近づく悪意④
ローアルは皇女に失礼のないよう、慎重に言葉を選びながら返事をする。
「ありがたいお言葉ですが、皇女様。
心配には及びません。僕は、この通り大丈夫ですので。」
「……」
体をこわばらせ、逃げ腰になるローアルを離すまいと、エスピーナはきつくその手を握った。
「…分かったわ。無理強いはしない、
ローアル。
だけど、わたくしはあなたの味方よ。
辛くなったらいつでもわたくしを頼ってね。
………また、お父さまがいない時に会いましょう。」
下がってもいいと言われたローアルはエスピーナに手を解放してもらい、ようやく緊張を解いて部屋を後にした。
それと同時に、先ほどまで女神のように優しい顔をしていたエスピーナの表情がぐしゃっと歪んだ。
————————
「フォンセ。」
「はい、皇女様…」
呼ばれて近づいたフォンセの顔に、エスピーナはパシン!と強めの平手打ちをする。
「まだ虐め足りないのではない…!?
あなたの虐め方がぬるい証拠よ?
もっとローアルをボロボロにしてくれないと困るわ。
もう助けてくださいと、もうわたくししかいないと泣いてすがるくらい、惨めに徹底的に傷つけるのよ、いい?
可哀想なローアルを助けてあげられるのはわたくしだけなのだから。
…それからディー。あなたもよ?」
部屋の隅に密かに控えていたディーは、黒衣を揺らし、エスピーナに深く頭を下げた。
抱えていた膨大な仕事を終えてようやく皇宮の皇女の元に出向いた。表向きは、そうだった。
「エステレラ。体を売らないと言ったそうね。
卑しい生まれの分際で。でも、いいのよ。
ね、ディー。あの方法でやることにしたのでしょう?」
「…その通りでございます。」
「いい。いいわ。
今日は断られたけれど、望んだシナリオに近づいていってるわ。
傷ついたローアルがわたくしに縋りつき、邪魔なあの子が壊れていく…そんな素敵な結末を、楽しみに待っているわね。」
その素敵な結末というものを想像したのだろうか。
エスピーナはいつもの勝ち誇った、恍惚とした笑みを浮かべた。
今回はなぜか皇女の思惑に気が引けて、仕事を理由にここを離れていた。
だが結局はディーはエスピーナに逆らえない。
やはりとんでもない怪物を相手にしているのだと、ディーは今更ながら思ってしまった。
◇
初めて給金を支給されたローアルは嬉しそうに布袋を握りしめ、暗くなってきた庭を軽快に歩いていた。
しかしその足を阻む者が数人、ローアルの前に現れた。
「ローアルよ。」
「…ポルコ管理長さま?」
肥満体質のポルコはその体をゆっくりと揺らしながら、ローアルの目の前まで歩いてきた。
「お前は常日頃、わしらに非常に迷惑をかけているだろう?
卑しい出自であるにも関わらず陛下に仕事を任されたくせに、ろくに保存食も作れず、品質の管理も適当。」
またいつもの嫌がらせかと、ローアルは身構える。
「そんな。僕は言われたことは全てやっております、任された仕事を適当にしたことは一度もございません。」
「いやいや、わしも他の者からそう報告を受けているのだよ。
そして、お前が仕事ができないせいで、他の者が迷惑をかけられていると聞いている。」
そこには、同じ食糧庫の品質管理を行なっているポルコの部下たちが数人、薄ら笑いを浮かべて並んでいた。
「迷惑をかけたんだから、迷惑料を払ってもらわないとなあ。なあ、お前達。」
「……!」
とっさにローアルは給金の入った袋を背中に隠したが、襲ってきた大人に数人がかりに押さえつけられ、地面にねじ伏せられた。
その後抵抗も虚しく、呆気なく給金を奪われてしまう。
「返してください…!!返して…!っ…!」
「心配するな、ローアルよ。この金はわしらが大切に使ってやるからな。
また来月までがんばって仕事をすれば、もらえるさ。……役に立たんがな。」
「ポルコ管理長、そう言ってまた来月もむしり取るんでしょ?」
「うん…?まあ、そうだな!」
「アハハハ!あんたひでぇ責任者だなあ!」
無理やり奪った袋を宙でブラブラと振り回し、ポルコ達は高笑いしながらその場を去っていった。
彼らにとってローアルは、家畜と同価値しかない。
残されたローアルは俯いたまま、血が出るくらい下唇を噛み締めた。
それからゆっくりと立ち上がり、ズボンの膝部分についた泥をはたいた。
軽快だったほんの数十分前とは違う。
足がただ、ただ、重く、引きずるように宿舎へと歩いた……
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