新たに覚醒した魔王

 目の前から走ってきた少年は、ドン、とエレナのお腹の辺りに勢い良くぶつかる。

 一度エレナの服に顔が埋まった少年は、パッと上を見上げた。

 背後には、銃を持った公国の兵士達が数人迫って来ている。

 




 エレナは微笑んだ。

 


 少年を庇うように腕を回して。




 「…一体何の悪い事をして、兵士に追われているの?」




 「…知らない。あいつらが勝手に追ってくるんだ。」




 「そっか。じゃあ君は何も悪い事はしてないんだね。それなら仕方ないよね。…ちょっとお姉さんが奮発して君を助けてあげるよ。」




 「…助けてくれるのか?」




 眩しい程の微笑みが返される。

 エレナは頷き、近づいてくる兵士達に向かって手を翳した。




 「何だお前は!!そのガキをこちらに渡せ!

 さもないと…」




 「さもないと?」


 


 かつて〈聖女〉だったエレナには、今だに聖なる力が衰えも知らずに宿ったままだ。

 向けられた手から直視できないほどの光が放たれ、兵士達はその場で動けなくなった。

 その間にエレナは少年と手を繋ぎ、街中を走り出した。




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 入相。暮れ紛れ。桑楡そうゆ。黄昏時。灯点ひともし頃。夕月夜。

 これまで色々な夕方の空を見てきたけれど一度たりとも同じ空を見た事はなかった。

 そして今日の夕方の空はこれまでのどれよりも美しい。

 エレナは彼を連れ、空を見上げながらそんな感傷に浸る。





 やがて少年は、白い壁の家にエレナを招き入れた。

 小さなコップと大きなコップがふたつ。

 大小二人分の服が、クローゼットに掛けられている。

 小さい服以外は大人のサイズで、殆ど黒い服で男物のようだ。


 

 「…お父さんと暮らしてるの?」



 「…本当のお父さんじゃないけど。

 僕の本当のお父さんは砂漠で遭難して死んだ。

 母さんは僕を産んですぐに死んだ。

 今は、母さんの代わりに僕を育ててくれてた人と、暮らしてる。」


 

 その時ふと、エレナはこれまで経験した事もない圧迫感を感じた。

 全身が強張っている。

 

 


 ——たらりと、冷たい汗が額から流れ落ちた。

 


 振り向くと同時に少年が言う。




 「僕を育ててくれたのは〈魔王〉だよ。

 あの兵達はそれに気付いて、僕を追ってたんだ。」




 宿る人間次第でこんなにも違うのか。

 そこには、黒い衣装を纏い、赤い瞳をした、長い黒髪の男が立っていた。

 ビリビリと周りの空気を恐怖で圧迫する。

 黒く澱んだ空気を纏い、その場に立っている。




 「お前が、かつてこのルイン公国で処刑されたという伝説の〈聖女〉か?」




 「…そうです。

 あなたが次代の〈魔王〉なんですか。

 新しく覚醒をしたのですね。」


 


 恐れながらもエレナは〈魔王〉と対話する。




 「そこのチビの母親とは、かつて幼なじみだったのでな。

 よしみで引き取って育てていた。

 けれど、もう必要ないな。」




 「これから何かする予定が?」


 


 エレナがそう訊ねると〈魔王〉は不気味な笑みを浮かべて、赤い瞳を輝かせた。

 きっと〈魔王〉とは、本来全てを破壊し尽くす、本能を隠しもしない彼の様な者なんだろう。




 「お前が現れるまで、という約束だったのでな。

 これからは容赦なくこのルイン公国を滅ぼす事にする。」




 ◆◆◆




 ———陽が沈んだ空に真っ赤な暗雲が渦巻き、無数の稲妻が大地に落ち、暴風が吹いた。

 〈魔王〉はそこを歩くだけで天災なのだ。

 早くも外からは、泣き叫び、命乞いをするルイン公国の人々の声がする。




 「…あなたは行かなくて良かったの?」



 「…君こそ、良かったの?」



 小さな少年の背中に、エレナは言葉をかける。

 振り向いた彼は、エレナに聞き返した。

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