第63話

剣と魔法の国、グラディウス王国は平穏を取り戻した。


 新たな王は、かつて最も辛酸をなめた第四王子ルシファーである。そして王妃は、こちらもゴミ屋敷令嬢と蔑まれたベアトリクス・フォン・ブルグント伯爵令嬢である。

 知性と行動力を備えた王と王妃は、戦争で国土を広げることよりも国内の発展と民の幸せを重視した。ゴミ処理場を建設し、上下水道を整備。誰もが平等に医療を受けることができ、最低限の生活を保障される仕組みを作った。どん底を味わった国民はこれを大いに歓迎した。


 また、宰相には国民的英雄であるミカエルが抜擢された。国の危機においても勇敢に民を助けたことから、貴族よりも貴族らしいと国民の評判は上々である。持ち前のフットワークを生かし、国内の視察に日々忙しくしている。

 平民から成り上がり、富も名誉も手に入れたミカエルであるが、しかし奇特なことに、彼が最も嬉しそうな表情をするのは王妃に叱咤されているときだという目撃情報が多数上がっている。


 また、王妃の盟友であるカロリナ元侯爵令嬢は女だてらに副宰相に就任した。女性の社会進出の第一歩だと、こちらも女性を中心に大きな支持を得ている。夫ユリウスはかつて騎士団長を務めていたものの、今は王の命により僻地へ単身赴任中である。カロリナの取り成しがあれば穏便な措置が取られたはずだが、それが無かったところ、何か夫婦の間で問題があったのだろうと噂されている。


 ◇◇◇


 ベアトリクスが王城の庭園で休憩していると、ルシファーがやってきた。


「ベアトリクス。ここに居たのか」

「ルシファー様」


 艶のある黒髪は陽の光を受けてきらめいていて、こちらを見るアメシストの瞳には穏やかな慈愛の色が満ちている。即位した当初は国の立て直しに奔走していたが、この頃になってようやくゆとりが出て、穏やかに毎日を送ることができるようになってきた。


 ルシファーはリラックスした表情でベアトリクスの横に腰かける。


「王妃になったのだから、掃除はメイドたちに任せればよいのだ。たまには茶会にでも行って息抜きをしたらどうだ?」

「ふふっ、お気遣いありがとうございます。しかしながら、わたくしは好きでお城のゴミ拾いをしているのです。今までずっとそうして過ごしてきましたから、これが一番性に合っておりますわ」


 眼下に広がる景色を眺めながら、ベアトリクスは快活に答える。


 庭園は王城の屋上にあり、王都を一望することができる。

 一時は『国がゴミ箱になった』と他国から揶揄されていたグラディウスもすっかり元通りになった。緑化された平和な街並みが民の平穏を物語っている。そよ風に乗って頬を撫でるのは悪臭ではなく、爽やかな初夏の香りだ。


「それに、わたくしに『なんでも拾ってきてしまう』呪いをかけたのはルシファー様ですわよ? 大魔法使い様の呪いに抗える人間なんておりません」

「……そのことなんだが」

「どうしました?」


 何か遠慮するような声のトーンに、ベアトリクスは首をかしげる。

 ルシファーは、膝の上で組み合わせた両手をもじもじさせながら続ける。


「実は……。そなたにかけた呪いは、同居の翌日に解いてしまっていたのだ」

「…………!!」


 横でぴたりと動きを止めたベアトリクスに、ルシファーは慌てて言葉を重ねる。


「そなたは解呪を望んでいなかったのに、本当に申し訳ないことをした。あの時、まだゴミに耐性がなくて……。一晩寝てもやっぱり耐えられなくて、こっそり翌朝呪いを解いた」


