それでも最期に願うのは①


 

 トルメンタ帝国には再び冷たく寒々しい冬が訪れていた。


 

 税を搾り取られた国民は疲弊し、理不尽に制裁を加えられ続けた臣下たちは不満を抱え、エスピーナに擦り寄る貴族たちは相変わらず人身売買や薬物売買などの禁忌に手を染め、トルメンタの皇室も帝国も腐敗していた。


 

 ひどく迫害された貧民が大量に死に、以前ならアウトリタが抑え込んでいたであろう魔獣は圧倒的に増え、ディーだけでは魔力が足りず、帝国は未曾有の危機に瀕していた。


 

 人々はすでにエスピーナが暴君であることに気づいていたが、同時に怪物であるエスピーナに逆らえば何をされるか分からないと怯えていた。



 ◇◇◇



 『昨日、陛下のお部屋からローアル様が出てきたらしいわ。

 もう何度目の逢瀬かしらね。

 今やこの国で幸せなのは陛下とローアル様だけじゃないかしら。』



 宮中の女官たちは相変わらずおしゃべりや噂話が得意だ。

 『壊れた姫』と呼ばれた義足の私の前で堂々とその話をしている。

 


 足を引き摺りながら、私は廃れた庭園に咲いている赤い花を見つめていた。



 …白い雪がちらついている。



 今日もディー様は魔獣討伐に出かけていらっしゃる。

 忙しくされていて、このところ全く顔を合わせていない。

 それ以前にローアルとは月に一度会えばいい方だ。



 もう慣れた…?



 いいえ、…もう疲れた。



 宮中では私がローアルを誘惑してエスピーナと彼を引き裂く悪女だと囁かれ、2人がどれだけ相思相愛であるかの噂をたくさん聞かされた。



 それでもローアルを好きでいること。



 好きだからこそ、ずっと傷付いてきたこと。



 お飾りの皇女として私が皇宮にいる意味は?



 なぜ私は今だここにいるのだろう。



 ローアルはもうエスピーナに夢中なのだ。



 ずいぶん我慢した。



 彼のために捧げたこの身体は、すでにあちこち欠けている。



 …だからもう、良いのではないだろうか。



 もう、ずいぶん尽くしたのではないだろうか。



 …もう、そろそろ私はここを去っても良いのではないだろうか。



 私がいなくてもローアルは、とっくにもう…



 ——————————————



 「エステレラ。久しぶりね。」


 

 一瞬心臓が強く脈打った。



 淡い赤色の花が咲く庭園の中に、兵も連れずに佇んでいる、エスピーナの姿があったから。



 雪がちらちらと降り出していたせいか、その表情はよく分からなかった。

 金髪の美しい髪は雪風に靡き、鋭く険しい瞳がこちらを見ている。

 出会った頃よりさらに美貌が増しているように思う。

 


 「陛下…いかがなされましたか。」


 思わず声が震えてしまう。

 これまで何年も直接会うことはなかった。

 ここを訪れることもなかった。

 声が上擦ると同時に、胸の奥から激しい感情が湧き出ていた。



 …お母さんを苦しめ、皇宮から追い出した女。



 お父さんの最後の遺言からおそらくお父さんを謀り、フォンセに弑逆させた女。

 全ての証拠を消し去り、私が本当の腹違いの皇女だと知って葬ろうとしている女。

 私とローアルをこの皇宮に連れてきた憎い女。


 

 でもローアルが愛している女。



 「まあ、怖い顔ね。そんなに警戒しないでちょうだい。

 むしろお礼を言いに来たのよ。エステレラ。」



 赤い花びらと、白い雪とが視界を行ったり来たりしている。

 その隙間から覗くエスピーナの顔は、はっきりと笑みを浮かべていた。



 「お礼…?なんのこと…」



 「貴方のおかげで、わたくしはローアルと愛し合うことができたわ。

 ローアルは自分で何もしなくても高い身分を得たし、安定した地位を手に入れた。

 …これも全部貴方のおかげね。

 本当にありがとう。心から礼を言うわ。

 貴方のその薄汚い体でも、本当に役に立つのね。」



 「……やはり、そうだったのね。」



 激しいというより、静かに灯るような怒りの感情が芽生えた。

 小さい子供のようにひどいと露骨に怒り狂い、罵倒したいと思っても、私はもう随分と疲弊していた。

 責め立てる元気も失っていた。



 分かってはいたはず。エスピーナとディー様は共謀していたと。



 エスピーナの顔は笑ってはいるが、目が笑ってはいない。

 初めて会った時と変わらない、自分以外を見下すような冷酷さを持っている。



 「…貴方はディー様と結託していたのね。

 そんな気はしていたのよ。

 そんなに…私がボロボロになっていく姿を見るのが楽しかったの?

