第99話

彼女は気だるげに門に寄りかかっていた。緊張感のかけらもなく、見張りをしているとは思えない態度だ。

 それなのに、俺は彼女から目が離せない。心底面倒くさそうに宙を見つめ、唇は悩ましげに半分開かれている。その表情が、俺の心の奥底の何かをつくつくと突いてくる。


 踊り狂う心臓を必死で抑えながら、彼女に声を掛ける。


「な、なぁそこの騎士様。名前、何ていうんだ?」


 言いながら、心の中で頭を抱える。

 普段ならもっと気の利いた言葉が出てくるはずなのに、どうも調子が出ない。いきなり名前を尋ねるなんてちょっとおかしいヤツだろ! 緊張するなんて俺らしくない。


 多分彼女もそう感じたのだろう。胡散臭いものを見る目で俺を見る。


(ああ、その目つきもイイな)


 彼女の眼は、なんというか蛇みたいにねっとりしていた。赤い色をした三白眼でねめつけられて、背筋がゾクゾクっとする。気の強そうな目つきに、艶やかな群青色の長い髪。いやいやいや、色っぽ過ぎるだろ……


「……ハンシニーよぉ。どちら様か知らないけどぉ、お連れの男性は陛下の元に案内済みだから、御用が無いなら帰ってちょうだい~」


(……ぐっ!!)


 華のある容姿にアンバランスな、舌っ足らずな口調。雷に打たれたような衝撃が体に走り、思わず胸を抑えて膝をつく。

 冷めた目つきで見下ろす彼女を見上げながら、俺は自分が恋に落ちたことを確信した。


 何としても、彼女を手に入れたい。

 飢餓感にも似たような感覚が、俺を突き動かす。


「ハンシニーちゃん。今日仕事が終わったら飯行かないか? もちろん俺がご馳走するからさ」


 ぐらつく膝を叱咤して立ち上がり、笑みを張り付けて誘いをかける。


「ナンパのつもりなら他を当たってくれるぅ? あたし、陛下以外の男に興味ないのよぉ」


 しっしっと手を振りながら、気だるげに答えるハンシニーちゃん。


(イイね、そのアンニュイな感じ! ああ、なんて美しい指なんだ……!)


 俺の顔は自分で言うけど悪くない。王族の末裔特典なのか、かなり整っている方だ。それだけは先祖に感謝したい。

 だがしかし……あの男前、もとい魔王陛下が相手となるとちょっと敵わない。見た目で負けているなら、中身で勝負するしかないか。


「参ったな……。正直に言うとさ、俺、ハンシニーちゃんに一目惚れしちゃったんだよね。確かに陛下はかっこいいけどさ、俺にもチャンスをもらえないかな?」


 変に取り繕うよりは、もう言ってしまった方が早い。彼女はハッキリと陛下が好きだと言っているのだから、こちらもハッキリ要望を伝えるのがスムーズじゃないかと思った。


「ん~。あんた、タイプじゃないのよねぇ。頭ピカピカしてるし、なんか軽そうだしぃ~」

「ハンシニーちゃんがそう言うのなら髪伸ばすよ。軽いのは……ハンシニーちゃんに気に入ってもらおうと必死なんだ、気を悪くしたのならごめん」

「ん~~~」


 その後、しぶる彼女をどうにか説得して飯にこぎつけた。雑貨屋を経営するうちに交渉術とか会話術は身に付いていたから、それが大いに役立ったと言える。


 翌日から俺の行動は早かった。

 トロピカリの雑貨屋は、開店当初から働いてくれている従業員に譲り渡すことにした。このまま王都に住んで彼女の近くで暮らすためだ。1回帰ってしまえば彼女から忘れられてしまう自信があった。

 華やかな王都で再び雑貨屋をやるには、ライバルが多すぎる。新しい職を探したところ、運よく城で文官の募集があったから、すぐさま応募した。店の経営で数字とか帳簿に詳しかったのが幸いし、採用してもらうことができた。


(打倒陛下なんだけど、今の俺があるのは陛下のお蔭なんだよなぁ)


 親亡き後、生活のもろもろをサポートしてくれたのは陛下だし、雑貨屋を開けたのも彼の援助があったからだ。その懐の大きさにはずっと感謝していたから、とうてい俺が敵う相手でないことは分かっている。


(でも俺は負けないぜ。振り向いてもらえるまでアタックするまでだ。髪を伸ばして仕事で出世して、ハンシニーちゃんに認めてもらえる男になる)


 愚直に勝負する――まさか自分がそういう泥臭いことをするとは思ってもみなかった。1週間前までは、このまま雑貨屋を盛り立てつつ、後腐れなく女の子と遊んで暮らす。そんな人生が続くのだと思っていたのだから、運命とは数奇なものだなあとしみじみしてしまった。


