私たちは変わってしまった②

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 「エステレラ。」


 

 離宮の質素な応接間のソファに座っていたローアルは、私が入ってくるなり立ち上がった。



 ディーに車椅子を固定してもらうとローアルと反対側のソファに移った。

 指や左脚がなくとも義足でなんとか移動はできる。



 「いいのよ、座ってローアル。」


 

 久しぶりに見るローアルはまた一段と背が伸びた。



 ———年齢でいうなら17歳。



 背が伸びて骨格がはっきりとし、華奢に見えていた腕や脚には筋肉がついていて、どこから見ても立派な騎士の青年だった。



 かき上げられた銀髪が、冬の陽の光を浴び輝いている。

 愛らしい垂れた眉毛。

 美しい薄紫の瞳は健在で、憧れていた皇室騎士団の服に身を包んでいた。



 組んだ両手を膝下でもじもじと動かしながらローアルは気まずそうに口を開いた。



 「その…脚の調子はどうだい?…痛みは…」



 「大丈夫よ。ローアル。もう痛みはないし、

義足でもなんとか暮らしていけるわ。心配しないで。」



 にっこりと微笑んでみせるとローアルは、力んでいた肩を崩し、ほっとしたような表情を浮かべた。

 


 「心配したよ…まさか………魔獣に襲われるなんて。

 ここ数年、君はケガが絶えない。

 もうこれ以上ケガをして欲しくないんだ…」



 ローアルは、私がディー様に依頼して禁忌の魔術で対価を払い、彼の身分を取引していることを知らない。

 仕事ぶりが認められたから、騎士として優秀だから…そう言われて爵位を受けたはずだ。



 むしろ何も知らなくていい。

 貴方が幸福ならそれでいい。



 「大丈夫よ。これからは気をつけるわ。絶対よ。」



 「約束だよ。」



 そう言うとローアルは背もたれに深く腰掛けて安心し切ったように笑う。

 こうしていると昔と何も変わらない気さえしている。



 だけどローアルは、エスピーナを愛している。



 ————どうしてあの時、手紙で呼び出しておいて、私に彼女とのキスを見せつけたの?



 その質問をずっと聞けずにいる。

 ローアルもまたそのことを話そうとしない。



 今もこんなに近い距離にいるのに、ローアルをずっと遠くに感じるようになってしまった。



 父であるアウトリタ様が亡くなってから、ローアルは事あるごとにエスピーナに呼び出されていると聞く。

 そして私たちは以前に比べてもっとずっと会えなくなった。

 だけど私は相変わらずローアルが好きなままだった。

 だけどローアルの心は……もう分からない。



 そんなことを考えていると応接間の扉がノックされ、返事をすると女官が入ってきた。



 「ローアル様、陛下がお呼びです。」



 「…そうか。分かった、すぐに向かう。

 すまないエステレラ。もう行かなきゃならないみたいだ。…また来るよ。」



 愛らしい眉毛がさらに垂れた気がした。



 「——いいのよ、行って。

 またね、ローアル。」



 済まなそうに立ち上がったローアルに私が小さく手を振ると、後味が悪そうに一度振り返る。

 でもやがて、いつもの様に扉の向こうに消えていった。






 「…呑気なものだ。」



 扉を見つめながら何故が不服そうに吐き捨てたディー様に、私は少しだけ眉を崩して笑った。



 「ふふ。…もう。どうしてディー様が不機嫌なのですか?」



 不思議なものだ。



 ローアルとは心の距離が遠くなり、代わりにディー様の考えていることがよく分かるようになっていた。



 不毛な恋をしている私に対して、ディー様はいつも機嫌が悪い。

 実らない恋など捨てれば良いのに、と言われることもある。

 ディー様は本当はとてもお優しい方なのだ。

 馬鹿で愚かな私をいつも心配してくれている。


 自分でも自覚はあった。決して報われはしないと。

 分かってはいるが…



 「エステレラ。ケーキを食べないか?帝国一の料理人に特別に作らせたんだ…」



 「ええ?ディー様ってば…」



 …寂しい。



 愚かな私のそばに寄り添ってくれているディー様のおかげで、表面上は笑ってはいるが寂しい。



 ローアルと本当はもっと話がしたい。



 本当はローアルのそばにいたい。



 ローアルと、スラム街で暮らした、あの幸せだった日々に戻りたい。



 愛おしい。



 狂おしい。



 お願い。エスピーナの元になんか行かないで。



 私を見て。



 そばにいて。そばにいてよ。ローアル………



 心がバラバラになってゆく。



 『僕たちは月と星だ。離れることはないよね…』



 あの夜に言ったローアルの言葉が、今となってはただの幻のように感じる。



 私の父でもある前皇帝アウトリタを殺すよう仕向けたのはエスピーナだ。

 あれほど忠実だったフォンセもきっと葬ったのだろう。

 私の母、トリステルを狂わせたのも。私の祖父や親族を処刑したのも。

 彼女に対する怒りのようなものは、心の奥底にずっと燻っている。



 彼女はローアルに相応しくないと何度も葛藤した。

 ドロドロとした感情があふれてきて、冷静な判断ができない。

 でもローアルの気持ちを否定することは間違っていると思う。

 だから繰り返し考える。



 エスピーナといればローアルは、本当に幸福なんだろうか?



 母を狂わせてしまうほど残忍なエスピーナでもローアルを本当に幸せにしてくれるんだろうか?



 分からない。ずっと答えが出ないまま。

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