第86話

【セーナ視点に戻ります】


(ひどい目に遭った……)


 デル様の誕生日会はとどこおりなく終了した。

 シェフと共同制作した料理、ケーキ、プレゼント。どれもとても喜んでもらえた。――はずだったのに、なぜかデル様は私に謝り、寝室に押し込んだ。


 デル様はすごかった。

 何が、とはちょっと言えないのだけど。


(滋養強壮にいい食材が、そっちの方向に働いてしまったのかしら!?)


 単純に疲労回復をしてもらいたくて、滋養強壮メニューにしたのだ。薬ではなくただの食材だし、量としてもかなり少ない分量だ。それしきで魔王であるデル様がどうにかなってしまう事は、あり得ないと思っていたのだけど……。

 とにかく私は意識を失うまで……ゴホン。

 目が覚めた今も体中がだるい。うん、もうやめよう。魔王様に滋養強壮は必要ないです。


 バルコニーへ続く大きな窓の外は暗く、まだ夜中っぽい雰囲気だ。

 隣ではデル様がすーすーと健やかな寝息をたてている。


 よぼよぼと起き上がり、ベッドサイドに置いてあるグラスから水分を補給する。再び泥のようにベッドに沈み込む。


(はぁ、明日仕事に行けるかしら?)


 不死身の身体とはいえ、普通に疲れるし、痛みも感じる。死なないだけで、感覚器官は働いているのだ。朝までに回復しているといいのだけれど。


 ぼんやりと窓に目を向ける。

 少々曇っているのか、星は見えない。


(……ん?)


 私の第六感が何かを察知した。

 窓の外から、何か――――

 と思ったその瞬間。


「んっっ!?」


 横から強く引っ張られ、ぐるんっと視界が回る。

 と同時にガラスが割れる音がした。


 静かな夜の帳をぶち壊す、パリイィィィンという場違いに高い音。

 舞い散るガラス片がスローモーションに見えた。

 

ドッッ


 1テンポ遅れて、物騒な音が耳元に響く。

 頬からシーツの引きつれを感じた。


「ロシナアム! 追え!!」


 私を抱き込んだデル様が鋭く叫ぶ。


「承知しましたわっ!」


 どこからともなくロシナアムらしき影が現れる。

 それは割れた窓から、ひらりと外へ飛び出していった。月に照らされたロシナアムの横顔は鋭かった。


(何!? 何が起きたの!?)


 寝ていた位置をチラリと見れば、何が棒のようなものが突き刺さっていた。

 1秒前まで私の頭があった場所だ。


「でで、デル様……っ!」

「大丈夫だセーナ。私はここにいる。まだ安心できないから、じっとしているように」


 突然のことに、私は無意識のうちにぷるぷると震えていた。ぎゅっとデル様にしがみつけば、強い力でしっかりと抱きしめてくれた。

 彼が片手をあげて左右にふると、部屋の灯りがついた。明るくなるだけで少し気持ちがホッとする。


「狙いはセーナなのか……?」


 優しく頭をなでる手つきとは対照的に、ドスのきいた声でデル様が呟く。

 その言葉で、私は毒菓子事件を思い出した。

 犯人はまだ捕まっておらず、半ば迷宮入りしかかっている状態だ。


(もしかして、今回も同じ犯人が……?)


 震えがおさまったところで、ゆっくり体を起こす。

 私が寝ていた位置には、やはり細長い銀色の棒が刺さっていた。矢、だろうか?

 その太さやベッドにめり込んだ感じからするに、当たっていたら確実に脳を射抜かれていたと思う。容赦ないやり方に、ぞくりと背中が震える。


 おそるおそる手を伸ばす。

 が、すぐにデル様の大きな手で阻まれた。


「触るなセーナ。毒が塗ってあるようだ」

「えっ」

「ここだ。無色透明だから分かりづらいが、何か塗ってある。……暗殺でよくある手法だ」


 彼が指差したところをよく見ると、確かに何かヌラヌラしたものが塗られていた。


(一体何の毒だろう……? どうせ今の私には効かないのだから、少し舐めてみたらだめかしら?)


「デル様、少しだけ、なめ…」

「だめに決まっているだろう」


(ですよね)


 切れ長の青い瞳が、ジトッと私をねめつける。


「そろそろ警備の者たちが駆け付けるだろう。毒矢は研究所のしかるべき部署に任せなさい。そなたが狙われた可能性がある以上、自ら研究することは許可できない。万一にでも何かあっては困る」

「……分かりました」


 ちょっと残念だけど、デル様の言うことはもっともだ。

 アラサーともなれば、みっともなくごねるような真似はしない。


 デル様の言った通り、廊下から大勢の乱れた足音が聞こえてくる。

 部屋の前でピタリとやみ、勢いよくドアが開く。

 

「陛下、セーナ様! ご無事ですか!?」


 青い髪の少年騎士を先頭に、差し迫った表情の騎士たちが飛び込んできた。


(あっ、エロウスだ)


「ああ、大丈夫だ。ロシナアムを追跡に向かわせている。そなたらはこの部屋と、毒矢の調査を」

「「はっ!」」


(……はぁ。怖かった――)


 深いため息をつく。

 この場は彼らに任せ、私は別室に移動することになった。

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