第97話

デル様のエスコートで離宮を出る。

 夕暮れと、夜の始まりの間のような時間帯。地平線は茜色と群青色がぼんやりとグラデーションを作っている。

 刺すような寒さが全身を襲うが、一瞬で暖かくなる。不思議に思って隣を見上げると、デル様がニヤリと笑った。


「火と風の魔法の応用だ」

「こんなこともできるんですね! ありがとうございます」


 私たちは離宮から中庭を通り、城門の外に出る段取りになっている。

 それはいいのだけれど、この格好は非常に歩きにくい。ドレスはタイトだし、ハイヒールが芝生に埋まってしまうのだ。汚さないようにと思うと、かなりヨチヨチ歩きになってしまう。そんな私をデル様は優しくエスコートしてくれる。


 打ち合わせの時に「指パチンで、会場までポンと移動できないんですか?」と聞いてみたが、だめらしい。歩いてくる姿も観衆――主に飛行型の魔物だけれど――は見たいからだそうだ。


(なるほど、ドラゴンたちが飛び交っているわね)


 群青色の夜空に、大きな流れ星のような軌跡が見える。ドラゴンやペガサスが、じゃれあうようにして飛び回っていた。


 別の方角に視線を向けると、真っ赤に燃えるような鳥が、長い尾をきらめかせながら、お祝いのメッセージを書いてくれているのが目に入った。


「デル様あそこ! すごいですよ! 祝福の文字が!」

「――魔王の婚姻には不死鳥が祝福に訪れると聞いていたが、本当だったのだな」

「あれが、不死鳥なのですね……」


 隕石、あるいは彗星かのように降り注ぐきらめきに、感嘆の吐息を洩らすデル様。不死鳥も魔族だけれど、ほとんど姿を現さない貴重な種族らしい。


 誰もが目を引き付けられるような、神々しい祝福の文字が夜空に広がる。

 それはただ美しいだけでなく、心に沁み入るような、あるいは魂を抜かれそうなぐらい、幻想的だった。


 不死鳥の祝福をもらったあと、再び城門に向って歩を進める。

 護衛の騎士団が持つ灯りに先導され、転ばないようにゆっくり歩みを進める。


「……セーナ」


 気遣わしげなデル様の声。


「……ロシナアムですか?」

「そうだ」


 短いやり取りで私は事態を把握する。

 ロシナアムからデル様に念話が入ったということだろう。それはつまり、ヴージェキアが何らかの動きをみせたということだ。護衛してくれている騎士団の顔にも緊張が走る。


「私は大丈夫です。覚悟する時間は十分にありましたから」


 やっぱり彼女は、私にとって特別な日を狙いにきているみたいだ。

 ――人の幸せに泥を塗るような奴なんて知らない。こちらから仕掛けるような真似はしないけれど、もし攻撃を加えられたら最後、私は全力で返り討ちにする。そう決意を新たにした。


 城門が近づくにつれて、観衆の歓声が聞こえてくる。盛り上がっている空気感がこちらにも伝わってきて、緊張感の中にも思わず笑みがこぼれる。


 お披露目を夜の時間帯にしたのは私の希望だ。


(夜の幻想的な雰囲気が好きなのよね)


 ブラストマイセスの降ってきそうな星空を背景に、幻想的な魔術具の灯り。来場者には一杯のシャンパンが無料で配られる。警備の都合上屋台までは許可できなかったけど、来てくれた皆さんにはちょっとしたお祭りのような楽しさを味わってもらいたかった。


 城門まで辿りつくと、城門の外側にいるエロウスが声を張り上げる。


「我が偉大なるブラストマイセス王国を統べるデルマティティディス国王陛下、および英知と豊穣の黒き女神、セーナ様のご入場!!」


(な、何よその紹介……っ!!)


 聞いていない。打ち合わせにそんな恥ずかしいセリフはなかったはずだ。

 エロウスにげんこつを落としたい気持ちでいっぱいだが、城門が開き始めたので急いで顔に笑顔を張り付ける。


 城門の隙間から、たくさんの観衆が来てくれているのが目に入る。目に入る人みな、嬉しそうな顔をしている。

 音が遠くなり、全ての動きがなぜだかスローモーションに感じた。


 ――――――わあっ!!!


『陛下! 王妃様!』『おめでとうございまーーす!!』『お2人とも何て美しいのかしら…』『疫病の件、ありがとうなーっ』


 耳を打ち破るような、歓喜の声。

 急に聴力が戻ってびっくりする。


 デル様に導かれて、色とりどりのお花で飾られたステージに昇る。

 見渡す限り―――本当に見渡す限りいっぱいに、国民が来てくれていた。


 お城は丘の上にあるのだけど、目に見える範囲は人(と、人に化けている魔族)で埋め尽くされている。シャンパングラスを突き上げ、思い思いお祝いの言葉を叫んでくれている。


「こんなにたくさんの民が来てくれるとは、正直驚いた」


 手を振って歓声に応えつつ、ポツリとつぶやくデル様。


「……デル様の人望ですよ。魔族も人間も、みなこうして1つになって集ってくれている。とても、とても美しい光景です」


 デル様が目指す、魔族と人間が手を取り合い、家族の笑顔があふれる国。その想いは、確実に息づいているように思えた。


 私も色んな方向に手を振りながら答える。ひそひそ喋っても歓声にかき消されてしまうので、誰かに聞こえることはない。冬だというのに王城一帯は熱気に包まれて暑いくらいだ。


「では! さっそくですが、国民の皆様の前で入籍契約の儀を執り行います!」


 再び声を張るエロウス。

 入籍契約の儀、なんて大層な名前がついているが、要は婚姻届の記入だ。魔術具のペンでサインを書き、血判を押す。それだけだ。


 デル様がどこからともなくペンを取り出し、空にサラサラとサインを書く。マントの裏から小さな剣を取り出し、指を切って血判を押した。

 次は私の番だ。デル様から受け取ったペンで、彼の名前の隣に「佐藤星奈」とサインをする。デル様が私の手を取り、指に小さく傷をつける。ぎゅっと血を絞り出し、血判を押した。


 途端、ふたつのサインと血判が虹色にまばゆく光り出す。

 宝石のカケラを散らしたようにキラキラとした閃光が、観衆の頭上に降り注いでいく。


 再び、わあっと大きな歓声が上がる。


『祝福だ!』『なんて幻想的なのかしら!』『天に愛された国、ブラストマイセス!』


 観衆の盛り上がりはピークに達しているようだ。


 私たちの契約書は光の収束とともに空に消えていく。今この瞬間、私はデル様の妻となり、ブラストマイセス王国の王妃となったのだ。


「セーナ・レイ・マリア・ブラストマイセス王妃の誕生です!」


 エロウスが高らかに宣言をする。

 歓声とともに、どこからか花びらが舞い落ちる。


(あとは誓いのキスをして終りね……)


 少しホッとしたその時――――。真っ白な閃光が視界を奪い、つんざくような爆発音が鼓膜を震わせた。

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