魔術師ディーの罠③

 頬にかかった、銀糸のような美しい銀髪を耳にかけ、ディーは品よく頭を下げた。



 「はい。

 エステレラにかけられているのは間違いなく、アウトリタ皇帝陛下の《加護》でございます。」



 「…そう、それで?」



 「はい。残念ながらわたしの力で持ってしても、彼女の加護は破壊することができませんでした。」



 申し訳ありませんと胸元に手を当て、ディーはもう一度頭を下げる。



 それを聞いたエスピーナの隣で、フォンセが昨夜のことを思い出し、顔を歪めた。



 「なぜ!皇帝陛下のお考えが分からない!

 なぜあんな貧民の娘に…!」



 解せないと言わんばかりにフォンセは声を荒げる。

 それを横目に、エスピーナが再度ディーに尋ねた。



 「ならば、これ以上、あの少女に物理攻撃も魔力も効かないと言うのね?」



 「はい。おっしゃる通りです。

 アウトリタ皇帝陛下の魔力は帝国一です。

 それを上回る魔力を持つ方は、現在おそらくこの世にいらっしゃらないでしょう。

 残念ながらわたしもお力にはなれません。」



 淡々とした口調でディーが言い終えると、エスピーナは分かりやすいほど怒りで震え、ドレスの裾を強く掴んだ。



 「そう。なぜお父さまが……

 とにかく。ディー。

 物理的にも魔力的にも効かない相手なら……

 何を持ってすればそんな相手を排除できるのだと、お前は思う?」



 エスピーナの鋭い問いかけに、ディーはしばらく考え込む。

 程なくしてから、また淡々と口を開いた。



 「そうですね。

 だとすれば精神攻撃をしてみてはいかがでしょう。

 エステレラにとって大切なのは、皇女様が気に入っているあのローアルという少年ですよね?

 それを弱点として、揺さぶるのです。」


 

 「やっぱり?そうよね、さすがディーだわ!

 帝国一の魔術師!皇族の血を引いたストレーガ家の末裔よね!

 …そうね。

 けれどわたくし、男を横取りした悪女みたいになってしまうのはイヤ。

 わたくし、どうしてめローアルにだけは嫌われたくないの。」



 まるで悲劇のヒロインのように、エスピーナは出てもいない涙を拭く仕草をした。

 


 「ディー。あの少女はローアルのためならなんでもすると思わない?

 そう、ローアルのためにその身を捧げてしまうような、ね?

 分かるかしらディー。

 あの子が自分を傷つけるように仕向けるのよ。

 この意味…………

 賢いあなたなら分かるわよね?」



 エスピーナは恍惚とした笑みを浮かべて、醜悪な眼差しをする。

 その意図に気付いたディーは、眉をわずかに吊り上げた。



 これまでにディーは、エスピーナのこの顔を何度も見てきている。



 何かを企てたとき、優越を感じたとき、欲が満たされ、快感に震えるとき。

 よくエスピーナはこのような顔を見せた。



 「はい。皇女様が望むのであれば、わたしも最大限手を尽くしましょう。」



 下卑た企てと知りながら、迷いもなくディーは再びエスピーナに深々と頭を下げた。



 これまでも、代々のストレーガ家が皇家の忠臣であったように、ディーも同じく忠誠を誓っている。

 そしてエスピーナのために、ディーはこれまでも口に出すのもはばかられるような、恐ろしいことを裏でやってきた。



 しかもそれは、皇帝の預り知らないところで行ってきた。

 皇帝に溺愛されているエスピーナのために。

 何度も、何度も。



 それゆえにディーは、公爵、そして帝国一の魔術師という誇り高い地位があるにも関わらず、自分のことを汚いと感じていた。

 それほど悪事に、もうすっかり慣れてしまっていたともいえる。




 ◇◇◇



 ———アウトリタと狩猟に出かけたローアルは、御前で見事な雄鹿を仕留めてみせた。



 そのこともあり、エステレラとローアルは正式にこのトルメンタ帝国の皇室に尽くす従者として、召し抱えられることになった。



 エステレラは皇室に美しい刺繍を献上する専属女中として、ローアルは狩猟を特技とする国庫管理の従者として、それぞれに職が与えられた。



 加えて言えば、日々使用人としての雑務をこなしながら、エステレラは皇室に納めるための刺繍を編んだり、貴族のレディが学ぶ礼儀やしきたりなどを学んだりする。



 一方ローアルの方は、皇帝や貴族の狩猟を補佐したり、仕留めた肉の保存食作り、備蓄管理をするなど、主に国の食糧庫の管理の一部を担い、合間に騎士の訓練や教育を受ける。



 つまり二人はこれまで前例のない、貧民が皇室で働くということに加え、教育という恩恵まで与えられることになったのだ。



 しかし、それをよく思わない者も当然いた。



 狡猾なエスピーナはまず、それを狙った。

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