第103話
「ヴージェキア、そなたは何が目的なのだ? なぜセーナを狙う? 研究所での毒菓子や、毒矢を射ったのはそなたの仕業あろう。もう調べはついているのだ、言い逃れできると思わないことだ」
私がボタンを押したと同時に、天井に取り付けられた小さな突起物からマスタードガスが流れ込む。わずかな流入音を誤魔化すように、デル様が言葉をかぶせた。
「ハッ! 思い上がりもいいところだ。わらわの狙いは汝の妃ではない。魔王デルマティティディス、汝だ」
「私……? ああ、そなたも私自身よりも、その周囲を狙う方が効果的だと思うたちの人間か」
心底つまらないといった顔で、冷え冷えとヴージェキアを見るデル様。
「有象無象と一緒にされるのは癪だが、そういうことだ。汝の寵愛ぶりは耳が腐るほど有名だからな。……だから妃に恨みはない。その点は謝罪しよう」
ヴージェキアは、芝居がかった顔をして私に向かって頭を下げた。騎士だけあってとても美しい礼だけど、心は全く動かなかった。
(謝るぐらいなら最初から狙わないでほしいわ。どれだけたくさんの人に迷惑かけたか分かってる? 堂々とデル様に立ち向かえばよかったのよ)
私の目には、彼女はちぐはぐに映った。騎士ぶってみたり、卑怯者の行動をしてみたり、河童さんを褒めてみたり。長年の抑圧された生活、終わりのない生によって、メンタルに不調をきたしているようにも見えた。
(騎士として召喚された以上、元々は強くて清廉潔白で、お手本になるような人だったに違いないもの。それが、今は……。――刺激しないように、慎重に話を進めないと危ないわ)
なにしろ、望まない生を数百年生きてきたのだ。そのストレスや恨みは想像に余りある。なにがきっかけで火が付くか分からない。
あれこれ考えて黙りこくっていると、デル様が口を開く。
「私の妃はそなたを許せないようだ。正々堂々と立ち向かってこないそなたは、最早騎士でも何でもない醜い人間だ」
「……ッ!! 汝に何が分かる!!」
(デル様、挑発しちゃだめ!!)
火にガソリンをぶちまけたデル様。
泣きそうになりながら、彼の腕を引っ張る。「ん?」と首をひねる彼は、私がなぜ焦っているのか理解できていない。最強の魔王様に、恐れとか慎重という言葉はなかった。
案の定、ヴージェキアは真っ赤な顔になり、ヒステリックに叫び出した。
「汝にわらわの気持ちが分かってたまるか! 好いた男と結婚する前日に、この世界へ飛ばされた悲しみが!! 悲しみの中この国で騎士団を創設し、鍛え、あの色欲魔王にも耐え! ようやく死んであの世に行けると思ったら、死んだわらわにまであの魔王は執着した! 王妃の目を盗んでわらわを冥界から連れ戻し、また地獄の日々……挙句自分は先に死によって……ッ! わらわは不死の苦しみを味わっているというのに………ッ」
慟哭する彼女の目は限界まで開かれ、真っ赤に血走っていた。
図書館の書物では語られることのなかった、真実。それはあまりに非情だった。
(――彼女は私に恨みは無いと言ったけれど、きっと少しはあるでしょうね)
デル様に愛され大切にされている私は、彼女が叶えられなかった姿と重なるのかもしれない。結婚前日に召喚されてしまうというのはかなり気の毒だ。不死の苦しみも共感できる部分があった。
私はちょっとだけ彼女に同情していた。
しかし、隣に立つ男はそうではなかったようだ。
「そなたの事情は分かった。当時の魔王……ペリキュローザを憎むあまり、私も憎く思うのも、まあ仕方ないだろう。だが、セーナを狙うのは勘違いも甚だしい。仮にセーナがそなたを許したとしても、私はそなたを許さない」
ゆらりと一歩前に出るデル様。
(お、怒っている! とてつもなく怒っているわ!!)
デル様の魔力に染まっている私には、彼のオーラがビシバシ伝わってくる。顔は見えずとも、今まで感じたことのないレベルで彼は怒っている。
ちょっぴり同情しちゃった私とは違って、彼の中で「それはそれ、これはこれ」という感じなんだろうか。さすが、魔王様は簡単に情に流されたりしない。
「だが、そなたが被害者であるというのも看過できない事実だ。祖父の無礼の侘びとして、一撃だけ攻撃を受けよう。……首を刎ねるもよし、心臓を一突きにするもよし。そなたの好きにすればいい。そのあと私が生きているのなら、私はそなたを容赦なく断罪する」
(!!??)
