第67話

グラディウス王国にルシファーとベアトリクスが帰還して、およそ一年が経ったころの話である。国のゴミはかなり片付いてはきたものの、民の混乱は続いており、新王をはじめとして善良な貴族たちは国の立て直しに忙しい日々を送っていた。


 この日ベアトリクスとミカエルはいつものように街のゴミを拾い、助けが必要な民に声をかけて回る予定だったのだが――――。


 ベアトリクスは柄にもなく緊張し、ゴミ屋敷の片隅で縮こまっていた。


「ど、どんな顔をしてお会いしたらよろしいのかしら……! ああもう、まだ何も成し遂げていないのに。でも、やっぱり、このタイミングでご挨拶に伺わないというのもそれはそれで不義理を重ねることになるわ……っ!!」


 ぶつぶつと呟いたのち、わあっと両手で顔を覆う。

 常に明朗快活なゴミ屋敷令嬢・ベアトリクス。しかし、最近はこのように弱音を吐くことが増えていた。

 側に立つミカエルが猫撫で声を出す。


「では、結婚を取りやめましょう。そうすれば、ご実家にご挨拶に伺わなくて済みますよ」


 にこりと優しく笑いかけるも、その台詞は穏やかでない。


「うん、そうね……。いっ、いえ! ミカエル様。それはそれで嫌ですわ。ルシファー様と結婚はいたします。しかし、いざ実家への訪問日が決まってしまうと、心穏やかではいられなくなってしまって……っ」


 膝を抱え、近くに落ちている棒切れでゴミ袋をつつき出すベアトリクス。

 唇をとがらせる彼女はまるで駄々っ子のようで、彼女よりいくらか年上のミカエルはその様子を微笑ましく思う。


「……大丈夫ですよ。ブルグント伯爵ご夫妻は善良なお方だとギルドでも評判です。国の危機を救ったベアトリクス様のことを誹るはずがありません。きっと、お帰りを今か今かとお待ちになっているかと」

「そ、そうかしら……」

「もちろんですよ」


 過去のとある出来事が原因で、自ら実家を出ていったベアトリクス。自分が成功するまでは実家に戻ることができないと思っていたのに、国王ルシファーと結婚することになったため、実家へ挨拶に行くことになったのである。


「でも……やっぱり……まだ合わせる顔が……!!」


 いったんは気持ちが上向いたものの、再び頭を抱えるベアトリクス。質実剛健なゴミ屋敷令嬢であるが、実家のこととなると弱気になってしまうようだ。


 ミカエルは笑顔を張り付けたまま彼女の顔に口元を寄せ、言葉を続ける。


「――もしご結婚を反対されたなら、わたしと楽しく暮らしませんか。きっとそれも悪くないですよ」


 ベアトリクス以外の令嬢が聞いたのなら、誰もが縦に頷くような誘惑である。なにせ彼は冒険者の最高峰に位置する「SS級」の称号を持ち、王族に負けるとも劣らない美丈夫なのだから。

 冗談にしては真面目なトーンで伝えると、ベアトリクスは一気に頬を染め上げる。


「ちょっとミカエル様! お戯れが過ぎますわよ!」


 持っていた棒切れで、勢いよくミカエルの脛を叩く。

 所詮は令嬢の力であるが、飛び出した小枝の部分が刺さったようである。


「あっ…………!!」


 小さな悲鳴を上げてミカエルはうずくまった。

 しかし、大したダメージではないのは丸わかりである。邪悪な魔物と日々対峙している彼が、小枝の刺激くらいで悲鳴を上げるなんてあり得ない。

 だから、これは演技だ。そう感づいたベアトリクスは立ち上がり、ねぶるようにダンゴ虫のようになっているミカエルを見下ろす。


「わたくしをからかっているのね? もう。悪い冒険者様なんだからっ!」


 からかわれた仕返しとばかりに、ベアトリクスは背を丸めているミカエルの身体をあちこちつつき始めた。上質そうな衣類であるが構わない。ゴミ拾いに着てくるぐらいだから、これでも彼にとっては普段着以下なのだろう。


「えいっ! えいっ! ふふふっ、どうですっ!? わたくしをからかうと、このような恐ろしい目に遭うのですよ!」

「あっあっあっ」


 小刻みに体を震わせるミカエルに、あらくすぐったいのかしらと思うベアトリクス。銀色の美しい髪が白い上質な生地の上をさらりと流れてゆくさまを見ながら、もう少し力を込めても大丈夫そうねと思う。


「やあっ!」


 ぶすっ、と音が聞こえそうなくらいの勢いでミカエルの太腿に棒切れを突き立てる。


「ああ…………っ!!」


 途端、ミカエルは自分の両腕を掻き抱きながら、恍惚とした表情を浮かべた。

 金色の瞳は潤み、頬は上気して桃色に染まり、口元は幸福そうに緩んでいる。


「あら? おかしいわ。結構力を入れたのに、ミカエル様ってば全然効いていないみたい」


 ミカエルの表情は痛みを感じているものではない。むしろその逆に見えるけれど、木の棒で突かれて快感な訳がない。つまり、彼はまだ演技を続行しているのである。

 どことなく悔しくなってきたベアトリクスは、これでもかというくらいの力でもって、彼の身体をつつきまくった。


「あっ! あっ! そ、そこ……! くっ……まずい…………あっ、はあ……っ!!」


 さすがに全力でつつけば痛いらしい。恍惚とした表情が少しだけ歪んできたことから、ベアトリクスは化けの皮がはがれてきた手ごたえを感じる。棒切れを突き立てると面白いように身体が跳ね、その後ぶるぶると小刻みに震える様子が奇妙で面白い。


「もうっ。変なご冗談を言うからですわよ。これに懲りたら、たちの悪いお戯れはお止めくださいね」


 ――返事はない。顔を床に向け、身体を丸めたミカエルは応答できないくらい参ってしまったようだ。

 銀色の髪の隙間から見える首は真っ赤になっている。そこはつついていないけれど、ダメージを我慢したために身体全体が赤くなってしまったのだろう。

 SS級冒険者を懲らしめることに成功したベアトリクスは大いに満足した。そして突然我に返る。


「まあ。わたくしってば、何をしていたのかしら。ああもう、ゴミ拾いに行く時間だわ。ではお先に出発していますから、ミカエル様も早くいらしてくださいませね!」

「……………………」


 悩んでいた心が霧が晴れたように軽い。実家訪問も、きっと何とかなるだろう。ベアトリクスは前向きな気持ちになり、ある種の達成感を感じていた。

 軽快な足音を立てて、彼女は玄関ホールから外へ飛び出していった。


 ◇◇◇


 ――その日から、ミカエルはたびたびベアトリクスをからかっては怒らせるようになる。それは彼女が王妃になってからも変わらなかったとか。

 二人の「たちの悪い冗談」「お仕置き」の応酬を目にするルシファーだけが、「何なんだよこれ……」とぼやき、何のメリットも感じていないのだった。

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