第104話

そこからは、全てがスローモーションのように、ゆっくり見えた。


 武器を持たず、丸腰のまま私の前に立ちはだかるデル様。


 歓喜の雄叫びを上げながら加速するヴージェキア。


 顔の横に剣を構え、興奮のあまり足をもつらせながら走り迫る。

 狂っている。


 数メートルというところで、自分の足がバネのように動く。

 彼を死なせてはいけない。卑怯だとなじられようが構わない。代わりに私がやられる方がましだ。


 もとより、デル様と添い遂げるために得た永遠の命。

 彼のために使えるのなら、望むところだ――


 ヴージェキアが大きく横に振りかぶる。


 タンッ――――……


 彼女の踏込に合わせて、私は躍り出る。


 力の限り無機質な床を蹴り上げる。


 一歩、二歩――――


「馬鹿っ、戻れセーナ――――」


 デル様が私の名を呼んでいる気がした。


 振りかぶった彼女の両手が、勢いをつけて戻ろうとするのが見える。


(今だ!)


 勢いのまま、斜め下から渾身の力で鳩尾目がけて頭を突き上げる。


「ぐうっ…………!!」


 酸い臭いが鼻を突く。

 ぐらりと後ろへ態勢を崩すヴージェキア。


「ああああああああああああああぁぁぁ!!!」


 剣を振り抜く空裂音。


 必死に彼女にしがみついて倒れ込みながら、剣の動きを目で追う。

 私が頭突きを食らわせたことにより、本来狙っていたであろう軌道からは大きく逸れていた。


 キィィィィン――――


 耳を突くような高い音が響き渡る。


 どしゃっ

 突っ込んだ勢いそのまま、ヴージェキアを下敷きにする形で倒れ込んだ。


「――――痛っ……」


 腕に激痛が走る。

 ――頭もジンジンしてきた。


 痛覚をきっかけに、様々な感覚が戻ってきた。腕の中で空ろな目をし、ぶつぶつと悪態をつくヴージェキアは、スローモーションには見えない。


 心臓が、破裂しそうなぐらいバクバク言っている。

 意識して息を深く吸い込み、呼吸を整える。


(はぁ、ただの薬剤師に肉弾戦は無茶だったわね……)


 不死身の体とはいえ、もとの身体能力を超えた無茶をすれば普通に痛みや苦痛は感じる。

 腕の骨が折れているような痛みと気持ち悪さがある。頭はそのうちタンコブになりそうだ。


 でも、これでデル様の最悪の事態は免れたはずだ。

 いいよ、卑怯で。私は清廉な王妃でも騎士でもなんでもないから、追い詰められれば汚い手だって躊躇なく使う。


 ヴージェキアの体を突き離し、身をねじって横にごろりと身を起こす。

 怒った彼女に反撃されるかもしれない。早く距離をとらないと。


 ふと向けた目線の先に、何かが転がっていた。

 無機質な床に転がっているのは――――場違いに美しい琥珀色の欠片。


「え?」


 ひゅっと喉が鳴る。


 この琥珀色は、床に転がっているようなものではないはずだ。

 何か鋭利な刃物で一閃されたように滑らかな切断面。


「あ、あっ、あ……っ?」


 上手く空気が吸えない。


 どう見てもこれは、デル様の角だった。

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