第62話

目を見開き、唾を飛ばすガイウス。

 名前を呼ばれた息子は不快そうに眉をしかめた。


 ルシファーはゆっくりと下降し、国境門から続く城壁の上に降り立った。

 火の海を挟んで、父と息子はおよそ十年ぶりに対峙した。


「どういうことだ、ルシファー! 謀反を起こす気か!? 大変なことをしでかしおって、ただでは済まされないぞ!」

「国を見捨てたくせに、よくもそのようなことが言えますね」


 軽蔑するような目でルシファーは淡々と答える。怒りに身を任せるガイウスとは実に対照的であった。


「す、捨てたのではない! やむなく避難しただけだ! 民を待たせたことは済まないと思ってい」

「まあ、もうどちらでもよいのです」


 ぴしゃりとルシファーが言葉を被せる。


「ガイウス王。あなたに二つの選択肢を提示します」

「な、なんだと!?」


 自分の言うことには従順だったルシファーが、何か強い決意を持って反抗してきている。ガイウスはうすら恐ろしい気持ちになった。


「一つ。私に王座を譲り、二度とこの国と関わらないことをお約束頂きたい。この場合、命だけは助けましょう」

「ふ、ふざけるな! そんな要求、聞き入れる訳がないだろう!!」

「二つ」


 ガイウスの叫びをまるで無視してルシファーは淡々と続ける。


「入国してもよいですが、一歩足を踏み入れた瞬間からあなたは命を狙われます。この城壁の中に、あなたの味方は一人もいないとお考え下さい」

「馬鹿な! この儂を暗殺しようというのか!!」

「……大魔法使いを相手にいつまで生き延びられるか見物ですね」


 見物、と言いながらも紫色の瞳は全く笑っていない。

 彼の中で、親子の情というものはとっくの昔に切れていた。よくしてくれた母親を幼い頃に亡くして以来、王城に彼の味方は一人もいなかった。実の父親である王はルシファーを不当に虐げていて、むしろ最大の敵だったのだから。


「お前は……なったのか。大魔法使いに」


 絞り出すような声。豪傑と謳われたガイウスは、人生で初めてこのような声を出した。


「ええ。師匠にしごかれまして、予定よりだいぶ早く称号を頂きました。……王座など心底どうでもよいのですが、あなた方に治められる国民が可哀想になりましてね。こうしてやって来た次第です」


 ガイウスはうつむき、歯が折れるほど顎に力を入れた。

 ――悔しい。

 彼は愚王で政の才はないが、戦の経験は豊富である。大魔法使いというものがどれだけ圧倒的な強さを持っているかは、身をもって知っていた。

 息子だろうが何だろうが関係ない。大魔法使いになったという時点で、絶対に敵に回してはいけないのである。それは鉄の掟だ。


 敵わぬ相手に斬りかかることなど、全くもって無駄な行動である。

 国を失うことは断腸の思いであるが、戦に人生を捧げてきたガイウスにとって、無駄死にすることもまた許せなないことであった。


 長い沈黙のあと、彼は乾ききった口を開く。


「…………一つ目を選択する」

「英断です」


 初めてルシファーは口角を上げた。

 ただし、浮かんだ笑みは侮蔑の笑みであったが。


「では、わたしはこれで。今後会うことはないでしょう」


 そう言うとルシファーはひらりとローブをひるがえし、城壁から国境内へと飛び降りた。

 中からは歓声が上がり、ルシファーを称える民の声が聞こえた。


「くっ、く…………くそおおおおおおおおおお!!!!」


 業火の中には、かつて王だった者の雄叫びが響き渡る。


 その者はしばらく呆然として座り込んでいたが、やがて騎士に促され、とぼとぼと焼野原を後にしていったという。



【次回が最終話となります!】

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