「で、デル様、何を言ってるんですか?」
事前の打ち合わせでは、そんな話は無かったはずだ。少なくとも私は聞いていない。
胸に氷でも当てられたかのように、ぞくっとした。
「言ってる意味分かってますか!? 彼女の選択次第で死ぬってことですよ!??」
デル様の両腕をつかんでぐらぐらと揺さぶる。
死ぬ? デル様が? そんなこと絶対だめだ!
「わ、私のことはいいですから!! 私が彼女を許せば、そんな無茶は止めますか!? それならいくらでも許しますから! デル様がいなくなるのは、絶対に嫌です!!」
デル様は私から目を逸らし、床を見た。長い睫毛が、彼の顔に影を落とす。
彼が私から顔をそむけたことなど、ただの一度もない。およそ彼らしくない行為に、心臓がぶるぶると震えだす。
(何それ……?)
「……セーナ、すまない。しかし、これは魔王としての問題だ。私の祖父は私利私欲のために法を犯した。罪を償う事もなく、全てを隠したまま亡くなった。だから、どこかで落とし前はつけなければいけない。彼女は許されないことをしたが、被害者でもある。こちらの罪を償わずして、彼女の罪を問う事は出来ない」
「でも……だからって! デル様自身が背負うことないです! 裁判とか、示談金とかっ……、他にやり方はあるんじゃないですか!? デル様は真面目すぎます!!」
「――私は、正しい王でありたいと思っている。仮にここで有耶無耶にしたとして、今後私は民にどのような顔向けができようか。身内の罪は揉み消して、他人の罪は平気で裁く――ブラストマイセスを、そんな汚れた国にしたくない」
ぎゅっと私を抱きしめるデル様。
首元にうずめられる、艶やかな黒髪と、美しい琥珀の角。魔王という名にふさわしい見た目だけれど、その中身はとんでもなく真面目で、国の事を一番に考える賢王なのだ。
(デル様の気持ちは分かる。分かるけど――――)
ここでヴージェキアを殺せば、全て闇に葬れるのではないか。この話を耳にしているのは、私とデル様の2人だけなのだから――そう考えてしまった私は、実に浅はかで汚れた人間だ。国とか政治とか、今となってはどうでもいい。王妃失格だけど、私は何よりもデル様の命が大切だ。
「……できるだけ死なないようにする。私はそう簡単にはやられない。だがしかし……もし死んでもセーナを一緒に連れて行くことはできない。それは本当にすまない」
不老不死の私は、デル様が死ぬときに一緒に魂を持って行ってもらう約束をしている。それが果たせないことを謝罪される。
謝るデル様の声は凛としていて、どこかよそよそしかった。
最早私に入り込む余地がないことを突き付けられ、足元がぐらりと傾いた気がした。
「デル様……っっ!!」
できるだけ死なないようにってどういうこと? そんなことできるの? 言いたいことは色々ある。でも、言葉は何一つ出てこなかった。
怒り、戸惑い、あらゆる感情が私の中に渦巻き、溢れ、言葉は出ないのに彼の腕を掴む手にはあり得ないぐらいの力が入った。
「……痴話喧嘩はそれぐらいにしてくれ。わらわはそこの魔王の言う事を呑むことにする。一撃で汝の首を刎ね飛ばし、積年の恨みを晴らしてくれようぞ!」
あははははははは! と、狂ったように高笑いするヴージェキア。
ゆっくりと腰にはいた剣を抜き、一歩一歩こちらと距離を詰めはじめる。
興奮しているのか瞳孔は開き、狂人じみた笑みを浮かべている。
(まずい、本当に殺る目つきをしてる――)
首を刎ね飛ばされても、私は外科医じゃないから縫合なんてできない。
私じゃなくたって、国内でそれほどの技術がある医者なんて1人もいない。優秀なドクターフラバスだって、そんな経験無いだろう。
このままではデル様は死んでしまう。
どうしたら……どうしたらいいの――――
奥歯がカチカチ言い始める。
「で、デル様、だめです……だめ………」
この腕を離したら、彼は死に向かってしまう。握る手に力を込めて、彼を見上げた。
夜空のような、深い青色の目は、一瞬だけ私を優しく見つめた。
デル様は私の体を無理やり振り払い、そのまま背中でかばうように立った。
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