 …エスピーナ。

 貴方は私が本当の腹違いの妹だと、知っているのでしょう。」



 ただ冷静に言葉を繋ぐ。

 相手のペースに飲まれてはいけない。

 これ以上惨めになりたくないから。



 「ああ…あの悍ましい女から生まれた下賎な女。こんなことならあの女は離宮にいる間に殺しておけば良かったわ。」



 物騒な言葉とは裏腹に、エスピーナは面白おかしそうに微笑っている。

 女皇帝となりすべてを手に入れた女。

 結局欲しかったローアルさえも手に入れた。

 何もかもが、彼女の思惑通り。



 「お父様が…貴方のことを残念がっていたわ。

 もしかしたら貴方が改心するのではないかと。

 でも貴方は結局、何も変わらないのね。」



 今となっては腹違いの唯一の肉親だが、恐らく一生分かり合えることはないのだと、その冷たい瞳を見て確信する。



 やっぱり優しいローアルを、この残忍な彼女に任せられない。

 そう思った。

 しかしエスピーナはさらに、腹が捩れると言わんばかりに声を上げて笑い始めた。



 「アハハハハハッ!本当に!どこまでも馬鹿な女!

 お父様はお前の父親ではないわ。何を夢見たことを!

 その口で語るなど悍ましすぎる。

 …けれど今日は特別に許してあげるわ。

 愚かなお前に教えてあげるわね。

 …ローアルは知っているのよ?

 すべて…ね。

 お前が自分を犠牲にしてまでディーの元で、禁忌の魔術を行なっていることを…ね。」



 それまで以上に心臓がドクンと跳ねる。



 …知ってる?ローアルが…?



 「かわいそうなエステレラ。

 ローアルはお前に何も話さないのでしょう?

 お前が危ない目に遭っていると知りながら、ローアルは一言でも『やめろ』と止めてくれたかしら?

 止めるはずないわ…

 だってお前はローアルにとって、それだけの存在だもの。アハハハハハ!

 惨めなエステレラ!可哀想なエステレラ!偽物のお姫様!

 お前はローアルにとって、“死んでもいい人間”なのよ、エステレラ!」



 心底楽しそうに、エスピーナは高笑いした。

 目の前が真っ暗になり冷静さを失う。



 『彼は貴方じゃなく、わたくしを選んだの。

 …だって何の権力も持たない偽物の姫より、富も名声も何もかもを持つわたくしを選ぶのは人間として当たり前でしょう?

 わたくしはこの国の女皇帝なのよ?

 わたくしに寵愛されれば、何でも欲しいものを手に入れられるし、贅沢な暮らしもできる。

 自分を下賎な人間だと虐めた気に入らない貴族たちを殺すことだってできる。

 だからローアルはあなたを利用して、わたくしを手に入れようと必死だったわ。』



 …やめて。



 ローアルはそんな人じゃない。



 『それから、彼はわたくしをいつも愛おしいと言ってくれるわ。

 夜はいつも同じ寝所で眠るのよ。あなたは彼の肌の心地良さを…知らないわよね?

 愛される喜びを。』



 『ベッドの中でローアルはいつも情熱的な目をして、わたくしに愛していると囁くわ。』



 『あなたが滑稽だって笑っていたわよ…?

 自分のために身体を犠牲にする馬鹿な女だって。

 別に死んでも構わないって言っていたわ。』



 エスピーナの嘘だ。



 嘘。嘘だ。ローアルは何も知らないのだ。



 …そうでしょう?ローアル。嘘でしょう?



 ローアル。…知っていたの?



 いつから?



 いつから知っていたの…?



 私が死んでもいいと…………

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