魔術師ディーの罠⑦


 ◇



 エスピーナ皇女の計画のために、ディーは使用人塔の庭でエステレラを待ち伏せしていた。

 そうして計画通りエステレラの欲を聞き出し、罠へと誘導した。


 そこまでは順調に思えたのに。



 「それは私に、侯爵様の妾になれということでしょうか?」



 驚くことにエステレラは、提案の肝心な本質をあっさりと見抜いた。



 鋭い娘だ、とディーは思う。



 確かにエステレラのいう通りだ。

 要は少女好きの変態な侯爵に体を売って、ローアルに平民以上の身分を買い与えてもらえ、という意味だった。


 

 実はディーはこれまでも、皇女を支持する貴族達に、似たようなやり口で少女達を売ってきたことがある。


 身寄りのない少女、お金が必要な少女。

 中には皇女に目をつけられた貴族の娘達もいた。

 家門を潰すと脅し、親を人質にしたりして従わせたこともある。


 

 さっき言った少女達は幸せに、というのは実は真っ赤な嘘だった。



 これは人身売買であり、国内で禁止されている犯罪である。

 アウトリタ皇帝陛下に見つかれば自分も、少女らを買った貴族達の立場も危うい。



 そのため売り払った少女達は、人目に晒されないよう共通の地下牢獄で、ずっと監禁されて生きている。

 玩具にされ、もはや生きるのも辛いと思うような地獄の中で。



 皇女に仕えてからずっと。

 ディーはその大半を、エスピーナ皇女という怪物のために手を染めてきた。

 


 皇家のため。皇女のため。そう思ってしてきたことの殆どが常軌を逸している。

 だから今では自分の行いが何のためであるのか分からないし、繰り返される悪事によって善悪の区別も麻痺してもいる。



 きっとこの素直なエステレラも、好きなローアルのために「行く、そして、ローアルの身分を約束させる」と言うだろう。



 いや、言って貰わなければ困る………



 皇女は、皇帝の加護によって物理攻撃も魔力も効かないエステレラを、自ら傷つけるように仕向けたいのだ。



 そうしてボロボロになったエステレラからローアルを取り上げる。

 そういった筋書きをお望みなのだ。

 何から何まで皇女の考えが分かってしまう自分もまた、恐ろしい怪物だ。



 だが、ディーに思ってもみなかった反応が返ってくることになる。




 「ディー様は、何が苦しいのですか…?」



 一瞬耳を疑い、罪悪感から無意識に逸らしていた顔をエステレラに向けた。



 「苦しまれていらっしゃるのではありませんか?

 確かこの国では人身売買は禁止されています。

 帝国一の魔術師様がそれを知らないはずがありませんし…

 もしイヤなことを強要されているのなら、すぐやめられた方が良いと思いますよ。」



 「な…っ。そんなことはない!」



 無性に頭が冷えた。珍しく焦りを感じたディーは今度はしっかりとエステレラを見つめ返した。


 

 きめ細やかで、まるで織物のような赤茶色の髪が靡いている。

 それに炎のような赤い瞳がはっきりと月明かりに照らされて、哀し気にこちらを見ていた。

 凛と佇む彼女には、不思議と人を引き込む魅力がある。



 確かに赤い瞳は珍しい。

 皇帝がなぜこの少女を特別扱いするのかが不思議でたまらなかった。

 だが今から分かる。

 この皇族のような、不思議な雰囲気を纏うせいなのではないか。



 「ディー様のお顔が、どうしても悲しそうに見えるのです。

 仮にその少女達が本当に幸せになっているのなら、もっと嬉しそうにするはずではありませんか?

 そして、私の返事はノー、です。

 私は体は売りません。

 …売らないと決めているのです。」



 

 エステレラから強い拒絶を感じたディーは、態度には見せないがひどく困惑していた。



 困るのだ。話を受けると言ってもらわなければ。



 「ならどうする?

 他に君には何もないじゃないか。それじゃあ大好きなローアルを救うことはできないよ。」



 ディーは珍しく口調を荒げた。

 衝動的に大人しく体を売ればいいのにと、苛立つ。

 最悪それならまだ、マシな地獄だと言いそうになる。



 でもー。



 「体を売る以外なら、肉体労働でも何でもします。

 わがままは承知しています。

 ですがもし叶うのであれば、どうかそれ以外の方法を教えて下さい。ディー様。」





 …頭が痛い。

 こんなに気分が悪いのは初めてだ。

 ディーは目の前の無謀な少女に腹が立った。



 怪物である皇女は、皇帝に加護されて無敵と思われるエステレラを攻撃する方法を、いくつも導き出していた。


 

 まず初めに、ローアル自身を傷つける。

 身分を持たない、貧民出身のローアルを傷つけるのはたやすい。

 また貴族達は貧民に対する差別意識があるため、放っておいてもローアルを傷つける。

 実際そうなった。



 そして傷ついたローアルのために、エステレラは自身ができることを考える。

 そこにディーが皇帝の加護の影響を受けない、精神操作の魔術を用いて救済の手を差し伸べる。

 それが計画の一つだった。



 その魔術は先程庭で再会した直後に発動させ、エステレラはそれに容易くかかった。

 指を鳴らしたあの時だ。



 願望を引き出す術。悪魔の手と言ってもよい。



 実は皇帝の加護は完璧なようで欠点がある。

 それは本人が意図せず、命の危機に直面した場合にのみ発動することだ。

 つまり、加護を受けている人間が自分の意思で自分を傷つける場合、自分の意思で他人から傷付けられる場合は発動しない。



 つまり皇女はそれを狙っていた。



 仮に侯爵に売り渡したとして、自分の意思だとアウトリタ皇帝の加護が働かず、エステレラはただ体を汚されることになる。



 ディーの使う魔術は強力で、一度かかってしまえばその願いが叶うまで解けることがない。

 これは術をかけた人間の魔力量にもよるが、ディーの場合はディー本人が死ぬまで解けないほどに絶大だった。



 だから心と体はボロボロになるかもしれないが、比較的まだマシな地獄だと思われた侯爵の妾の件を提示したつもりだった。



 賢くもあり、愚かであると思う。

 この少女は死にたいのだろうか?



 躍起になるように、ディーは今度こそ冷たくエステレラに言った。



 「ならば文字通り、君の体の一部を売買するんだ。」



 「体の一部を…ですか?」



 よく分からない、と言った具合にエステレラの体がピクリと反応して跳ねた。

 


 「我々魔術師の世界には、人の体の一部を取引して望みを叶えるという術が存在している。

 だがそれもまた法に触れる禁忌だ。

 でも、君が望むのなら手伝ってやらないことはない。」



 「……」


 

 頷くな、と思いながらディーはエステレラの返事を待つ。

 これまで人として外れた行いをしてきたディーにも、一欠片の良心があったことを思い知る。

 しかし期待もむなしく、エステレラは深く頷いた。



 「もし叶うならその方法を教えてください。

 ディー様。どうか、お願いします。」

 


 最悪だ。ディーは言葉を失った。



 それは魔術師であるディーにとって、一番避けたい方法だった。

 それもまた、エスピーナ皇女が思い描く最悪のシナリオの一つだったのだから——————




 




    

       ◆登場人物◆




 【ディー・ハザック・ストレーガ】…帝国一の魔術師。


 ディー・ウェールズ語:意味:黒

 ハザック・イタリア語:意味:魔導士

 ストレーガ・ヘブライ語:意味:強い

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