私も本当の皇女だった②

 アウトリタの傷が癒えるまでの数日間、一行は辺境伯の城に滞在することになった。



 トリステルは早くに母親を亡くし、愛する父親の跡継ぎになるため領地で様々な勉学に励んでいた。

 彼女は特に抜きん出て刺繍が得意だった。



 しかしながら少々おてんば…と言う言葉がピッタリで、天気の良い日には広い庭で裸足になり、城で使ったシーツを足踏みして洗い、顔に泡をいっぱいつけて笑ったり、領民の押し車の車輪が泥濘にはまったのを見れば、駆け出して全力で手伝ったりした。



 馬小屋で使用人と同じように馬に餌をやったり、森に入って楽しそうに木登りまで。



 領民だろうと貧しい者だろうと分け隔てなく優しい、そんなトリステルに心を奪われるのはあっという間だった。



 「なぜ、身分の低い者にもそんなに優しくできるのだ?

 お前に一体何の得がある?

 私には到底理解できないな……下々の者達を大切にする理由が。

 実際に私はそうしてはこなかった。」



 不可解な行動をするトリステルにアウトリタは思わず尋ねていた。

 初めはキョトンとするトリステルだったが、やがて笑顔を浮かべる。



 「私はこの領地を治めている父の娘です。

 領民がいなければ領地は発展しません。

 彼らはこの地になくてはならない大切な存在…

 つまり私の家族のようなものなのです。

 陛下は……民に優しくしたくはないのですか? 

 帝国の民は、陛下の民でしょう?

 陛下は…その民にほんとうは優しくしたいのではないのですか?

 そう思うのならば、心のままにしたいことをしてみて下さい。

 その方が心が晴れ晴れし、いつも笑顔でいられますよ。」



 眩しいほどの笑顔で、躊躇いもせずそう答えるトリステル。



 その言葉にアウトリタは、ずっと凍てついていた心の氷が溶けていくのを感じた。



 たった数日一緒に過ごしただったが、アウトリタは心からトリステルに惹かれていった。



 それからある程度の傷が癒え、城に帰る日になると、ついにアウトリタは意を決してトリステルに告白した。



 「わたしには娘がいるが…そなたを妃に望みたい。

 どうか、トルメンタの皇宮に来てはくれないだろうか…?」



 「…ご存知の通り私は田舎貴族の、おてんば娘ですよ?」



 そう言って髪をかき上げたトリステルの頬は、真っ赤に染まっていた。



 アウトリタは皇帝になり全てを手に入れたが、人を愛したのはそれが初めてだった。



 トリステルを城に連れ帰ると東の離宮を立て、順調に愛を育みながらトリステルを妃とするための準備を進めていた。



 当然、娘のエスピーナにも会わせた。



 いつか三人が家族として、仲睦まじく過ごせる日が来ると、胸を躍らせていた。



 だが———。



 「おとうさま。エスピーナいがいのおんなを愛さないでくださいませ。

 エスピーナがいちばんでしょう?

 …あんな、いなかきぞくのげせんなおんななど、りきゅうからおいだしましたわ。」



 エスピーナはわずか3歳にしてすでに思考が極端に歪んでいた。

 アウトリタが数週間留守にしている間にトリステルに様々な嫌がらせをし、追い詰め、皇宮から追い出したのだという。



 「エスピーナなぜ…そんなことを?」



 「とうぜんですわ、おとうさま。おとうさまはおうぞくいがいはゴミだとおっしゃってました。

 あのおんなたかが、へんきょうはくのおんなでしょう?

