第58話

聖護院での慈善活動を終えたカロリナは屋敷に戻っていた。

 途中から雨に降られて衣服はずぶ濡れである。出迎えたメイドたちに向かって、まず湯あみをすると告げる。


「……ユリウス様は?」

「旦那様は、朝からゴミ拾いに出ております」

「そう」


 屋敷にいないと分かり、心が軽くなる。

 ユリウスとは政略結婚であったが、夫婦仲は良好だった。高慢で冷酷だと言われる夫だが、家庭内では普通だったから、カロリナはそれでよかったのである。

 しかし、自分の友を害されたことによって事態は変わった。飲食店で無礼を働いた晩、もう二人に関わらないでほしいと頼んだのに、ユリウスは毒島をけしかけたのである。


 夫には裏の顔がある。自分が思っているよりずっと、ひどい人間なのかもしれない――。そう思うと、どうしても以前のような関係性ではいられなくなった。いつか自分をも裏切り、ひどい目に遭わせるかもしれないという考えが頭にちらついた。


「ユリウス様が帰る前に湯あみと夕食を済ませて、寝てしまいましょう」


 騎士団長である夫は今、王命により数少ない騎士たちを率いて国内のゴミを片付けている。毎晩遅いので、きっと今日もそうだろう。

 ベアトリクスのことをゴミ屋敷令嬢と馬鹿にした人間が、今やゴミ拾い団長と国民から揶揄されている。カロリナは、心の底から可笑しかった。


 ◇◇◇


「陛下、ご報告です。ルシファー様はソルシエールにいらっしゃいましたが、帰国なさるおつもりはないそうです」

「何だと!? それでもグラディウスの王子か。力ずくで連れ戻せ!」


 朝議の場に、ガイウスの怒号が響き渡る。


「それが、その」

「何だ。申してみよ!」


 言葉を詰まらせる宰相に、噛みつかんばかりの勢いでガイウスが迫る。

 目を泳がせながら宰相は答えた。


「大魔法使いのクロエ様に阻まれまして、我々では、その、太刀打ちが……」

「……クロエ殿か……」


 脳筋王ガイウスであるが、大魔法使いの恐ろしさは知っている。世界に数人しかいないその称号を持つものは、その気になれば国一つ滅ぼすことなど容易いのである。味方になる必要はないが、絶対に敵に回してはいけない。


 クロエはルシファーの師だ。彼女の庇護にある以上、ルシファーに手出しはできない。

 口惜しさを感じながらも、渋々諦めたガイウスは第二王子に話を振る。


「毒島殿と連絡はとれたか?」

「はっ。世界に掃除革命をもたらすべく各地で『講演会』なるものを行っており、帰国の予定はないそうです」

「……落とし子殿は我が国に幸運をもたらすと聞いていたが……聞いていた話と違うではないか! なぜ我が国の危機に駆け付けない!!」


 ぐっと岩のような拳に力を込めるガイウス。ビシッと音を立てて、拳の下にある机に亀裂が入る。

 第二王子は額に汗を浮かべながら巨体を震わせ、報告を続ける。


「これは伝令騎士からの私信ですが……どうやら毒島殿はブラストマイセス国にて美女を見つけた模様です。講演会というのは建前で、帰国は期待できないかと」

「なんだとッッ!?」


 急激に増した拳の圧力に耐えきれず、机が派手な音を立てて砕け散る。

 怒りに震えるガイウスは、茹で上がったタコのようであった。女子供が見たら恐ろしさで気を失いそうなほど迫力のある表情だが、臣下たちも必至である。


「陛下。昨日の死者は一昨日より五百人増加しました!」

「過酷な労働環境により、聖護師の退職が相次いでいます!」

「民の中には、王の退位を求める声すら上がっております!」

「このままでは数か月以内に我が国は滅亡します。陛下、ご指示を!!」


「ええい! うるさいうるさいうるさい!! 儂には多くの優秀な息子と臣下がおると思っておったが、揃いも揃って役立たずだ!!」


 目の前に跪く三人の王子と、床に頭をこすりつける十数名の重臣たちに怒鳴りつける。馬鹿でかい怒号にびりびりと鼓膜と部屋全体が震えた。

 階下の部屋で働いていた者は地震が起きたのかと驚き天井を見上げた。


 ガイウスは脳筋王である。当然己の息子には力こそ正義だと教えて育てたので、みなガタイはいいがおつむが弱い。唯一第三王子のユリウスは多少悪知恵が働くようであるが、この状況を打開する妙案は思いつかないらしく、唇を引き締めて跪いている。

 同様に重臣たちも武官だらけなので、みな気まずそうに目を泳がせるだけだ。


 戦争ばかりしていて近隣諸国と友好を築いてこなかったことが災いし、助けの手を差し伸べてくれる国もいない。


「……もはやこれまでなのか…………?」


 ――ガイウスは、最悪の事態を覚悟していた。

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