魔術師ディーの罠⑤



 あまりに酷いローアルのケガを見て、私は泣いていた。



 顔は地に伏せていたため、泥汚れだけだったというが。

 背中には剣や拳で殴打された傷が残り、皮膚が腫れ上がり、皮がめくれていた。



 「ひどすぎる!何でこんなことをするの!?」


 

 「泣かないで。エステレラ。

 僕は大丈夫だから、ね?」



 「どこが!ひどい奴ら!

 よってたかってローアルにこんなケガを負わせて、人間のクズだわ!絶対許せない!」



 その夜。ローアルがひどい暴行を受けたことを知って、私は散々泣いた。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をして、ベッドに座らせたローアルの背中の傷の手当てをしながら、悲しみと怒りが抑えられなかった。



 しかも背中の傷だけではない。

 両手足には無理やり押さえつけられた跡があり、それが青アザになってしまっていた。



 本来ならローアルは綺麗できめ細やかな肌をしている。それがこんな。

 なぜ優しいローアルが、こんな目に遭わなければいけないのか。



 ローアルが一体、何をしたっていうの?

 理不尽よ。

 この城にだって無理やり連れてこられたのに。




 「大丈夫だよ、本当に。

 それよりもエステレラこそ何もされてないの?

 この前は皇帝陛下、そしてその次には魔術師様に呼び出されて。

 本当に心配したんだよ。」



 治療中だったので、顔だけをこちらに傾けながらローアルはそう尋ねてくる。



 「私は大丈夫だよ。幸いにもお二人とも、お優しかったの。不思議だけれど。」


 

 皇帝陛下と過ごした最初の夜と、ディー様と過ごしたあの時。

 身構えていた割に、拍子抜けするほど傷付けられるようなことはなかった。



 「僕は…君が大事だから。その…」



 そう言ってローアルは、いつもの様に恥ずかしそうに俯いてしまう。



 「ローアルだって、私にとってもすごく大事な人だわ。

 それに大丈夫だって言うけど…

 皇室騎士団に入るのはずっとローアルの夢だったでしょ?」



 使用人が使える消毒と塗り薬での治療を終えて、替えのシャツを着直させる。

 後ろからローアルの傷跡を慈しむように、私は彼の肩にそっと手を置いた。



 「本当は悔しいんでしょ?ローアル。

 剣さえ握らせてもらえれば、実力を試せるのに、それさえさせてもらえないんだもんね。

 悔しくないはずがないよ。」



 「……」



 「ローアル。私には本音を言って。」



 後ろを向いたローアルの肩がピクリと揺れる。



 「…悔しいよ。」



 「うん。」



 「何で身分なんてものが存在するんだ。」



 「うん…」



 「自分がスラム街で育ったことを、こんなにも悔しいと思ったことはない。」



 「悔しいよね。」



 「僕は…悔しいんだ。エステレラ」



 背後から逞しくなったローアルを、ケガを避けながらそっと抱きしめた。



 「……っ。」



 肩を震わし、ローアルが泣いている。




 今まで私に、一度も涙を見せたことのないローアルが。

 声も上げずに、押し殺すように。

 そうして気がつけば、私も一緒に泣いていた。



 この帝国の身分制度が憎い。

 私達はいまも、この城から出ることを禁止されている。

 もし逃げたら厳しい罰が下される。



 だからここで、頑張るしかないのに……



 これ以上、大好きなローアルが傷つくのは見たくない。



 ローアルのために、何か私にできることはないの?

 愛しいローアルのため。

 こんなちっぽけな私でも、どうにかして彼の役に立ちたい。


 

 彼のためなら何でもするわ。

 だから、どうか……………







 ———眠れずに宿舎の裏口から外庭に出た。



 そこは使用人塔の、ごく小さな庭である。

 丸く白い満月が夜闇の庭を照らしていた。

 トルメンタ帝国は1年を通して寒い国である。

 今は秋だが、もうすぐまた雪が降るだろう。



 使用人の薄手の制服では夜はとにかく寒い。

 吐く息が白さを増してきたため、私は宿舎に戻ろうとした。



 「ディー…様?」



 そこには、黒装を着たディー様が佇んでいた。

 オッドアイの瞳と、ローアルのそれとはまた違う銀色の髪。

 それらが月明かりに照らされ、キラキラと輝いていた。

 その姿はまるで一枚の美しい絵画のようだった。

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