後日談・番外エピソード

第64話

グラディウス王国がゴミ箱になってから二年ほどが経った頃の話である。

 王族と多くの貴族は国を放棄し、安全な隣国へと逃れていた。残っていた心ある貴族たちは懸命にゴミを拾い、聖護院にあふれる患者たちのサポートに励んでいた。


 カロリナ侯爵令嬢もその一人であった。

 友人のベアトリクス伯爵令嬢に対して、夫ユリウス第三王子が無体をはたらいた。ベアトリクスの命ともいえるゴミ屋敷を掃除してしまうというとんでもないことをしでかした結果、彼女は失意の中国を去ったのである。

 その罪を償うかのように救護活動に精を出し、ユリウスとも距離を置く毎日。何か言いたげな目でこちらを見てくる彼を、毅然たる態度で無視していた。


「カロリナ様。そろそろお許しになられてはどうですか? 旦那様も反省しているご様子ですし」


 小さいころから共にいる侍女長ピピンが、カロリナの柔らかいピンクブロンドの髪を梳きながら進言する。


「いいえ。……百歩譲ってユリウス様がベアトリクス様に謝罪し、ベアトリクス様が許せば話は別ですが。そうでもない限り、わたくしから許すことはありませんわっ」


 つんとした表情で答えるカロリナ。問題はユリウスとベアトリクスの間にあり、ユリウスがカロリナに対して悪く思っていること自体が間違いだと考えているのだ。


「……謝るとは思えませんね。でも、あの高慢な旦那様が、先日カロリナ様の花壇にお水をあげてらっしゃいましたよ。ピピンは幽霊かと思って二度見いたしましたが、やはり旦那様でした。お詫びのつもりなんでしょう」

「ユリウス様が、私の花壇にお水を」


 亭主関白の代名詞のような男が、妻の花壇に水を? カロリナは耳を疑った。


「はい。いつもの恐ろしい仏頂面でじょうろを傾けているものですから、このピピンめは雪でも降るのかと思い、冬物の物品の点検に走ったぐらいです」

「本当ね。信じられないことだわ」


 結婚してから今まで、ユリウスがカロリナのために何かしたことなどない。

 

「まだありますよ。別の日にはですね、旦那様の執事から毛糸と編み棒の発注が入ったのでおかしく思い、様子を見に行ったのです。そうしたら、なんと旦那様は編み物に挑戦していらしたのです!」

「ええっ!? ピピン、それは本当なの!?」


 思わず立ち上がるカロリナ。櫛を持ったままのピピンはヒートアップする。


「ピピンは嘘を申しません。お茶を入れるふりをして中に入ると、旦那様は恐ろしい顔をして編み物に取り組んでおられました。しかし、力の加減がうまくいかなかったご様子ですぐに編み棒が折れてしまい、悪態をついておりました。ほら、旦那様は御立派な体格でしょう? あんなに筋肉が付いていては、細い編み棒は心もとないですから!」

「で、でも、どうして編み物なんかをしていたのかしら? ユリウス様は戦争か剣術にしかご興味が無いはずだわ」


 うろたえるカロリナの両手を、目を輝かせたピピンがぎゅっと握りしめる。


「そんなの、愛に決まっておりますよ! おおかた、カロリナ様と上手くいっていないことを騎士団の者に相談したのでしょう。今騎士団では手作りのものを夫から妻へ贈ることが流行っているようですから、旦那様もそれを勧められたのでしょう」

「愛なんて……この結婚にはないわ」


 カロリナはピピンから目を逸らし、床に視線を落とした。

 彼とは政略結婚であり、愛が介在する関係ではない。互いに愛し合ってはいないが、嫌悪もしていない。ベアトリクスの一件があるまでは、表面上はすべてうまくいっており、ごく普通の政略結婚家庭を築いていた。


