幕間 第二王子の10年間

第98話

「ねえねえメドゥーサちゃん! 今日はね流行りのお菓子を持ってきたよ! ほら、焼き菓子で有名なライアンテの限定品……へぶっ!!」

「あんた、本当にうるさいわよぉ? 付きまとわないでって言ったわよねぇ~?」


 メドゥーサちゃんからみぞおちに一発食らった俺は、情けなく地面に膝をつく。

 弟みたいに鍛えていない俺は、ガタイがいいわりに耐久力がない。


 芝生についた手を、ヒールの高い皮のブーツが踏みつける。


「い、痛ッッ!!」


 ぐりぐりぐり。


 涙目で見上げると、虫けらを見るような冷たい眼差しと目が合う。


(やべぇ、最高かよ……)


 ケツほうから、ぞわぞわぞわっと背が震える。

 たまらん。控えめに言って、たまらん。


 魔法でもかけられたかのように、手とみぞおちの痛みが快感に変わっていく。

 叩き落とされて中身が散らばった菓子の包みを視界の隅に入れながら、中庭の芝生に五体投地する昼下がり。


 断っておくが、俺は変態なんかじゃない。彼女を前にしたら全ての男はこうなるはずだ。

 彼女に会えたから俺の人生は変わったんだ。そう、それは10年前の出来事――――



「ライ! 大丈夫か? この間の新聞、見ただろ?」


 とあるアパートメントの一室。

 鍵のかかっていないドアを開けると、弟が生気を失った顔で座っていた。


「かっ、カイ兄。……見たよ、ロイ兄があんなことをするなんて……」


 憔悴した様子のライ。その手に握られているのは俺ら3兄弟の一番上、ロイが反逆罪と誘拐未遂罪で断罪されたという内容が一面に載った新聞だ。

 これを見て俺は、3日で仕事を片づけて急いで弟の家に来た。なにしろ弟はロイのことを尊敬していたから、いきなりこういう事態になって混乱していると思ったからだ。


「だから言ったろ? あいつはヤベェことしてるっぽいから気を付けろって、何回もお前に忠告しただろ」


 ライの手から新聞を奪い取り、どかっと固い椅子に座る。

 相変わらず質素な部屋だ。俺が贈った絨毯と絵画がやたら浮いて見えるほど何にもない。


「あ、ああ……。なんか、まだ信じられないけど。でも、こんなにたくさんの関係者が目撃して証言しているんなら、本当なんだろうな……」


 青白い顔で言葉をしぼりだす弟。


(ま、すぐには受け入れられねぇよな)


 王都のゴロツキ達、武器屋の主人、そして王城の家来たちの証言がつらつらと新聞に書いてある。記事に目を滑らせながら、改めてロイは屑だったなと思う。俺とロイは1歳差だからあいつのコソコソに気づけたが、ロイとライは8歳離れている。うまく言いくるめられても仕方ない。


 気が利かない弟は立ち尽くすばかりで飲み物の1つもよこさない。

 仕方ないからポケットからスキットルを取り出し、ウイスキーを一口あおる。


(憧れの兄が、王座に執着するあまり犯罪をおかすなんてな。しかも自分は利用されてただなんて気づいたら、そりゃショックだ)


 俺らの家は王族の末裔らしいが、正直全く実感はなかった。唯一実感した出来事は、俺が10歳のころ、両親が不慮の事故で亡くなった時だ。黒づくめで角の生えた男前が現れて、家とかお金を与えてくれたのだ。「そなたらは王族の末裔として生活が保障されている。定期的に様子を見に来るから、なにか不自由があれば遠慮なく言ってくれ」そう言った無表情の男前が国王だと知ったのは、数年後のことだ。


 俺とロイの反応は対照的だった。


 俺は親切にしてくれたその男前が好きだった。王子という肩書は面倒だったから早々に名を捨ててラファニーと名乗り、成人後は夢だった雑貨屋を開いた。サポートしてくれた男前にとても感謝している。

 一方でロイは激しい憎悪を見せた。逆恨みって言うんだろうか、上手くいかないことがあると全て男前のせいにした。いつか玉座を奪ってやる。それがロイの口癖だった。今思えば両親が事故死したやりきれない気持ちをそっちにぶつけて発散していたのかもしれない。父と母に一番懐いていたのがロイだったから。


(まぁ、それにしても愚かすぎるだろ)


 椅子にもたれてゆらゆら揺らしながら、頭の後ろで腕を組む。

 気を取り戻したらしいライが、ゆるゆるとした動きで茶を淹れだす。


「なあ、焼き鳥はないのか?」

「ない」

「ちぇっ」


(……なんだあの置物)


 台所手前、雑に置かれた木箱の上にひよこを模した置物がいくつか乗っている。

 いやに可愛いな。どう見ても男が買うようなもんじゃない。誰かにあげるのものか? 止めた方がいいんじゃないか、ちょっと子供っぽいぞ――――


「なぁカイ兄」


 茶を持って正面に座る弟。

 先ほどまでの腑抜けた表情ではなく、なにか思いつめたような顔つきだ。


「俺、国王に会いに行くよ」

「は?」


 ぶっ、と茶を吹き出しそうになる。

 どこからそういう発想が出てきたんだ。


「俺、ロイ兄から、国王は悪者だって言われてたんだ。でも……多分そうじゃないんだろ? だったら直接会って確かめたいし、カイ兄が言ってたとおり俺らを助けてくれたいい人なら……国王に恩返しがしたい」

「……なるほどな。いいんじゃないか? お前は自分の目で見て確かめた方がいい。王都に行くんなら付き合うぜ。仕入れのついでだ」


 仕入れ、というのは半分建前だ。俺は仕入れで何度か王都に行ったことがあるが、弟は初めてトロピカリを出る。在庫には余裕があるけれど、こんな憔悴したヤツを1人で行かせるのはちょっと危ない。


「助かる」


 ――――――そうして俺と弟は王都に旅立った。


 弟を城へ送り届け、自分は馴染みの問屋に顔を出して先に帰る。そのつもりだったのだが――――

 門の前で見張りをしている1人の女性騎士。


 彼女を一目見た瞬間から、俺の心臓はおかしくなってしまったんだ。

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