失ってしまった僕の星⑤



 「死んだ…だって?彼女が…?」



 あの残酷な冬の日を僕は忘れない。



 「ええ。可哀想なエステレラ。ディー様の手によって無惨にも心臓を奪い取られてしまったのよ。」



 まるで足元から、冷たい氷が体ごと覆っていくような感覚。

 


 激しい吐き気と、途方もない胸の痛みが全身を抉る。

 僕の目の前にいるエスピーナは、エステレラが死んで可哀想だ、というその口で目が笑っていた。



 「ディー様が殺したのか…?それとも、エスピーナ、君が…?」



 「いやだわ、ローアル。わたくしがそんなことをする筈ないでしょう?わたくしはもう貴方の妻なのよ?」



 嘘だ…エステレラ…



 もう君に会えないなんて。君の笑顔を見れないなんて。



 「…君と結婚したらもう、エステレラは大丈夫だって約束したじゃないか………

 裏切ったんだな。」



 寝室の床に崩れるように僕は膝をついた。

 とめどない涙がこぼれ落ちる。

 体にいくつもの剣が突き刺され、僕の心臓が血を噴き出しているようだ。



 「やめてよローアル。わたくしは無実よ?

 そんな酷いこと言わないで…あんなに愛し合ったでしょう?」



 「……てない。」



 「え…?」



 「君と僕は一度も愛し合ったことはないじゃないか…!

 僕は君をずっと拒絶していたのに何で嘘ばかり!

 そう言う噂を皇宮に広めたのが君だってことも知ってるんだ!」



 「まあ…!あんなに穏やかな貴方がそんな感情的になるなんて驚いたわ。

 それだけわたくしのことを分かっているなら、これも分かるわよね?

 いい?ローアル、わたくしはこのトルメンタ帝国の皇帝なのよ?

 わたくしを愛すれば貴方は、帝国一の幸せな男になるのよ?貴方は愚かではないわよね?」



 …この女は……何だ…?



 悪魔……?



 涙でぼやける視界の中で、蔑むように彼女を見上げた。

 エスピーナは決して自分が悪いとは思っていない。


 

 その態度に全く罪を犯したというような悪びれた様子はなく、エスピーナは上から見下げるように僕に言葉をねじ込んだ。



 初めから分かっていたのに。

 エスピーナが正真正銘の悪女であるということを。



 戦うべきだった。



 エスピーナの言うことに大人しく従ってきたのは、すべてエステレラを守るためだった。



 守れるはずだと…でも違った。

 守るはずの人がもういないなんて。



 例え自分の命を失ったとしても、この悪女と真正面から戦うべきだった。



 「孤独一人で逝かせてごめん…辛かったよね、エステレラ…」



 遺体はすでにディー・ハザックの手により埋葬されたのだという。

 どんなに悔やんでも、もう彼女は戻らない。



 やり切れず喉の奥が焼きついていく。

 心も体も業火に焼かれているように苦しく、嵐の時に吹き荒れる雨粒のように、絶え間なく涙がこぼれ落ちた。



 …エステレラ。



 本当にもう君はいないの…?



 君に伝えそびれたことがある。

 ずっと胸に秘めていた想いだ。



 僕は君を愛している。




 ずっと愛していた————————…………





 ◇◇◇



 4年前、僕とエステレラは、エスピーナ皇女のきまぐれによってトルメンタ帝国の城の門をくぐった。



 僕を『飼いたい』と言った皇女の物欲の目が、最初から恐ろしいと感じていた。



 それを身を挺して庇ってくれたエステレラを巻き添えにする形で、城に来ることになってしまったのが悔やまれた。

 何とか二人で城を抜け出せないかとしばらく観察したが、目ぼしい位置に兵が置かれていて一寸の抜け道もなかった。



 トルメンタ帝国の皇帝は血も涙もない暴君だと聞いていた。

 これほど厳重に兵を采配しているのが皇帝だというのも頷ける気がした。



 宛てがわれた使用人の部屋でエステレラと夕食をして間もない頃、兵がやってきた。



 「皇帝陛下がお呼びだ。…ただし、エステレラのみだ。」



 …え?



 耳を疑いたくなるような命令。

 少し前まであの煌びやかな皇座に座り、僕たちと謁見していたあの恐ろしい陛下が、なぜエステレラを?



 訳もわからず僕は胸騒ぎを覚えた。

 あの燃えるように鋭い赤い瞳、鋭い目つき。

 まるで狙った獲物は逃さないとでも言いたげに僕らを見つめていた皇帝・アウトリタ・タエヴァス・トルメンタ。



 彼が一体、エステレラになんの用があると言うのだろう?



 気がつけば僕はエステレラの裾を掴んでいた。

 行ってほしくなくて。

 僕の不安を察したかのように、エステレラは掴んだ手にそっと触れて、いつものようにふわりと笑った。



 『心配しないで。』



 目が、私があなたの側を離れないのは分かっているでしょう?と言っている。

 それなのに僕はずっと不安だった。

 エステレラが奪われてしまう。



 

 ———その日の夜、エステレラは長く部屋に戻らなかった。



 僕はベッドに寝そべり、天井を仰ぎながら隣の部屋に彼女が戻ってくるのを待っていた。



 その時、部屋の外を通りかかった、他の使用人たちが話す声が聞こえた。



 「…何で…あの下賎な娘が陛下に呼ばれたのかしら?」



 「そうよね。しかも陛下の自室でしょう?

 今まで亡くなった皇后様以外、後宮に側室だって入れたことのないお方よ?

 …まさかとは思うけど陛下は幼女趣味がお有りなのでは……」



 「し!やたらなことを口走るものじゃないわ!誰かに聞かれたらどうするの?」



 「そうね、ごめんなさい。行きましょう。」



 使用人たちが慌ただしく去って行ったが、僕の心臓は激しく脈打っていた。

 胸がぎゅっと締め付けられる。

 


 エステレラ…無事なのか…?



 今の話が本当なら…僕はどうしたらいいんだ。

 いますぐ君を皇帝から奪い返したい。



 どうして僕はこんなにも無力なんだろう?



 もしも皇帝が君に少しでも触れたなら…



 皇帝を…殺してやる…!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る