 そこまで言うと、ルシファーはベアトリクスの方に向き直り、頭を下げた。


「本当にすまなかった。勝手に解いたことを、そして今まで黙っていたことを」


 さらりと揺れる黒髪と、普段見ることのないつむじを珍しく眺めながら、ベアトリクスは微笑む。


「……知っておりましたわよ」

「えっ!?」


 驚いて頭を上げるルシファー。いたずらっぽく笑うベアトリクスの青い瞳と視線が絡む。


「自分の身体のことですもの。前の日までの感覚と何かが違いましたので、ああ、ルシファー様は呪いを解いたんだなと薄々気が付いておりました」

「では……なぜ怒らなかったのだ?」

「それはですね」


 ベアトリクスは前に向き直り、再び美しい王都の街並みに目線を向ける。


「結局、わたくしがしたいと思うことは変わらなかったからです。呪いがなくてもゴミを拾いたいと思いましたし、ゴミ処理場を作って家族と国の役に立ちたいという意志は変わりませんでした」

「そ、そうだったのか」

「むしろ、感謝していると言ったほうがいいかもしれませんわね。だって、わたくしはわたくしの意志でやりたいことをやれているのだと気付かせて頂けましたから」


 何かを思い出しているように、遠い目をして微笑むベアトリクス。その横顔を美しいと思いながらも、ルシファーは彼女の言っていることがよく分からなかった。


「……というと?」

「わたくしは立派な淑女になるべく、厳しい教育を受けて育ちました。その過程で、自分自身とは何者なのかということを見失っていたのです」

「以前、ミカエルの屋敷で話してくれたことだな」


 女性化したミカエルの世話を焼くために、ベアトリクスと共に彼の屋敷を訪ねたことがあった。

 もう十年近く前になるのかと思うと、時の流れは速いものだとしみじみする。


「ええ。そんな折にルシファー様の呪いを受けたわけですわね。でも、呪いが解けたらゴミ拾いの熱が冷め、ゴミ処理場に対する熱意も消えてしまうのではないかという恐怖があったんです。また何者でもない自分に戻ってしまうのではないかと。……けれど、結果的にそういうことにはなりませんでした。その時、わたくしはわたくし自身を見つけられた気がして、とても感激したのですわ」


 快活で行動力の塊のようだったベアトリクスも悩みを抱えて生きていた。当時は全く分からなかったが、今のルシファーは彼女の言っていることに深く共感することができた。なぜなら彼も、自分を見失っていた一人だったから。


「そうだったのだな……。俺が言えた立場じゃないが、あんな呪いで人生が変わるとは、数奇なものだな」

「まったくです」


 思春期のこじらせで放った呪いが、一人の貴族令嬢の人生を変え、ひいては国の未来も変えたのである。

 このような結末は誰が予想できただろう。


「ルシファー様」

「!」


 気が付けばベアトリクスはルシファーの正面に跪き、まっすぐにこちらを見つめている。

 ゴミ屋敷令嬢というあだ名には似つかわしくない、人形のように整った、それでいて健康的な美貌。二十代になって大人の色香が加わったそれは、夜会に行けば誰もが振り返るような輝きである。

 自分だけに向けられる愛情のこもった眼差しに、ルシファーの胸はどくんと高鳴る。


「本当にありがとうございます。あなたのお陰でわたくしの夢は全て叶いました。ゴミ処理場も作れましたし、家族とも縁を戻せました。自分自身が何を幸せに思い、何に生きがいを感じる人間なのか、知ることもできました」

「ベアトリクス」


 海のように美しい瞳が水面のようにゆらめく。出会った時から心惹かれてやまない、ルシファーを癒す優しい瞳だ。


 彼女の白く柔らかい手が、ルシファーのそれを温かく包む。


「ねえルシファー様。実はわたくし、新しい夢がありますの」

「それは初耳だ。そなたの願いならば何でも叶えたい。教えてくれるか?」


 くす、と笑ったベアトリクスは上半身を起こし、ルシファーの耳元でささやく。


「……そろそろ赤ちゃんがほしいです」

「…………っ!」


 一気に耳まで真っ赤になったルシファーを見て、ベアトリクスは顔いっぱいに弾ける笑顔をたたえた。

 そして素早く立ち上がり、ふわりとドレスをひるがえしながらこう言うのである。


「では、午後のゴミ拾いに行ってきますわね!」



 (了)

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