 ――アタックを続けて数年経ち、国を騒がせていた疫病が落ち着いた頃。一緒に夕飯を食べていたとき、彼女の正体が魔物のメドゥーサということを告げられた。


「ほら、あたしは怖ぁい魔物なのよぅ。これであんたも諦めがついたでしょ~?」


 王都の裏路地にある、小洒落た店の個室。正面に座る彼女の顔はいつもと同じだが、頭には無数の青い蛇がゆらめき、各個体が俺を睨みつけている。


「……いや、メドゥーサちゃんは美しい」

「はぁ?」


 ポロリ、と彼女の口元から煙草が落ちる。


「メドゥーサちゃん自身もそうだけど、その蛇ちゃん達も相当美人だよ。俺ならみんなを平等に愛せるね」

「……あんた、バカなのぉ??」


 彼女は心底呆れたように脱力しているが、俺は嘘なんかついていないしバカでもない。

 だって好いた女ならば全てを受け止めるのが男の流儀じゃないか? 今更彼女が人間だとかメドゥーサだとかどうでもいい。むしろ、人間と違って金とか権力に興味のない魔族のほうが、俺は好印象だ。


 何かと理由を付けて俺を邪険にしていたメドゥーサちゃんだったけど、この日から少しだけ態度が軟化したことを俺は嬉しく思った。


 ◇◇◇


 あたしメドゥーサ。見たものを石に変える、とぉってもキュートな魔物なの。


 別に何でもかんでも石にするわけじゃあないわ。「石になれ☆」って考えながら睨みつけないと石にはならないのよぉ。

 でも、なんかみんなは誤解してるみたい。近づくと石にされると思ってるのか知らないけど、あたしに近づいてこないのよねぇ~。うーん、別にいいんだけど、ちょっと寂しいなって思う事もあるよね~。

 あ、でも例外が2人いるわぁ。愛しの魔王様と、ラドゥーンのエロウスはあたしのことを怖がらずに接してくれるの。


 ほんと、魔王様って素敵よねぇ。艶のあるお角に、絹のような黒髪。男らしいオーラもあるし、魔族イチの色男だと思うわぁ! これでもあたし、美的センスはある方だと思うの。石にしてお部屋に飾ったら毎日ハッピーだと思ったのに、なんでかエロウスに全力で止められちゃったわぁ。


 お城の見張りがあたしの仕事だから、毎日遠くからしかお姿が見えないのよねぇ。でも、ある日お城が急に壊れちゃったの。あたしよりも古株の魔物……磯の香りがするでっかい竜が暴れたみたい。陛下が召喚したんだと思うけど、その日の陛下は何だかとっても寂しそうだったわぁ。お慰めしましょうかってお声をかけたんだけど、断られちゃったぁ。


 サルシナとかいうケルベロスは本当にうっとうしいの。お城の修理とか、疫病の対応とかであたしをこき使うんだものっ。あたしの役目は陛下をお守りすることなのに、どうしてそんな仕事までしなくちゃいけないのかしら?


 あ、そういえばもう1人気に食わない奴がいたわぁ。頭がツルツルした人間よ。名前は……ラファニーとか言ったかしらぁ? 一目ぼれしたとかで付きまとって来るのよね。あたしが可愛いって言うのは良いセンスしてるけど、人間になんて興味ないの。どうせあたしが魔物だって言ったら、泣いて逃げ出すに決まってるものっ。魔族でだってそうなんだもの。人間なんて、もっと怖がるに決まってるわよ。


 ……そう思ったんだけど、ラファニーとかいうやつは結構しつこいの。

 ツルピカの頭もやめるとか言うし、あたしに会いたいからお城で仕事見つけたとか言うし。メドゥーサだよって言ったのに、いっそう粘着されているって、ちょっと頭おかしいと思うわぁ。あたしの頭の蛇ちゃん達に名前をつけて話しかけてるし、蛇ちゃん達も何だか懐いちゃってて、本当に意味がわかんない。


 あたしはあんな軟弱なやつ嫌だわぁ。少なくとも、陛下が誰かと結婚するまでは絶対にムリよ。って、陛下は誰とも結婚しないって言ってたけどねっ。お城が壊れた日、聞いちゃったんだよね! だからラファニーにもそう言ってやったわぁ。「陛下が誰かと結婚したら、あんたと付き合ってやってもいいわぁ」って! ふふ、そんな日来るはずがないのに、涙を流して喜んじゃって、本当に変な奴っ!


 あ、エロウスが呼んでるわぁ。めんどくさいけど、仕事だから行かなきゃ~。じゃぁ、またねぇ!

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