 しかし、侍女長の見解はカロリナとは異なっていた。


「このピピンめには少々違って見えますけれどね。旦那様はカロリナ様にべた惚れだと思いますよ」

「べ、べた惚れ!?」


 ボンっ、と音が聞こえるくらいカロリナは一瞬で顔を真っ赤に染め上げた。ピピンにとられた手をぶんぶんと振り、どうしてそう思うのかを問いただす。

 ピピンは水を得た魚のように、胸を張って自慢げに語り始める。


「第一に、カロリナ様とお話しするときは優しいお顔になるじゃないですか。あの『殺してきた人間の血が宿っている』と例えられる冷たい目が、夕焼けのごとく柔らかいまなざしに変わるのです。それに気が付いたときはもう、このピピンは叫び出したい気持ちでいっぱいでございました!」

「よ、よく見ているのね」

「それはもう! 大切なカロリナ様の旦那様ですから、日々の観察は欠かしておりません!」


 ピピンは有能なのか、何なのか。

 自分たちがこれほど観察されていただなんて、カロリナは全く気が付かなかった。


「次にですね。旦那様って冷酷なイメージがありますけれど、社交界では裏で何と呼ばれているかご存じですか? これは別のお屋敷に勤める侍女から仕入れた極秘情報です!」

「知らないわ。特段、変な噂は立っていないと思うのだけれど」


 極秘情報と言われてカロリナはこくりと喉を鳴らす。夫を支えるために社交界での情報収集には精を出していたが、高慢冷酷以外の情報はなかったはずである。


「フフフ………。実はですね、とある夜会に行ったとき、カロリナ様が席を外した隙をついて、ユリウス様を誘惑した女がいたそうなんですよ」

「まあ、そんな! どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」


 動揺するカロリナと対照的に、ピピンはにやついている。


「だってカロリナ様、旦那様の話はするなとピピンめに命じたじゃないですか。機会が無かったんですよ」

「それは……。そうね。ごめんなさい」

「旦那様、性格はアレですけれど、見た目はとってもいいじゃないですか。はっきりとした凛々しいお顔立ちに高身長、無駄のないご立派な筋肉。一晩だけっていう関係を望む女性は意外と多いみたいなんですよ」

「……それで、ユリウス様はどうしたのかしら」

「そこですよ!」


 よくぞ聞いてくれたとばかりに、ピピンは高らかに声を上げる。


「旦那様は女に目もくれず、短く答えました。『俺には唯一の妻がいる。失せろ』とね!!ピピンは柱の影からそのご様子を目の当たりにし、叫び出したい気持ちでいっぱいでございました!!」


 歌劇に出てくる歌姫のようにピピンは両手を広げ、天井を仰ぐ。

 カロリナは信じられない気持ちと気恥ずかしさを抱えて、赤い顔のまま絨毯を見つめた。

 ユリウスからそんな愛情を向けられたことはないし、あの性格だから、お飾りの妻くらいに思っているのだろうと考えていた。


 ……でも、違うのだろうか?


「王族であれば第二夫人、第三夫人といてもおかしくないのですよ! それなのに旦那様はカロリナ様を唯一とおっしゃいました。これはもう! これはもうでございますよっ!」


 喜びと興奮を顔いっぱいに広げ、今にも踊り出しそうなピピンであるが、侍女長という立場上懸命にそれを堪えている。


 ――カロリナの心は揺れ動いていた。


 もしユリウスが、自分のことを愛してくれているのであれば。そんな人を突き放すのは忍びなく思えた。

 幼いころから、いつか誰かと政略結婚するのだと聞かされて育ったカロリナは、愛というものを諦めていた。望んでも手に入らないものだし、望むだけ無駄とさえ思っていた。

 ――ユリウスのことは嫌いではない。彼が本当に自分のことを大切に思ってくれているのなら、彼を説得し、共にベアトリクスに頭を下げに行くべきではないか。


 しばらく押し黙ったのち、カロリナは小さな声で命令を出す。


「……今日はユリウス様のお出迎えをするわ。夕食後、二人で話をしたいから、寝室に紅茶を運んでくれる?」

「もちろんでございます!」


 したり顔の侍女長。敬愛するご主人様と旦那様の仲が修復されることが、よほど嬉しいらしい。


「実は……。ピピンはもう一つ、旦那様の秘密を掴んでいるんです」

「ピピンの情報網には恐れ入ったわ。教えてちょうだい」

「これは、ちょっとエッチなお話になってしまうんですがね……」

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