勇者の死

 永遠に死ねない時間の中で、様々な生命が生まれ様々な命が終わり、滅びゆくのを見てきた。

 いつしかエレナは、〈復讐〉などという下らない感情を忘れ去っていた。

 二人を罠に嵌めて首を切ったフィンレーも。

 処刑を決めた王達も。

 かつて神殿で共に稽古した仲間達も。

 処刑を叫んだ国民達も。




 もう全てどうでも良いと水に流せる程に、エレナにとっては長い長い時間だった。

 そんな下らない感情を引き摺るよりも。




 もしもまたいつか愛するライアンに会えたな

ら。




 「愛してる。」

 「お帰り。」

 「待っていたよ。」

 「今夜は何を食べたい?」




 そんな普通の恋人達が交わす、他愛のない言葉だけを紡ぎたいと思っていた。

 美しい景色だけを二人で見たいと切実に願っていた。






 「…まさか、エレナ?」




 ———そんな声がした。




 振り返ると、見知らぬ男がなぜか驚愕の目をして立ち尽くしていた。

 けれど確かに〈彼〉だと感じた。




 見た目は金髪に碧眼。語り継がれる伝説の中に登場する、まるで絵に描いた様な容姿の男。




 〈勇者〉。中身はフィンレーだと直ぐに分かった。

 どうやらさっきまで〈魔王〉と戦っていたようだ。

 しかし着ている鎧も、持っている〈聖剣〉さえもかつての輝きを失っていた。

 所々刃も欠け、薄汚れている。

 その場でエレナやライアンを、怯えるような瞳で見ていた。




 「…やっぱり復讐のために蘇ったのか?エレナ…!噂は本当だったんだな!」




 「フィンレー?…あなたなの?

 まさか…また〈勇者〉に覚醒したの?」




 「ああ…

 新しいこの〈勇者〉の身体に覚醒して、しかも魂が前世の記憶を持ってるんだ。」




 つまりそれは滅びたら、また新しい人間に覚醒するという理から外れてしまっている。

 



 「しかも覚醒した途端にこんな……恐ろしい〈魔王〉と戦うなんて聞いてない!

 聞いてないぞ!」

 



 〈聖剣〉を持ちながらブルブルと恐怖に震えるフィンレーを見て、エレナはあの裁判所での出来事を思い出した。

 ライアンの首を切る時、嘲笑を浮かべたフィンレーを。

 あれは自分の想いがエレナに通じなかった事に対する、単なる逆恨みだったのだ。


 〈勇者〉なんてものは所詮〈伝説〉だ。

 このクズの魂を〈勇者〉と認めることは、エレナにもライアンにも無いだろう。

 その男が、膝を落として半泣きをしている姿を見て、エレナは深く溜息を吐く。




 「…何だ、〈勇者〉は案外、大した事ないんだな。」




 その時、先を歩いていた筈の〈魔王〉が身を翻して戻って来た。

 



 「ヒイッ……!!助けて!!」




 〈魔王〉はすぐにフィンレーの首を締め、体ごと掴み上げた。

 苦しそうにフィンレーは足をばたつかせる。

 そして、ついには命乞いを始めた。




 「エレナ!エレナ!エレナ!あの時君を殺したのは君を愛していたからだ!

 分かるだろう!?…〈勇者〉と〈聖女〉は結ばれるのが運命なんだって!

 君を殺したくなんて無かった!本当だ、だから…俺を助けてくれ!エレナ!」


 


 「…あの時ライアンを殺さないでと泣いて叫んだ私を無視して、あなたはライアンを殺した。

 これはきっと報いなのよ、フィンレー。」




 それはエレナでもライアンの呪いでもない。

 罪を犯したフィンレーは、自分で自分に呪いをかけた。

 以前自分が殺した相手に、見殺しにされるという呪い。

 



 エレナが彼を助ける義理はない。

 ライアンを無情に殺した、卑怯で最低な男なのだから。

 自業自得。

 今の彼に最も相応しい言葉だろう。

 エレナはライアンの手をきつく握ると、静かに目を閉じた。




 「かつての〈魔王〉を殺した男だ。

 もう二度と覚醒などできぬ様に、木っ端微塵に打ち砕いてやろう。」

 



 ———恐ろしい悲鳴と聞いた事もない様々な音が鳴り響く。

 



 骨を潰す様な音や体を引き裂く様な音。

 血飛沫が跳ね上がる音。

 最後までフィンレーは「助けて」と泣き続けていた。

 そうしてルイン公国から〈勇者〉が跡形もなく消え去ってしまった。

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