僕の本当の幸福は⑥
それに皇室から何の権限も持たされていないと言われているエステレラが、急に外交で他国に赴くことになったというのが不可解だった。
さらに運悪く外交先の魔獣に襲われたと言う。
あまりに信憑性のない話に、僕は直接エスピーナを問い詰めた。
そしてついにエスピーナは白状した。
『あの娘のそばにいるディー・ハザック・ストレーガが、魔術であの娘の身体を奪っているのよ。』
『でも悪いのはディーじゃない。
あの娘が何で自らを犠牲にしているか分かる?
…あなたよ。あなたのために彼女は自分の身体を犠牲にしているのよ?ローアル。
だから悪いのはあなたよ?』
それまで大人しく微笑んでいたエスピーナが恍惚とした表情で嘲笑った。
死にたい。
僕のせいでエステレラの身体が…
その前にあの男を殺してやる……!!
『だめよ、ローアル。エステレラはディーに精神操作の魔術をかけられているの。
ディーの魔術は強力で、無理に解けばエステレラの精神は崩壊するわ。それはディーを殺しても同じこと。
エステレラの望みはあなたの幸せ。
あなたが幸福だと納得できるまで彼女は自分を犠牲にするのよ。
…可哀想なエステレラを救えるのは貴方だけ。
だからこれからは彼女の前で、私を好きだと言い、自分は幸せだと笑いなさい、いいわね?』
剣を握りしめてディー・ハザック・ストレーガを殺そうと泣いている僕を見て、悪女が嗤っている。
ぜんぶ、この女が仕組んだことだったんだ……
何もかも、すべて。
………エスピーナもディー・ハザック・ストレーガも許せない…!!
エステレラのことを一体何だと思ってるんだ…!!
けれど僕が言うことを聞かなければ、エステレラはまた自分を犠牲にしてしまうだろうと言って、エスピーナは笑った。
エスピーナは僕に、自分に惚れているようにエステレラに振る舞えと言った。
僕がエスピーナに恋をしているみたいに見せろと。
そうしなければ、ますますエステレラを追い詰めてやると僕を脅した。
魔術を解くためにディー・ハザック・ストレーガを殺すこともできず、エステレラを救うために僕は、幸福じゃないのに幸福なふりをしなければならない。
あまりにも矛盾した全てに、吐きそうだった。
それは、まるで地獄のような日々だった。
それから暫くして、今度は伯爵の爵位が与えられた。
つまりそれはエステレラがまた、自分を犠牲にしたという証拠だった。
エスピーナを問い詰めると、彼女は悪びれもなく嗤った。
『臓器を一つ、取引したみたいね。あなたが幸せそうにしないせいよ?』
—————————
—————————————
結局、16歳になるまでエステレラは指と片足、腎臓の一つを失った。僕のために。
何でこんな残酷なことをエステレラにさせるんだ?
止めたいのに、あの男の魔術がエステレラの精神を蝕んでいる。
好きな人を傷つけるこの地獄を、早く終わりにしたいのに…!
———その後、エステレラの身体を無惨に奪っているディー・ハザック・ストレーガが、エステレラを献身的に支えているという噂が流れた。
東の離宮に行くと、彼はエステレラの車椅子を押し、いつも彼女の後ろに控えていた。
どういうつもりでそばにいる…?
あんたにエステレラのそばにいる資格はないのに…!!
激しい怒りと嫉妬で、気が狂いそうになる。
けれどそれをエステレラに見せては駄目だと我慢した。
エステレラに陰謀の全て打ち明けてしまいたかったが、僕の行動次第でエスピーナとディー・ハザック・ストレーガが、エステレラに危害を加える可能性があるから。
エステレラを守るためには、大人しく言うことを聞く以外にない。
おそらく、前皇帝の暗殺を示唆したのはエスピーナだろう。
エスピーナは皇帝だった自分の父親さえ手にかける凶悪な悪女だ。
僕が間違えば……何をしでかすか分からない。
僕が大人しく言うことさえ聞いていれば…
エスピーナはそれ以上、エステレラに手は出さないだろう。
僕が犠牲になればいい。
心を殺し……
自分に嘘をついて。
行動は細かくエスピーナによって制限され、僕はごくたまにしかエステレラに会うことができずにいた。
いくら身体を失っても、成長していくエステレラは、その瞳を直視できないほど凛とし、美しかった。
彼女が悪意のあるあの二人から、少しでも早く解放されることを願って…
ずっと耐えた。耐えたのに。
エステレラがこれ以上、僕のために自分を犠牲にしないように。
『エステレラは貴方が幸せでないと、気が済まないみたいよ。』
『エステレラの前で自分はとても幸せだと言いなさい。』
『いいの…?貴方が不幸だとエステレラはもっと自分の体を犠牲にするわよ?』
『エステレラは、わたくしとあなたが結婚することを望んでいるそうよ。
あなたが私と結婚しなければ、エステレラは体を失い続け、最期には死んでしまうかも。
彼女を守るためには仕方のないことよ。
だから私と結婚しなさい。』
———何で?
