幸せだった③

 しかし私が驚いたことに驚き、ローアルは慌て大丈夫だよと訴えた。



 「今日の訓練で、師匠と本気でやり合ったら、剣が腕を掠めてしまったんだ。

 けれど手当もしたし、本当に大丈夫だよ。エステレラ。」



 罰が悪そうに、ローアルは負傷した右腕を隠そうとする。



 「もうっ!ビックリした、心臓止まるかと思った!

 あれほど無茶しないでって言ったのに!」



 「ごめん、エステレラ。でも本当に大丈夫だから、ね?」



 少し気まずそうに、ローアルは負傷してない方の手で私の頭をふわりと撫でた。

 そうされることに弱い私は、単純で、すぐに怒ることをやめる。



 「はあ。まったく、師匠は。

 いくら日に日にローアルが自分より剣術の腕が上がっているからと言って、まさか本気を出すなんて。」



 「ハハハ……。」



 呆れたように私がため息を吐くと、ローアルはやっぱり気まずそうに苦笑いをした。


 

 商業ギルドで出会った、ローアルに剣を教えてくれる師匠。

 以前皇室騎士だったという彼は、とても気さくな老紳士だ。

 嫌いじゃない。けどこの場合は正直大人げないなと思う。


 

 こう見えてもローアルはまだ、あどけなさが残る少年だ。

 今度会ったら、気をつけるように強く釘を刺しておかなきゃ。



 ——————


 確かにローアルの傷はさほど深くはなかった。

 だけど簡易な手当だったため、煮沸した清潔な布で患部を拭き、薬を塗り、新しい包帯を巻き直した。



 剣が肌を掠めただけとはいえ、そこから感染症を起こしてしまうかもしれないから。



 「もうっ。傷口が完全に瘡蓋かさぶたになるまで剣の稽古はお預け。

 私がしっかり見張るから、覚悟してね。」



 私は怒りを思い出し、ベッドにローアルの肩を押しつけて座らせた。

 するとなぜか、ローアルは面白そうに笑った。



 「?」


 「君にこんなに心配されるなんて。

 たまにはケガするのも良いもんだね。」



 「!?」



 奇妙なことにローアルが嬉しそうに笑ってる。

 美しい薄紫色の瞳に、私の姿が映った。

 ローアルはいつも感情を簡単に表に出す人ではない。

 不意打ちを食らい、私はすぐに顔を赤くした。



 「ん?私は怒ってるのよ?」



 「分かってるよ。」


 

 そう言いながらも、やっぱり嬉しそうにローアルは笑う。



 「うん?何が分かってるの?」



 「秘密。」



 反省しているようで、実は私をからかっているようにも聞こえる。

 ちょっと納得できなくて、頬を膨らませながらじっとローアルを見つめた。



 本当にずいぶん成長したなあ、と思う。

 出会ったあの日は互いに男女の違いも分からないくらい、小さく痩せ細っていたのに。



 身長はとっくに私を追い越し、筋肉もついた。

 華奢だった身体は硬くなり、喉仏も出た。声もちょっと大人っぽく変わった。



 凍傷で腐る寸前だった手足は、今では健康的な肌色で、大きくたくましくなった。

 ゴワゴワした、どこにでもいるような赤茶色の髪をした私とは違い、さらさらとした銀色の綺麗な髪の毛。



 あと、垂れた眉毛がとても愛らしい。



 「エステレラ。あの雪の日に、君に出会えて本当に良かった。」



 ローアルは目線をあげて、私の頬をそっと撫でた。温かい手。

 あの日を思うと、今でも胸が熱くなる。



 「こちらこそだよ、ローアル。

 私を助けてくれて。私を、あの時見つけてくれて、本当にありがとう。」



 「ううん。こちらこそ僕と出会ってくれてありがとう。

 ねえ、エステレラ。僕は……」



 「……?」



 何かを言いかけて、ローアルは恥ずかしそうに目を伏せた。



 時々、彼はこうやって言葉を飲み込むクセがある。

 言葉の続きは気になるけど、無理に言わせる必要はない。

 言いたくなった時に聞ければそれで十分だ。



 「エステレラ。僕たちは月と星だ。離れることはないよね。きっと。」



 耳を澄ましてようやく聞き取れるほどの声で、ローアルが呟いた。それに私は心の中で応えた。



 うん。私もそう思うよ、ローアル。



 私たちは運命のように出会い、当たり前のように一緒にいたよね。


 

 優しくて、けれど隠れた芯の強さを持っている。

 そんなあなたが、私はとても大好きよ。



 暮らしはまだまだ貧しいけれど、お互いに助け合って、時にケンカしながら許し許され、互いを尊重し合う関係。



 あなたといるだけで穏やかで、毎日とても満たされる。



 私は今でも十分幸せよ、ローアル。



 だから私達はこのまま大人になって、当たり前のように結婚するんだろうと思っていた。

 でも………




 『お父さま。

 わたくし、この子を飼いたいわ。』



 

 その一言が、全てを引き裂いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る