第23話
横たわるベアトリクスに駆け寄り膝をつく。背中を手で支え、ゆっくりと上体を起こす。
見開かれた青い瞳には涙がいっぱいに溜まり、水面が揺れている。たくましいゴミ屋敷令嬢とはいえ、襲われそうになったことは怖かっただろう。ああ可哀そうにとルシファーは胸が痛くなった。
腕をしばる縄を開放し、嚙まされている布を引っ張り出すと、震える声が漏れだした。
「で、殿下、でしょうか……?」
「ああ。怖かったな。もう大丈夫だ」
ゆっくりと瞬きをすると、金色のまつ毛の間から大粒の涙がこぼれ落ちた。
白い頬を伝うそれを指で拭ってやる。
彼女は眉を下げて、心底悲しいという表情をしていた。
「わたくし……あるまじきことをしてしまいました……」
「ど、どうした?」
昼時になっても帰らないベアトリクスを心配して出てきてから、バザーをしているところを見つけて。ミカエルと一緒にいることにはらわたが煮えくり返り、以降ずっと遠くから見張っていたけれど、特にあるまじきことなんていうものは無かったように思えるが……。
「わたくし、ポイ捨てをしてしまいました! か、果実水のコップを取り落としてしまって……!」
「はあ?」
暴漢に襲われたことよりも、落としたコップのことでショックを受けているだと――??
この美しい涙は恐怖の涙ではなく、ポイ捨てに対する贖罪の涙なのか――??
分からない。この令嬢の思考が分からない――――。
震える小さな背を支えながらルシファーが混乱の汗を滲ませていると、倉庫の扉が勢いよく開いた。
「ベアトリクス様!!?」
飛び込んできたのはミカエルだ。
その真剣な表情は、彼女とルシファーを捉えたところではっと固まる。
涙を流す令嬢と、彼女のすぐ側にいる男。
誤解を招くには十分な状況だった。
ミカエルは腰の剣に手をかけ、背筋が凍るような声を出す。
普段まとっている穏やかな雰囲気が一転し、金色の瞳が好戦的に輝く。
「――今すぐベアトリクス様から離れなさい。怪しい二人組が駆けてくるのを見てきましたが、まだ残党がいるとは。今日この倉庫をあなたの墓にしてあげましょう」
「いや待て! 俺じゃない!」
SS級の冒険者が相手では、ルシファーもどうなるか分からない。慌てて声を上げるが、ミカエルは信じていないのか耳を傾けない。
「ベアトリクス様、お逃げください! バザー会場でレオに荷物の見張りをさせていますから、合流して安全な所へ!」
そう言うと同時にミカエルは目にもとまらぬ速さで剣を抜く。一瞬で間合いを詰めて、ルシファーに斬りかかる。銀色の髪が月の光を受けて華麗に舞った。
「うおっ!?」
反射的にルシファーも剣を抜き、顔の前で打撃を受ける。びりびりと腕がしびれることを感じて、ルシファーは深いため息をつく。
「面倒だな。――ベアトリクス嬢、レオと家に帰ってろ。俺もすぐ戻るから」
「俺もすぐ戻る、とは?」
ぴくりと眉を上げるミカエル。
交わる刃の重みが増す。
「っ、ああもう面倒くさいな! ほら、早く行け! 必ずレオに送ってもらうんだぞ!」
「あ、は、はいっ……!」
背中に向かって叫ぶルシファー。
呆然としていたベアトリクスがはっとして返事をし、慌てて外へ駆け出していく。
彼女が倉庫を出た瞬間、激しく剣がぶつかる音と、何かの爆発音が耳を突く。
二人は大丈夫だろうか? そう心配になりながらもベアトリクスはごしごしと涙を拭き、バザーの会場まで地を蹴ったのだった。
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