第40話

ミカエルは平民出身だが、強さと筋肉が正義のグラディウスにおいては国民的冒険者だ。そのため平民街ではなく、特別に貴族街に屋敷を構えることを許可されている。

 ベアトリクスの住む区画から馬車で十分ほどのところに、彼は屋敷を構えていた。


「こちらです。ベアトリクス様、どうぞお進みください」


 貴族に負けず劣らずの豪華な建物に、整えられた広い庭。さすが国民的冒険者だわと思いつつ、馬車を降りて門から続く長い遊歩道を通って屋敷の入口までたどり着く。

 大きな扉から中に入ると、老年の執事以下ずらっとメイドが並んでいて、「お帰りなさいませ、ご主人様」とたおやかに腰を折った。

 ご主人様が女性化してしまったというのに、少しも動揺を感じさせないあたり、使用人のプロ意識を感じざるを得ない。ベアトリクスとルシファーは感心しながらミカエルに着いていく。


 一行は応接室に通された。

 給仕が紅茶と菓子を置いて退室すると、ミカエルが口を開いた。


「さて。わが屋敷へおいでくださり、とても光栄に思います。仕事柄家を空けることも多いので、こうして誰かを招くことは初めてでして。嬉しいものですね」


 そう言い、白い歯を覗かせて純粋に笑った。

 SS級冒険者ともなれば、一年の大半はクエストに出ている。友人を呼ぶ暇もないほど働き、危険な思いをしているからこそ、このような豪勢な暮らしができるのである。


「そうなのですね。素晴らしいお屋敷と使用人の方々で、感心してしまいましたわ。それとミカエル様、先日は助けていただきありがとうございました。ユリウス様とは、その、大丈夫でしたか……?」


 ベアトリクスの態度と言葉に激高したユリウス。斬り捨てようとしたところにミカエルが飛び込んできて、後を引き受けてくれたのだ。

 心配でルシファーに尋ねても「ミカエルなら大丈夫だろ。知らんけど」と言うばかりで、全く当てにならなかった。


 令嬢らしく眉を下げるベアトリクスに、ミカエルは快活な笑顔で答える。


「ご心配頂けるとは嬉しいですね。全く問題ありませんでしたよ。カロリナ様の手前、ボコボコにすることは控えましたがね。まあ、足を引きずる程度にはダメージを与えましたので、少しは懲りたかと」


 その時の様子を思い浮かべて楽しそうな様子のミカエルに、男性って本当に戦いが好きなのねと思うベアトリクス。騎士の父や兄たちも、かつて同じような顔をして語らっていたからだ。


「――けれど、大丈夫ですの? ミカエル様も不敬罪で処刑対象になってしまうのではありませんか?」

「ええ、それも大丈夫ですよ。ご覧の通り、どこかの誰かのせいでわたしは今『ミカエル』ではありませんからね。追っ手は巻きましたし足はつかないでしょう」


 そう言うと、目を細めて隣に座る男をじっと見る。

 その視線を華麗にスルーして、元王子はティーカップを傾けた。


「……突然主が女性になって、屋敷の皆様も驚かれたでしょうね」


 その問いに、ミカエルはルシファーを睨みながらいっそう顔をしかめた。


「混乱しましたとも。わたしの姉妹だとか隠し子だとか、様々な疑いをかけられました。女きょうだいはいないし、女性関係だってその辺りは気を付けてきました。SS級冒険者のみが持つ勲章や、普段使っている剣を見せて、ようやく信じてもらえたんです。全く、どれもこれもどこかの誰かがおかしな魔法を使ったせいですからね」


 嫌味を並べるミカエルに、ルシファーはくつくつと笑い出した。


「くくっ。すまんな。まあ、あと二週間ぐらいか? 楽しんでくれ。俺だってこんな魔力を食う魔法は二度と使いたくないからな」


 口角を上げるルシファーに、ミカエルは呆れた顔をしてふんと鼻を鳴らす。ベアトリクスに向き直り、笑顔を張り付けた。


「お子様な王子様は放っておきましょう。ベアトリクス様、実は例の件に進捗がございました」

「まあ! それはとても嬉しいご報告ですわ。詳しくお話を聞かせていただけますか?」

「むろんです。書類を取って来ますので、少しお待ちください」


 ミカエルが応接室を後にする。

 後には顔を輝かせるベアトリクスと、怪訝な表情のルシファーが残された。


「……何の話だ?」

「ああ。殿下にお話したことはなかったかもしれませんわね」


 青い瞳がきらきらと光る。

 喜びにあふれた表情のままベアトリクスは話し始めた。


「わたくしには夢があるのです――」

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