第105話
首をギシギシ言わせながら振り返る。
「そ、そんな――――」
床に片膝をつくデル様。
彼の頭に燦然と輝いていた琥珀の双頂は、その一つが根元から無くなっていた。
「でっ、で、でるさま――――」
「……ッ、私は大丈夫だ……」
ゆらり、と膝に手を当てながら立ち上がるデル様。
玉のような汗が額に滲み、苦悶の表情を浮かべている。
髪をかき上げる手は震え、顔色も蒼白だ。
(絶対大丈夫じゃないでしょ……っ!)
わきあがる涙。滲む視界に、床に転がるデル様の角が映る。
痛む腕を抑えつつ、丁寧にそれを拾い上げて、彼の元へ駆け寄る。
「デル様っ!!」
「大丈夫だ、ちょっと痛いが……角なんて別に無くたって平気だ。――見た目は悪くなってしまって、申し訳ないが」
力のない笑顔を向けるデル様。
そうは言うけれど、角はとても敏感な場所だったはずだ。スパッと斬り落とされて、平気なはずがない。
「み、見た目だなんて、そんなのどうだっていいですっ!」
「ふ、ありがとう。……それよりそなたの頭突きは見事であったな。……身体は平気か……?」
「無理してしゃべらなくていいですから!! すぐ河童さんを呼んできますね――」
「いや、いらない」
そうは言っても、彼は明らかに具合が悪い。すぐに帰って治療すべきだ。この場は私と河童さんでどうにかすればいい。もう償いは終わったのだから、デル様本人が居ないといけないことはないはずだ。
助けを呼ぼうとドアに向かった私の前に、いつの間に起き上がったのか、ヴージェキアが立ちはだかった。
「んん~、妃は随分とお転婆なのだな……? ハッ、お転婆という歳には見えないがな……。邪魔したことは卑怯だと思うが、結果的に死よりも恥辱的な思いをさせることができたようだ。その功績に免じて、汝の無礼は許してやろう」
粗雑に私の顎を掴んで、鼻の先が触れそうなほど顔を近づけた。
そのまま、ふーっと吐息を私の顔に吐きかける。
「う……っ」
彼女の吐息は、淀んだ香りがした。
思わず吐き気を催した私を、彼女は金色の瞳でひどく愉快そうに見下ろした。
(この人、狂っているわ……)
嫌悪感しかなくて、生理的な涙が浮かぶ。
私の苦痛にゆがんだ顔に満足したのか、乱暴に突き離された。
「助けを呼ぼうなんてわらわは許さない。罪を償うべきは、そこの魔王自身なのだから。魔剣の切れ味、もう少し楽しませてくれるのだろう?」
「っ、汚い手でセーナに触るな。私が許可した一撃はもう終わったぞ。そなたこそ生きて帰れると思うな。ここ冥界がお前の墓場となることを心に刻め。――セーナ、作戦を続行するぞ」
大粒の汗を流しながらも、デル様の目はらんらんと光っている。
(『作戦続行』、この合言葉はすなわち、ヴージェキアを殺すという意味ね)
いざと言う時のために、いくつか合言葉を決めていた。
ヴージェキアは危険な思想を持ち、半ば狂っている。この状態で、城の牢に入れることは危険だという判断なのだろう。どちらにしろ彼女は国家一級の重罪で処刑されることが決まっているから、ここで決着を着けていっても、誰かに咎められることはない。
(本当は、今すぐ帰って治療を受けてほしい。でも――)
彼女の異常性は、誰が見ても明らかだ。デル様に執着心を見せている彼女に、今ここでしっかりとどめを刺しておくべきかもしれない。
「……分かりました、続行しましょう。全力で支援いたします」
「ありがとう」
ふ、と軽く笑うデル様。その笑みが痛々しくて、私は涙がこぼれそうになった。
ヴージェキアの方へ向き直った彼は、一気に殺気を膨らませた。青白いながらも獰猛な表情になり、心底彼女が憎いといったように目元を細める。
「虫けらに快楽を与えてやる」
「ハッ! 手負いの魔王がよく言うわ。――望むところよ、愚か者め」
私は邪魔にならないようにドア近くへ移動し、震える手で胸元から懐中時計を取り出す。
(そろそろ15分、か)
事前の実験では20分だったから、そろそろ頃合いのはずだ。いや、さっきから徐々にその予兆は出ているようにも見える。彼女のおぼつかない足取り、焦点の合わない目、荒い息。
――マスタードガスが、じわじわとヴージェキアの身体を蝕んでいた。
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