を真っ青にするのだった。

 

 「ふ…今日も相変わらずたいそう可笑おかしな顔をしているな。」


 「陛下こそ。臭い虫を庭先で踏み潰したような顔をしていますわね。オホホ。」


 二人の間に他人には見えない激しい火花が飛び散る。


 「…ふん!雪玲妃よ、今日こそは大人しくしておくのだ!」


 怒ったように吐き捨てて、雲嵐は側近たちを引き連れて不満げに宮を立ち去っていく。

 それを見て、私はにやりと口元を綻ばせた。



 ……よしよし。今日も順調に嫌われているわね。

 

 

 現在、この後宮には何と40人もの側室がいる。


 それも「貴妃きひ」1人、「」4人、「ひん」8人、「貴人きじん」27人という、それぞれ称号を持つ女性達が。


 それだけ聞けば雲嵐のことを、女狂いの前の皇帝と同じか、と思うかもしれない。

 しかし実はこれだけの側室を、彼が自ら選んだわけではなかった。


 宮廷には権力が好きな諸公らがいて、欲深い彼らはさらなる権力を得ようと、次々と自分たちにとって都合のいい側室たちを押し進めた。

 その結果、後宮でこの人数の側室たちが暮らすことになったのだ。

 

 しかし雲嵐には、未だ唯一の正室となる皇后はいない。

 それどころか雲嵐はこれだけの側室がいるにも関わらず、誰一人床入りしたことがない、

「不能の皇帝」と噂されていた。

 それはもちろん私も例外ではなく。


 雲嵐とは、顔を合わせれば必ずと言っていいほどいがみ合い、ケンカばかりしている私。

 

 が……あれだけ仲の悪い雲嵐を実は———

 私は大好きなのである。



 「はあ〜。今日もかっこよかったなあ〜!」



 

 宮に帰るなり私は溜めていたものを思い切り吐き出すように叫んだ。


 私と目が合った時のあの渋そうな顔。

 嫌味を言う仕草。声。

 罵る態度。

 正直たまらないです、陛下。


 ———ではなぜそんな態度を取るのかって?


 うちは代々、軍事の最高責任者となる大尉たいいの家系である。

 つまり権力欲の強い父がこの後宮に私を送り込んだのだ。

 加えて雲嵐と私は幼なじみだった。


 そんな父のせいで、雲嵐は私を権力欲しさに妃になったのだと思っている。

 だから私に冷たくなった雲嵐に可愛い気のない態度を取るしかなかったのだ。

 

 そうして必死で雲嵐に悪ぶった態度を取り続けていたら、いつの間にか後宮では皇帝に食ってかかる性格の悪い『悪女』と呼ばれるようになってしまった。

 

 まあ、それは別にいい。

 雲嵐に嫌われていることも自覚している。

 本来なら側室ごときが、天帝てんてい御使みつかいとされる雲嵐にこれほど嫌味を言い返しているにも関わらず、何の罰も受けず、今だに後宮から追い出されないのが不思議だけれど。

 



 私の侍女である林杏リンシンは雪玲の住む宮の中でお茶を準備しながらうーん、と唸っていた。

 

 「雪玲様は本当は陛下を好きなのに、どうしてあのような態度を取るのですか?」


 林杏はこの後宮に来てから雲嵐に任命された私の侍女である。

 実家は裕福な地方貴族で見た目は小さく愛らしく、ふくよかで、まるで妹のような存在だ。


 「んー…どうして。そうね。

 きっと好きだからそうするのよ。

 権力欲しさに雲嵐…陛下の妃になったんだと思われたくないから。」


 「そんなの意味が分かりませんよ。

 好きならもっとしおらしく、お可愛らしくなさって、陛下が他の側室たちに目もくれない、寵愛を受けるようになされば良いのにっ。」


 ぷりぷりと怒る様子は愛らしさが入り混じった幼い少女の様だった。


 「ふふ。林杏は可愛いわね。

 寵愛か…きっと私にはそういうのはできないんだわ。

 権力欲しさに陛下に甘えてるとか思われただけで、ぞっとするの。

 他の側室たちと同じ様な目で見られるくらいならいっそ嫌われて後宮から追い出された方がマシなのよ。…分かる?」


 「分かりません…!

 第一後宮から追い出されたら、陛下とはもう二度と会う事ができないかもしれないのですよ?

 それくらい尊いお方なのですから。」


 そう言ってしくしく啜り泣く林杏にやれやれと私は溜息を吐いた。 

 

 

 ———その尊い雲嵐には現在、私を含めた40人もの側室がいるが、権力を欲する諸公たちがいる限り今後はさらに増えることが予想される。

 

 今は皇后もおらず、寵愛している側室もいないという現状だが、いつかは雲嵐も誰かを寵愛し、誰かと子を作るだろう。

 しかも側室が増える毎に寵愛する者の数も増えていくに違いない。

 歴代の皇帝がそうだったように。

 

 大勢の側室たちと寵を競い合い、揉まれ、謀られ、病み、争いに敗北すれば後には惨めな人生が待っている。

 そんな恐ろしいことが起きないとは限らない後宮で雲嵐の寵愛を得ることなど夢のまた夢。

 どうせ今の時点で嫌われているのだからさっさと諦めて、雲嵐から離婚を告げられる方が気が楽なのだ。

 ただし一度皇帝の側室になった女が離婚できるかどうかは分からないけれど。



 「うう…っ。だけど今ならまだ大丈夫です。

 雪玲様。

 だって陛下は…《ふ・の・う》ですから。

 今のところ。

 だから今はまだ雪玲様だって機会チャンスがありますわ!」


  恥ずかしそうに言葉を濁しながら叫ぶ林杏。


 ———そう言えば雲嵐てば、まだ22歳という若さで本当に不能なんだろうか?


 なんて。彼に嫌われている私には死んでも関係ない話だけど。

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