近づく悪意③


 ◇◇◇



 《北の皇女宮・エスピーナの私室》。


 

 エスピーナの私室はまるで一つの邸のような広さがあり、天井もはるか遠くに見えるほど高かった。



 縁を金の装飾で飾られた絵画、テーブルや、椅子、置かれた高級皮のソファや、宝石が並べられた硝子の棚、華やかな模様が施された銀のティーカップなど、どれを取っても眩く、豪華な部屋。



 宝石で彩られた、淡い薄紫色のドレスを着ているエスピーナ。

 そのすぐ傍には、皇室騎士団の制服を纏うフォンセが、訪れたローアルを睨むようにして立っている。



 部屋に入るなりローアルは、深く頭を下げた。

 目の前のエスピーナにどう接していいか分からず、見事な刺繍で彩られた足元の絨毯にしばらく目を遣った。



 「ローアル、久しぶりね。やっとあなたに会えたわ。」



 「…お久しぶりでございます、皇女様。」



 そのままローアルはさらに深く頭を下げる。



 「そんなに畏まらなくていいのよ、ローアル、まあ…こんなに痩せてしまったのね。

 かわいそうに。」



 顔を上げたローアルの頬に、冷たいエスピーナの手が触れた。

 驚いて離れそうになるが、フォンセの殺意に近い視線に気づいてローアルはぐっと堪えた。



 「今日はお父さまが視察に出かけていて、留守にしているの。

 ひどいでしょう?

 お父さまは今だに、わたくしとあなたの接触を許してくれないのよ。」



 ローアルの柔らかい頬を撫でまま、エスピーナは悲しそうな表情を浮かべた。

 美しく手入れされた金糸のような髪が、サラサラと揺れる。



 「皇帝陛下のお気持ちは分かります。

 僕のような者のそばに、大切な皇女様を少しでも近づけたくないのでしょう。」



 当然だ、という風にローアルはさっと目を伏せる。



 「何を言うの?ローアル。

 確かにあなたは下賎なスラム街の出だけれど…

 あなたの見た目は完璧だし、まるでおとぎ話の王子様だわ。

 完璧なわたくしの隣に立つのは、あなたしかいないのよ。」



 「皇女様にそんなふうに言ってもらえて…身に余る光栄です。」



 「…最近、騎士団や、貴族の子息達に冷たくされていると聞いたわ。

 かわいそうなローアル。

 ここにいるフォンセは皇室騎士の副団長だけれど、貴族たちの差別を止めるのは容易なことではないと、彼も胸を痛めていたのよ。」



 その言葉にピクリと反応して、ローアルは自分の上司であるフォンセの方をちらりと見た。



 彼らの卑劣な行いを先導しているのは、実はフォンセ自身だということを知っている。

 しかし彼は皇女の専属騎士であり、騎士団の副団長を務める、正真正銘の貴族。

 そんなフォンセに絶大な信頼を寄せているエスピーナに事実を言ったところでどうにもならない、とローアルは何もかも諦めていた。


 

 「本当にかわいそうな、ローアル。

 体も傷だらけだわ。

 わたしくしのそばに居さえすれば、こんなに傷だらけになることも、嫌がらせを受けることもなかったのに。」



 今度はローアルの両手を拾い上げるようにしてエスピーナは、ポロポロと涙を流した。

 その潤んだ瞳で見ながら言った。



 「ローアル。わたくのものになると言いなさい。

 そうすれば、わたくしがあなたを全力で守ってあげるわ。」



 「皇女様…」



 「身分のせいで虐められるのは、辛く苦しいことでしょう?

 あなたがわたくしの側にいたいと言いさえすれば、わたくしがあなたを特別な王子様にしてあげる。」



 優しい口調でエスピーナはローアルに近づき、囁いた。

 その距離はキスできそうなほど近かったので、ローアルは顔を真っ赤にして目を逸らした。

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