 かくしたきぞくなど、おとうさまにふさわしくないですわ。

 めがさめてよかったですわね。」



 その時アウトリタは、初めてエスピーナの異様な性格を思い知った。



 しかし身分の低い貴族は見下せと、そう教育したのは紛れもなくアウトリタ本人。



 後からトリステルの侍女に聞いた話では、それは想像を絶するものだった。



 「嫌がるトリステル様を、使用人たち数十人で追いかけ回し、庭の噴水に顔をつけて溺れさせようとしたり、服の後ろから火をつけて燃やそうとするなどとにかく悪質で…

 ですが使用人たちもエスピーナ様に家族の命を脅され従うしかなかったのです。

 そして…最後は……

 トリステル様は、エスピーナ様が連れて来た、何処の馬の骨ともしれない多くの野蛮な男達に慰みものにされました……

 それから精神的にもおかしくなられ…

 もう2度と陛下を愛さないと、憎しみのこもった目をしながら、この宮を去られました。」



 ———なんてことだ。



 全ての事実を聞いたアウトリタはその場に崩れ落ちた。



 トリステルを愛していた。

 しかし傷つけた。

 それは取り返しのつかないほど残酷な方法で。



 これまで闇雲に暴君として歩んできた。

 娘を歪めてしまったのは自分だと、アウトリタは自分のしてきたことを、心底悔やんだ。



 さらにエスピーナは、アウトリタが不在の間にトリステルの実家である辺境伯に冤罪をけしかけ、トリステルの父親や領民を処刑したという。


 それを僅か3歳の娘がしたのだ。



 間違いを正したのだ、それを褒めてくれと罪の意識もなく笑うエスピーナを見て、アウトリタはその場に崩れ落ち、涙するしかなかった。



 エスピーナを憎めない。



 これは、わたし自身の因果応報だ。

 歪んでしまったこの子を正すのは自分しかいない。



 トリステルを探さなくては。



 実家を失い、全てを失ったトリステルは、身を隠すために恐らく貧民街にいるだろう。



 その前にエスピーナを刺激しないためには、トリステルを探す仕草を隠し、貧民たちを大切にする仕草を見せてはいけない。


 

 この子にそれを悟られれば…

 必ずこの子は、わたしが愛を向ける誰かを躊躇いもなく殺すだろう。



 ——————



 全てを告白したアウトリタは、高い天井を薄暗い目をして見上げ、一文一句噛み締めるように続けた。



 自分と半分血の繋がっていたエスピーナと、母トリステルとの間に繰り広げられた、恐ろしい過去を聞いて、エステレラは驚愕した。

 


 「それから…わたしは……エスピーナの悪意が誰かに…向かないよう…、さらに暴君でいることを…続けた…

 トリステルに…悪いことをした。

 その罪は…一生消えないだろう…

 実家を失ったトリステルが…帰る場所がないのは分かっていたから…

 視察するふりをして…あの貧民街にトリステルが…いるのではないかと…彷徨っていた。

 あの日は…何かに勘づいたのか…エスピーナがついてきて…そして…馬車を引き返した。

 そこに…そなたがいた。

 トリステルと…瓜二つの赤茶色い髪に…わたしと同じ…赤い瞳を…したそなたが。

 エスピーナに…気づかれないよう…離れようとした…だがうまくいかなかった…

 運命だったのだろう…刺繍が得意だと聞いて…間違いないと…確信したよ。

 赤い瞳は…間違いなく…わたしの血を引いた娘だと…一目で分かった…

 …トリステルのお腹には…すでにお前がいたのだと…嬉しくて…」



 …あの当時を知る者は、この城にはほとんどいない。



 エスピーナに目を付けられる前に、城から関係者を追い出したからだ。



 けれど何の不幸かエスピーナの気まぐれにより、城にエステレラを招き入れてしまった。




 ローアルを玩具のように欲しがっているエスピーナが次に何をするのかが手に取るように分かった。

 間違いなくエステレラの命を狙うと思い、その日のうちに加護魔法をかけた。



 わたしの娘であり、トリステルの娘だと知られたら、さらに危険だろうと、皇女であることを明かせなかった。



 だが指を落とされたことで、裏でディーが動いているのだと知る。

 貧民街に帰しても、いずれエスピーナに殺されるだろう。

 だから無理やり皇女として側に置く方法しか思いつけなかった。



 同じわたしの娘たちであるのは変わりないのに、半分血の繋がった姉が、妹の命を狙うことの悲しさ。



 それを止められない無能な皇帝じぶん



 結局、わたしは全ての権力を手にしながら、愛する人を守ることもできなかった。



 トリステル————



 今どこにいる……?



 お前が産んでくれた娘を見つけたよ。

 可愛い娘だ。ありがとう。



 会いたい…

 今も変わらずお前を愛している。

 最期にもう一度お前に会いたかった…………



 「…へい、か?」



 エステレラが泣きそうな声で呼ぶ。

 アウトリタは自分の命の灯火がもう残されていないのだと悟りながら、心の中でトリステルを想い、強く願っていた。


 

 …もし…生まれ変わることができたなら。



 そこにお前がいたのなら。


 

 次こそお前を守るから……


 

 だから出会ったあの頃のように、笑ってくれないか…?



 「…エスピーナも…いつか心を入れ替えるのではないかと…きたい…し…愛し…て…

 トリステルも、そして、そなたも…エステレラ…わたしのかわいい…む……す……め」

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