第57話

時は少しさかのぼる。

 街にあふれたゴミにより疫病が流行し始めたグラディウス王国。医療資源には限りがあり、王族や貴族たちは頭を抱えていた。


「陛下! 本日の死者は千を超える見込みです!」

「王都に三ある聖護院の前には治療を求める者の長蛇の列が」

「連日の治療により、聖護師の魔力回復が追い付かないそうです!」


 王の間には入れ代わり立ち代わり臣下が駆け込んできて、報告を挙げていく。

 屈強な王ガイウスは、こめかみの青筋と上腕二頭筋をぴくつかせながら聞いていた。しかし、我慢ならないといった様子で勢い良く立ち上がり怒鳴りつける。


「ええい! うるさい! ゴミは騎士団総出で拾え! ルシファーを聖護院に送れ! 奴なら一人で聖護師百人分くらいにはなろう!」


 事態が悪化している原因は気合が足りないからだと言わんばかりの強い口調である。


「恐れながら、陛下」


 王の右後ろに控える宰相がゆっくりと歩み寄り、ささやく。


「騎士団の三分の一は先の戦争で負傷中でございます。また、三分の一は此度の病に倒れており、残る三分の一は既にゴミ拾いに出ております」

「なんだと!? それはつまり、」

「もうゴミ拾いに割ける人員がございません。それと、ルシファー殿下は陛下が追放なさいましたのでおりません」

「…………っ! くそ、役立たずがッ!!」


 王が丸太のような腕を凪ぐと同時に、けたたましい音が鳴り響く。

 国宝とされる壺や陶器が、無残に床に散らばった。


「至急ルシファーを探して呼び戻すのだ! あのような軟弱者のことだから、まともな生活はしていないだろう。喜んで戻ってくるはずだ!」

「ははあっ!!」


 足早に王の間を後にする宰相。

 ガイウスは勢いよく玉座に腰を下ろし、鼻から大きく息を吐いた。


「まったく……。これまでこのようなことはなかったのに、どうしてこんなことに……」


 戦ばかりしていたガイウスにとって、初めてとも言える危機である。

 政に筋肉は役に立たない。そのことを、彼は今ひしひしと痛感していた――――。


 ◇


 平民街・小聖護院前。

 慈善活動中のカロリナは憤慨していた。


「あの脳筋王のせいで国は壊滅寸前よ! 勘弁して!」


 街にはゴミが溢れ、不衛生が原因で疫病が流行している。街は人影が無くひっそりとしているものの、出歩いている者――つまり患者たちは背を丸めて咳をしており、衣類には汚れが目立っていた。小聖護院の前はそのような患者が座り込んだり、横たわっていたり、野戦病院のような状態になっていた。


 白い三角巾で顔半分を覆ったカロリナは、布の下の端正な顔を歪める。


「ベアトリクス様とルシファー様を追いやったツケが回ってきたんだわ! ベアトリクス様がゴミを拾うようになったのも、以前使っていた焼却炉が壊れていたから。彼女が街を綺麗にしていることに甘えて、修理をしなかったのがいけないのよ!」


 元々グラディウスには、ゴミを燃やすための焼却炉があった。

 しかし、それが故障してゴミ処理能力が落ちた結果、街にゴミが蓄積するようになった。そのタイミングでベアトリクスというゴミ拾い令嬢が現れ、街を綺麗にするようになったのである。

 彼女の存在は、多くの者が奇妙な目で見ていた。彼女の行為で街が清潔に保たれていると正しく理解している者はごく少数だった。

 つまり、多くの国民にとってはいつの間にか街が綺麗になっていたのである。当然、政府高官はこれ幸いと焼却炉の修理を後回しにするようになる。王ガイウスの意向もあって予算は軍事費に回された。


「焼却炉は老朽化してますからね。耐久年数をとっくに超過しています。公共事業に力を入れてこなかったことも、王の落ち度でしょう」


 カロリナの隣にやってきたのは銀髪で長身の美丈夫。ミカエルである。

 彼も三角巾を着用しており、水がたっぷり入った桶を抱えている。


「ありがとうございます、ミカエル様。……はぁ。一体グラディウスはどうなってしまうのでしょう。日に日に患者は増えて、先が見えません」

「本当ですね。ベアトリクス様に手紙を送っていますが、返事はありません。……見捨てられて当然ですが」


 遠慮がちに言いながら、ミカエルはちらりとカロリナの顔を見る。

 カロリナの夫ユリウスがベアトリクスの屋敷を壊滅掃除させてしまった結果、彼女は国を出ていったからである。


「わたくしのことはお気になさらず。ミカエル様の言う通りですから。……夫には幻滅しておりますの。その日以来、口もきいておりません」

「ほう、それはそれは」


 二人は桶に布を浸し、一枚ずつ絞っていく。患者の身体を清めるためのものである。


「たまにしおらしくなって機嫌を伺って来るのですが、無視しておりますの。本当に済まないと思うなら、わたくしではなくベアトリクス様に謝罪するべきです!」


 淑やかで聡明だと名高いカロリナが感情をあらわにしている。友をなくし、国の危機が迫っているストレスで、近頃は何重にもかぶっていた猫を脱ぎ捨てるようになっていた。


「失礼ですが、カロリナ様は随分たくましくなられましたね」


 穏やかな調子でミカエルがからかう。


「たくましくなきゃ、やっていけませんわ。それにわたくしは元々こういう性格なんですわ。だからベアトリクス様とも気が合ったんですの」


 布を絞る手は赤くなり、皮がぼろぼろになっている。

「妻は夫の三歩後ろを歩き、黙って微笑む」というしきたりに縛られ、ユリウスを止められなかった自分を悔やんだが、もう遅い。心に傷を負い、手の届かないところに行ってしまった友への償いを、慈善事業に向けているのであった。


「ごめんなさい、ベアトリクス様。あなたを守れなくて。わたくしが大切にすべきだったのは、しきたりではなく自分の意志だったのだわ……」


 俯くカロリナの肩に、ぽつんと丸い染みができる。

 何かしら、と力なく空を見上げる。灰色の雲が立ち込めていて、ああ雨かとカロリナはため息をついたのだった。

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