イヤだ。僕の大事なエステレラを傷つける女と結婚なんて、死んでもイヤだ———!
『わたくしと結婚すると言いなさい。
そうしたらあの子は満足するでしょうし、もうこれ以上、体を失う真似もさせないわ。』
ずっとエスピーナの囁くことは呪いのようだったし、エステレラの身体を次々に無惨に奪っておきながら、ディー・ハザック・ストレーガは罪滅ぼしのように彼女に纏わりついていた。
何であんな最低な屑が、彼女のそばにいるんだ…!
どんな思いで彼女の前に立っていたと思う?
エスピーナとあの男が共謀してエステレラの体の一部を次々と奪っていくのを、僕がどんな狂いそうな思いで見ていたと思う?
彼女を魔術で操り、貶め、身体を無惨に奪っているあいつが、そばにいるなんて許せない…!!
『エステレラ。僕は……幸せだよ』
いつの間にか僕は周囲から『皇子』と呼ばれるようになっていた。そんな者である筈がないのに。
思い出す限り、下級貴族だった僕の母親は亡くなり、落ちぶれた父親は森で死んだ。
一方のエステレラは…僕が幸福だと思うまで自分を犠牲にするのを止めてくれなかった。
だから…笑うしかなかった。
自分の心を押し殺し、いつも彼女の前でせいいっぱい笑った。
君が左眼を失ったと知った日。
出血多量で君が目を覚まさないかもしれないと覚悟した日。
目を覚ました君を見て、泣くのを我慢して笑った日。
『君のおかげで…なれたんだ、名誉ある専属騎士に。ありがとう。』
…ほら、見てよエステレラ。
僕はもうこんなに幸せだ。
だからもう…これ以上君が身体を失う必要なんてない。
もう、いいんだ。充分なんだよ。
涙をこぼす代わりに、言いたくもない偽りの幸福を語った。
これ以上傷ついて欲しくない。
もうこれ以上僕のために、自分を犠牲にして欲しくない。
僕が最高に幸せだと笑えば、君はもう何も犠牲にしないよね…?
——宮中には僕とエスピーナが相思相愛だとか、毎晩僕がエスピーナの寝所に通っているだとか、それをエステレラが邪魔しているとか、根も歯もない噂が広がっていた。
それを流したのはエスピーナ自身だと後から知った。
いくら否定したところで噂は一人歩きしていった。
今思えば宮中には、僕とエステレラを引き裂く様々な噂が飛び交っていた。
互いの意志を確認する間もなく。
会えない日が続いて、二人とも悪い噂に振り回される瞬間もあっただろう。
人の心を操るのを得意としたエスピーナの言葉に、みんな踊らされていたのだろう。
僕がどれだけ幸せだと言ってもエステレラは、エスピーナと結婚するまで自分の体を犠牲にするだろうと言われたのだ。
心底嫌だった。
エステレラを貶めたエスピーナと結婚するなんて。けれど。
僕がエスピーナと結婚すれば、エステレラは本当に、もう自分を傷つけなくなるのか…?
君は僕を本当に大切に思ってくれていて、エスピーナと結婚することが僕の幸せだと思っているの?
そうすることで君は安心するのか…?
ディー・ハザック・ストレーガがかけた魔術は解ける…?
君は苦しみから解放されるのか…?
———————愛してる。エステレラ。
僕は君を愛してる。君だけを愛してる。
君には幸せでいてほしいんだ。
どんな形だっていい。生きていてほしい。
エスピーナと結婚するよ。するから。
それで僕が幸せだと思ってくれればいい。
だからもう自分を傷つけないで……
それなのに——————……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます