第68話
ついにこの日がやってきた。
家族との再会を控えたベアトリクスは、とても緊張していた。
「何年ぶりかしら。……五年は経っているわね」
ルシファーの呪いを受けてゴミ屋敷令嬢となったベアトリクス。両親はゴミ屋敷化した自宅を彼女に譲り渡し、以降は郊外に別宅を借りて住んでいる。馬車で乗り付けたベアトリクスは、門の前で深呼吸をしていた。
「……さあ、いきましょう」
ぱん、と両手で頬を挟む。
変な目でこちらを見ていた門番に取次ぎを頼めば、すぐに中へ案内された。
初めて来る別宅に緊張感が増す。しかし、応接室に入るなり何者かにがばっと抱きしめられた。
「ああベアトリクス! わたしの娘! ようやく会うことができたわ!!」
「かあさま……?」
なつかしい匂い、なつかしい柔らかさ。そして小鳥のようなかわいらしい声。間違いない、イサベラ母さまだ――。ベアトリクスは、じわりと心の奥底にある何かが溶かされたような気がした。
「よく帰ったな、ベアトリクス」
背中越しに、低く落ち着いた声が聞こえる。セルギウス父さまだ。ひょいと顔をずらしてみれば、最後に会った時より白髪が増えているものの体つきはたくましいままで、表情も健創そうだ。
母さまも、皺は増えているが相変わらず美しい。涙をいっぱいに浮かべて微笑んでくれる姿は、照れくさいけどすごく嬉しいものだった。
感染症が流行り、国が乱れていたけれど、二人とも無事に乗り越えられたことを神に感謝した。そして多くの貴族のように逃げることなく、国にとどまって民を助けたことを娘ながら誇らしく感じた。
ベアトリクスはイサベラから離れ、礼をとる。
「只今戻りました。長らくお目にかからず、勝手に過ごしていましたことをお詫び申し上げます」
「いいのよ! こちらこそ、ずっと謝りたかったの。ベアトリクスには辛い思いをさせたわね」
立ち上がるよう促される。
そして、そのまま三人で椅子に腰かける。ああ、懐かしい。昔は兄さんたちも合わせて、みんなでこうして食卓を囲んだっけ――。ベアトリクスは懐かしい気持ちでいっぱいだった。
「イレナのことがあってから、私も母さんも焦っていたのかもしれない。おまえを立派な淑女にしようとして、結果的におまえの気持ちを無視し、無理を強いてしまった」
悪かった、とセルギウスは頭を下げた。
「いいんです。父さま、頭をあげてください」
思いもよらない展開になり、慌てるベアトリクス。なにしろゴミ屋敷令嬢になっていたことを誹られるつもりで来たのだから、頭を下げるのは自分であるべきなのだ。どうしてこういうことになっているのだろう?
「わたくしの方こそ謝るために来たのです。ゴミ屋敷令嬢の親だと言われ、嫌な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ないことだと思います」
「そんなこと、いいのよ。あなたの考えていることはわかっていたわ」
「えっ」
驚きに目を見張ると、イサベラはにっこりと微笑んだ。
「責任感と正義感の強いあなただもの。理由なく家に泥を塗るようなことはしないと最初からわかっていたわ。……この国を綺麗にしようとしていたのよね」
「かあさん……っ!」
全て、わかってくれていた――――?
隣に座るセルギウスも大きく頷いている。
「母親だもの」
その言葉で、ベアトリクスはこらえきれなくなる。瞳からは大粒の涙があふれ、やがて嗚咽に変化した。
両親は最初からベアトリクスを信じ、理解し、応援してくれていたのだった。自分たちが娘にした過ちを反省し、気持ちの行き違いに心を痛め、いつか戻ってきてくれることを願っていたと。ぽつりぽつりとそんな話を聞かせてくれたのだった。
◇
互いの気持ちを理解し、家族が一つになったところでベアトリクスは切り出した。
「あの……。このたび、ルシファー陛下と結婚することになりました。お許し、いただけますでしょうか」
「もちろんいいわよ。だめって言って大魔法使い様の恨みを買うのはごめんだわ」
茶目っ気たっぷりにイサベラはおどけてみせる。
しかし、対照的にセルギウスは苦悶の表情を浮かべている。
「あの、父さま……?」
「くそ……ベアトリクスが嫁に行くのか……」
なにやらぶつぶつと呟いている。こめかみに力が入っているようで、青筋が浮き出ている。
「ああ、気にしないでね。一人娘がお嫁に行くのが辛いのよ。反対ってわけじゃないわ」
「はあ」
強くて紳士な父さまが挙動不審だ。こんな姿見たことがない――ベアトリクスは目を見張った。
そして自分が思っていた以上に両親はわたしのことを娘として愛していてくれたのだなあと、ようやく気が付いたのだった。
今後は定期的に会いましょうね。――イサベラとそんな約束をしてベアトリクスは屋敷を後にした。
長年心にひっかかっていた問題が、思ってもみなかったいい形で解消された。馬車の窓から見る夕焼けのなんと鮮やかなことか。世界がいっそう素晴らしく、美しいものに思えた。
そんな美しい世界を楽しみ、守り、後世に引き継いでいくために。明日からもゴミ拾いを頑張らなきゃね。――ベアトリクスはそう決意するのだった。
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