愚かな娘③


 本当に愚かな娘。



 エステレラを見ながらディーは何度そう思ったことか。

 エスピーナは全て計算し尽くしているのだ。



 ◇◇◇



 「エスピーナ様はなぜ…

 お気に入りのローアルに相応の身分をお与えにならないのですか?」



 皇女が皇帝となり玉座に座った夜。ディーはエスピーナに直接そう聞いたことがある。


 

 以前アウトリタが羽織っていた皇室の紋章入りの黒マントを纏い、贅の限りを尽くした宝石で飾り、血が滴る様な真っ赤で美しいドレスに身を包むエスピーナに。



 アウトリタがフォンセに殺されるよう仕向けたのはエスピーナであり、奪った玉座に躊躇いもなく座る彼女は悪魔としか言いようがない。

 しかもその日は偽の魔獣対策と称して、ディーをわざと隣国に足止めした。



 皇帝を殺し、証拠隠滅のためにフォンセを始め、皇帝弑逆に関わったすべての人間をこの世から消した。



 『ディー。お前だけは残しておくわ。

 だってお前は元々、トルメンタ帝国の皇室の血を継いだ者だもの。それに強い魔術師。

 殺すには惜しいのよ。』



 彼女は笑いながらそう言った。

 そしてディーの質問に、やはりその日と同じように笑いながら応えた。



 「わたくしはね、ローアルの心が欲しいのよ。

 それにローアルにそう簡単に身分を与えては面白くないでしょう?

 まだ絶望を味わって貰わなくては。

 足掻いて足掻いて血反吐を吐かせ、権力という甘い蜜を、喉から手が出るほど欲しがらせ、依存させるのよ。

 そして…弱ったところで優しくするの。

 この世は結局お金と権力だと気付いて、自ら私に泣いて縋らせるの。

 その時初めて、彼は完全にわたくしの物となるのよ。

 …同時にエステレラにはどんな手を使ってでもローアルのために尽くさせるわ。

 あの時狙ったのは失血死…だったけれど小指ごときでは死ななかったでしょう?

 いい?ディー。

 あの子の手足を奪いなさい。あの子の臓器を奪いなさい。

 もがれる部分が無くなるまで、ズタボロに引き裂くのよ。そして…殺すの。いい?

 何より、あの子がボロボロの姿になるのが楽しみだわ!

 だってあらゆる身体の部位がないなんて、まるで化け物みたいでしょ?

 それを見たローアルがどう思うか…最高にゾクゾクするわ!アハハハッ!」



 顔を火照らせ、エスピーナは得意な高笑いをする。


 

 正直、ディーはエスピーナが恐ろしかった。



 皇家の血統でありながら魔力を一切持たないにも関わらず、無慈悲で冷酷で残忍さは、これまでに類を見ないからだ。



 エスピーナが皇帝になってから、皇女の頃の比ではないほど沢山の人が死んだ。

 中には理不尽な死を遂げるものも多い。

 このままではトルメンタ帝国そのものが駄目になる。



 ディーの魔力を持ってすればエスピーナに勝てるかも知れないが、実はディーには皇家との盟約の際に、トルメンタ帝国皇家に服従した証として《ケレブの心臓》を質として握られている。

 あれがある限り、ストレーガ家の人間はエスピーナに反逆することは叶わない。

 しかも用心深いエスピーナは、それを皇宮のどこか奥深くに隠してしまった。



 自分の父親を殺し、隠すために臣下を殺し、自分の欲のためにローアルとエステレラを引き裂こうとしている。

 しかも何故か…エスピーナはエステレラを憎悪している。



 あの娘に勝ち目などない。



 これまで見てきたエステレラは決して知性がないわけではない。

 むしろ13、14歳かそこらの年齢で教養はあり振る舞いは貴族そのものである。



 品はあり、また覇気もある。

 秘めた強さも生きる強かさも持ち合わせている。



 だが…ローアルのことになると途端に頭が弱くなり、見境がなくなる。


 

 なぜ、手に入らないと分かっている相手のためにそこまで尽くそうとするのか。

 辛いだけなら諦めて、逃げれば良い。

 そうするなら酷い死を迎えずに済むかもしれない。


 なぜ…


 それはディーが、エステレラにかけた精神作用のある魔術の効力であることは否定できない。

 この魔術は想いが強ければ強いほど深く作用する。

 エステレラはひたすら、ローアルの幸せを願っていた。



 あの魔術はエステレラ自身が、ローアルが幸せだと納得するまでそれは続く。

 それは深い底なしの沼のような願望。


 

 そうまでして深く…人を愛するなんて。



 ディーはこの歳まで恋を知らなかった。



 国に身を尽くし、皇女のために暗躍していたため、忙しくて恋などしたことがなかった。



 だからローアルを愛するエステレラの気持ちが、これっぽっちも分からない。



 ただ、エステレラが愚かな娘だと思えば思うほど、苛立たしかった。



 ローアルのことを想い、傷付き、涙を流すエステレラを放っておけなかった。



 この不愉快な感情の意味を、ディーは知らなかった。

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