第17話

朝三時。

 ベアトリクスが起床して厨房に向かうと、灯りが廊下に漏れていた。


「あら? 灯りがついているわ。昨日消し忘れたかしら」


 ミカエル様との夕食で帰りが遅くなったから、きちんと確認しなかったのだわ。そう思いながらドアを開ける。

 と、食欲をそそる香ばしい匂いが中から漂ってきた。


「……おはよう」

「殿下!? どうしたんですか、こんな早朝に!」


 いつも二人が囲んでいるテーブルに着席しているルシファー。寝ぐせはついておらず、服もしっかりとした清潔なシャツとズボンを着ている。元は王子とあって、品のある佇まいである。


 かつてない状況に、ベアトリクスは理解が追い付かない。


「ええ……? しかも、この食事はどうされたんです? パンとスープと干し肉を焼いたもの……でしょうか」


 ルシファーの前に一人前と、その向かいに一人前。カトラリーも丁寧に配置され、まるで彼女の到着に合わせて作られたかのような雰囲気だ。


 神妙な顔をしたルシファーが、小さく言葉を発する。


「……作ってみた。今まで悪かったな。世話になりっぱなしで」

「つ、作った!? 殿下が?? ――頭でも打ったんですか? ああどうしよう、さすがに拾ってきた薬を飲ませる訳には……」


 慌てふためくベアトリクスに、あきれ顔のルシファーが近づく。


「こら。俺は正常だ」


 テーブルまで彼女をエスコートし、椅子を引く。


「どうぞ。……まあ正直、味はどうだか分からない。そこは初心者だから大目に見てくれるとありがたいが」

「え……ええ。これは一体全体どういうことなのか……」


 急に紳士然となったルシファーに、ベアトリクスは混乱を隠せない。しかしルシファーが食事を始めたので、とりあえず自分もパンに手を付ける。朝のゴミ拾いに行くので、もたもたしている時間はないのだ。


 パンはベアトリクスが作り置きしているもので、いつも通りの味だ。

 そして干し肉は、保存食としてストックしているもの。焼いたおかげで香ばしい香りがしており、表面に付いた焦げと脂が美味しそうだ。フォークにのせて口に運ぶ。


「――美味しいです」

「そうか。よかった」


 ほっとしたように頬を緩めるルシファーに、本当にどうしてしまったのだろうと不気味に思うベアトリクス。

 スープは彼が一から作ったらしい。野菜は不揃いに切られ、味つけは塩のみだろうか。一生懸命作る姿が脳裏に浮かぶような味だった。


「スープも素敵なお味ですね。健康に良さそうです」


 いつもベアトリクスが作ってくれる食事と味が違うことくらいは、彼も自覚している。

 笑顔で次々と皿を空にしていく彼女を見て、ルシファーは胸をなでおろした。


「よかった。これからは、朝食は俺が作るから。早起きしたうえ料理もするなんて大変だろう」

「ええっ!? お気遣いなく、殿下。この生活も三年になりますので、今更大変とは思いませんわよ」


 放漫で怠惰な王子らしからぬ発言に、ベアトリクスは目を見張る。

 彼女としては、ルシファーは何もしなくてもいいと思っている。元王子という高貴な身分もそうだし、素敵な呪いをかけてくれた恩人でもあるからだ。


「いいから。共に生活する以上、俺も何か役割を持つべきだ」


 ルシファーも譲らない。ぎこちなく食器を片付けながら主張する。

 その姿を眺めながら、ベアトリクスはため息をつく。


「……まあ、お気持ちは嬉しいですけれど。ご無理はなさらないでくださいね」

「おう」


 一緒に皿洗いを済ませる頃には、時刻は四時前になっていた。

 出発の時間である。


「では、行ってきますね。殿下も素敵な一日を」

「気をつけてな」


 ルシファーに見送られてホールを出て、ゆっくりと扉を閉める。

 空は夜と朝が混じったような、青と金色のグラデーション。早起きの小鳥が可愛らしくさえずっている。夏ではあるが、この時間は風が気持ちいい。ベアトリクスは両手を大きく広げて、すうと深呼吸をした。


「いい天気になりそうね。さあ、行きましょう」


 軽快な足取りで門を出ると、ミカエルが待っていた。

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