復讐のための回帰

 第2皇女であるエリスはキリクスと同じだった。

 エリスもまた身分の低い側室の子供であり、皇宮では虐げられていると噂に聞いたことがある。

 なぜ同じ皇族なのに、第1皇女とは違い、こうも酷い扱いを受けなければならないのだろう。

 キリクスはエリスを自分に重ね、胸を痛めた。



 「…隣、座っても?」



 「………」



 返事はない。

 しかしそのまま放っておくこともできず、キリクスは許可されなくともエリスの側に座った。



 外の風は冷えてきている。

 ふと隣を見ると、エリスはその華奢な体を震わせていた。

 徐にキリクスは自分の着ていた上着を脱ぎ、エリスの肩にかけた。

 さほど高価な服ではないが、寒さは凌げるだろう。



 「あっ、そんな……悪いですわ。」


 

 エリスは困惑し、すぐにそれを返そうと身を捩る。

 だがキリクスは首を横に振った。



 「エリス様。その。

 ……もし良かったら傷を見せて貰えませんか?」



 ふいに顔を上げたエリスの頬に、キリクスは自然と手を這わせた。

 本来皇女という立場のエリスに直接手を触れるのは不敬だが、不思議と躊躇いはなかった。

 エリスは一瞬驚いて肩を跳ね上げた。

 が、キリクスが魔力を使っているのを察すると、子供のように大人しくなる。



 キリクスが持つのは風の魔力だ。



 風を操る他に癒しの効果などもある。

 その場でふわりと、爽やかな緑色をした風が舞う。

 キリクスがしばらく魔力を当てて回復を試みると、やがてエリスの頬から赤みがひいていった。

 彼女から透明感のある色白い肌が姿を現した。



 「あ……キリクス様は、風の魔力をお使いになられるのですね。」



 驚いたように、エリスが口を開いた。

 静寂の中で鳴る鈴の音色のように、心地良い声色だった。



 「君も魔力を?」



 「…ええ。少しだけ。」



 その瞬間、どこか得意げにエリスは微笑んだ。

 それを見たキリクスは、なぜか心臓をぐっと掴まれたような気持ちになる。



 「…君が皇宮で虐められていると、噂を聞いたことがあります。

 第1皇女であるユースティティア様は君を守ってはくれないのですか…?」



 「………」



 その質問に、エリスからの返事はなかった。

 しかし辛そうに唇を噛み締めるのを見て、第1皇女が彼女を助ける存在ではないことを確信した。

 実はエリスを率先して虐めているのが、姉のユースティティア皇女だと聞いたことがあったからだ。



 確かにキリクスも皇后から虐げられていたが、キリクスには優しい兄のアドニスがいた。

 だからどんな苦痛にも耐えられた。

 だが、エリスは自分とは違う気がした。


 

 (エリスには守ってくれる人が、いないのかもしれない)




 「知っていると思うけど、俺も貴方と同じです。側室の子だからと、皇后にはさんざん虐められてきました。」



 普段のキリクスなら、他人を信用してプライベートなことを話すなどしない。

 だが、キリクスはエリスにだけは自分のことをどうしても知って欲しくなった。

 


 目線を落とし、キリクスは自分の着ていたシャツの袖を捲り上げた。

 現れた左腕には、つい最近皇后に杖で叩かれた青痣が残っていた。



 「…!ひどいですわ。」



 「側室の子なんてものは、皇后にとっては邪魔者でしかないのですよ。」



 もう慣れていますからと、キリクスは苦笑いする。

 だがエリスは眉を潜ませ、今にも泣きそうな目をした。



 (どうしてそんな悲しそうな目を……辛いのは君も同じだろう)



 キリクスがそう思っていると、エリスが躊躇いがちにキリクスの腕に触れた。

 やがて隣で、ぼそぼそと詠唱を始めた。



 「エリス…様?」



 エリスが詠唱すると、キリクスの先ほど見せた腕の痣部分が、温かい光に包み込まれていた。



 (これは……)



 (……ああ、温かい)



 (彼女の魔力は光属性なんだ)



 しばらくして、エリスが手を離した。

 見るとキリクスの腕の青痣が綺麗に消え去り、引き攣った痛みもなくなっていた。


 滑らかになった腕を見て、キリクスは思わず微笑んでいた。



 「ありがとうございます!エリス様。」



 「……いえ、私は………」



 「?」



 何かを言いかけてエリスは声を詰まらせた。

 キリクスは続きを待ったけど、エリスは下唇を強く噛んだまま、何も言わなかった。

 そういう時は無理に聞かない方がいいのだろう。

 


 見上げれば満点の星空が広がっている。

 キリクス達が座っている場所のすぐ近くには、この国でしか育たないと言われているハウオリの逞しい樹木があって、生い茂った葉を静かに揺らしていた。

 キリクスは初めて人に魔力で癒して貰ったことを嬉しく思った。



 「…今までは傷を癒しても、またすぐに皇后に新しい傷を作られてしまうから、面倒臭くてずっとそのままにしていたけど。

 誰かにこうやって傷を癒してもらうのも、悪くないですね。エリス様。」



 「!…ええ。本当にそうですわね。

 誰かに傷を癒してもらうなんて、思いつきもしませんでしたわ。」



 キリクスがどうにか感謝を伝えたくて言葉を紡ぎ出すと、エリスはそれに笑顔で応えてくれた。

 その顔になぜかキリクスの胸が騒いだ。



 (参ったな)


 

 (エリス様はこんなに……可愛らしい顔もできるのか)



 エリスは皇宮で虐げられて辛い思いをしているはずなのに、笑顔が眩しかった。



 それに光属性の魔力は、純粋で心の美しい者にしか発現しないと言われている。



 初めての顔合わせの時は少ししか話ができなかったのに、この僅かな時間でキリクスはエリスの内面を知ることができた。


 キリクスは兄以外に、こんなに純粋で綺麗な人は見たことがない。




 (俺の婚約者がエリスで本当に良かった)

 



 「約束します。

 10年後…俺が誰よりも貴方を幸せにすると。」



 気がつけばキリクスは無意識にそんなことまで口走っていた。



 

 「はい……。その約束、心からお待ちしています。キリクス様。」

 



 呼応して、エリスが頷く。嬉しそうに。



 「……!」



 その直後、エリスの瞳から真珠のように美しい涙が零れ落ちた。



 「あの、大丈夫ですか?エリス様…」



 「ご、ごめんなさい、あの…嬉しくてつい…」



 その涙にキリクスはまた胸が痛くなり、思わずエリスを抱き締めたくなってしまった。

 だけどそんなことはできないから、代わりにエリスの手を取り、そっとキスをする。



 (エリス様はきっと、これまで想像もできないほどたくさん辛い思いをしてきたのだろう)



 (俺の言葉をきっかけに、それまで我慢してきたものが一気に溢れ出してしまったに違いない)



 キリクスの言葉を泣いて喜ぶほどに。

 これほどまでに純粋な少女に、キリクスが惹かれないわけがなかった。


 

 

 (彼女を傷つける全てのものから守りたい)



 (この子を幸せにしたい)



 (国の都合で決められた政略結婚だが、そんなの関係ないくらい大切にしてあげたい)



 その夜キリクスは、心からエリスを幸せにしてみせると誓った。





 *




  ———けれど10年後、政略結婚の相手としてキリクスに当てがわれたのは、第1皇女のユースティティアだった。

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