第82話

「陛下はね、一言で言うと天才だったのさ。魔力量も剣の腕も、どれをとっても歴代随一。そりゃあ素晴らしかったさ。だけど、才能に甘えず、更に上を目指して努力する子供だった」

「デル様は、小さい頃から高い志をお持ちだったんですね」

「ああ。子供らしくイタズラをしたりわがままを言うこともあったけど、素直で優しい子だったよ。……でも、家族の縁には恵まれなかったね」

「――と言いますと?」


 そういえばデル様の家族の話は聞いたことがない。

 王妃教育の中で歴代魔王の名前とざっくりとした功績を習ったぐらいで、私が知っているのはそれだけだ。


「陛下の家族は短命だったんだ。父上にあたる先代の魔王陛下、トリコイデス様は若いうちに亡くなっている。トリコイデス様の死に絶望した奥様は食事をとれなくなって衰弱しちゃってさ。後を追うように亡くなったんだよ。……兄弟のいない陛下は、少年時代に家族をみんな失ったのさ」

「そ、そんな……」


 ぐっ、と胸が締め付けられる思いがした。

 私の家は母子家庭だけれど、優しい母と姉がいつも側にいてくれた。寂しいとか不幸だとかは感じたことがない。小さいうちに家族みんな居なくなる、ということの寂しさや喪失感は、正直想像を絶するものがある。


「魔族ってのは人間に比べたら長生きだからさ。家族がみんな居なくなるっていうのはほとんど無いんだよ。陛下は泣き言一つ言わなかったけど、心の中では寂しかったんじゃないかと思う」

「おじいちゃんとかおばあちゃんは居なかったんでしょうか?」

「魔王という座は死をもって交代になるから、おじいちゃんは当然居ないね。おばあちゃんはかなり年上女房だったから、陛下が生まれた頃に寿命で亡くなったよ」

「…………」

「もちろん、あたしたち魔族の部下が全力でお支えしたさ。でも、魔王という立場は陛下にしか勤まらないだろ。人に言えないこと、頼れないこと、色々あったんだろうと思う。陛下はなまじ優秀だったから、いつしか全て1人で抱え込んでいったんだ」


「確か110年前の戦争は、魔族のみなさんを巻き込まないために1人で戦ったとか……」

「そうさ。あんな戦い、陛下が出なくてもあたし達だけで圧勝できるレベルだったのにさ。責任感が強すぎたんだよ。もっと頼ってほしいってみんな思ってた」


顔をしかめるサルシナさん。不満、というよりは悔しそうな表情だ。


「あたし達が無理やりにでも前線に出ていれば陛下は毒矢を受けることなんてなかったんだ。毒はじわじわと陛下の体を侵していって本当につらそうだった。でも王位を譲れる相手がいないだろ? だから陛下はこれまで以上にご自分に厳しく執務にあたっていた。あたしたち部下もどうにか解毒できないかって、国内外に散らばって優秀な人材を発掘したり、嫁さん探しをしたりしていたのさ」

「サルシナさんがトロピカリで薬店をしていたのは、そういう理由だったんですか?」

「ああ。そしたらセーナ、あんたが現れたってわけさ。取引で関わるうちに腕も確かだし、信頼できるって確信した。陛下に連絡して、今度来るときにセーナの所に寄ったらどうですかってね」

「えっ、じゃあ、デル様がうちで倒れていたのって……!?」

「倒れるつもりではなかったようだけどね」


 いたずらっぽくニヤリとするサルシナさん。


(まさか、サルシナさんが仲人だったとは)


 視察途中で具合が悪くなって行き倒れたと思っていたけれど、どうやら元々私を訪ねてきていたらしい。そんなことデル様は全然言ってなかったけれど、もしかして薬師としての腕や人柄を試されていたのかしら?


「――ありがとうございます。私より先に他の薬師なりが見つかっていたら、デル様とこうして幸せに過ごせていないですから。そう思うとヒヤヒヤします」

「セーナで本当によかったと思うよ。陛下のことはもちろん、国のこともちゃんと考えてくれている。これは魔族全員の意見だ。あんたが裏で何て呼ばれているか教えてやろうか?」


 ――なんだかちょっと嫌な予感がするけれど、この流れは聞いておいた方がいい気もする。


 じっとサルシナさんを見つめる。


「……『黒い女神様』さ。あんたの黒髪と、陛下と国を助けたことに由来してる。くくっ……」


(っ、恥ずかしい!! こんな、アラサーの地味な見た目なのに……)


 文字通り頭を抱える私だ。

 黒い女神、だなんて大層な二つ名は全くふさわしくない。黒い、は黒髪でそうだとしても、女神っていうのは過剰広告すぎる。ブラストマイセスの魔族は視力が弱いのだろうか??


「まあ、セーナは恥ずかしく思うだろうけど、好きにさせてやってくれよ。あんたの人気ぶりでこの国が盛り上がってるのは、次期王妃として好ましいことだろ?」

「き、嫌われるよりは全然いいですけど……でもやっぱり……」


 あんまり私に注目しないでほしい、というのが正直な所だ。

 デル様は見た目も中身も立派な王様だけど、私はしょせんただの薬剤師兼研究者でしかない。彼を支え、公務などの仕事はきっちりするけれど、できることなら研究所でひっそり過ごしたい。


 恥ずかしさを紛らわしたくて、クッキーに手を伸ばす。

 サクサクと小気味いい音に少しだけ癒される。


「まあ、とにかく陛下を頼むよ。国の事はあたし達部下でどうにでもなるけれど、陛下を支えて癒すのはセーナしかできないからさ」


 笑顔を一転させ、真面目な表情で軽く頭を下げるサルシナさん。

 身が引き締まる思いだ。


「……はい、それは精一杯やらせてもらいます。デル様が安心できる家族になりたいと思います。それに、万が一にでも先に死なないように気を付けます」


 サルシナさんの話を聞いて、私は自分を恥じていた。

 彼の優しさを享受するばかりで、彼を支えるということの本質を理解していなかったからだ。


 どんな人生を送ってきて、どういうことに幸せを感じるのか。サルシナさんから聞く前に自分から彼に聞いておくべきことだった。デル様は私の性格をよく理解してくれていて、普段から自由にさせてくれている。おかげで私は今とても幸せだ。


 だけどデル様はどうだろう。私は普段研究所のことばかりしていて帰りも遅い。会話といえば世間話とか他愛もないことばかりで、彼のことを掘り下げて積極的に知ることは、全然できていなかったと思う。


 ――彼は今、幸せなんだろうか? ふと不安になった。


「……サルシナさんごめんなさい。今日は早めに帰ってもいいですか?」

「あたしゃ構わないさ。さっさと実験を終わらせるかい? もう十分休憩したよ」

「すみません」


 察してくれたサルシナさんに感謝して、私たちは休憩を切り上げて実験に戻った。


 培地が乾いていることを確認して、倍々希釈した土の懸濁液を塗り伸ばしていく。

 培地300枚に塗っていくので時間はかかったが、集中して取り組んだら17時半には終了した。


 培地シャーレを落とさないよう慎重に運び、37℃の恒温器に入れる。

 ここで5日間培養する。


「じゃあ、すみませんが帰りますね」

「ああ、気を付けて」


 この時間ならまだデル様は帰っていないだろう。お出迎えができるかもしれない。

 慌ただしく荷物をまとめて、ロビーの転移陣目指して走り出す。


 だから後ろでサルシナさんが小さく呟いた言葉は全く耳に入らなかった。

「絶対幸せになっておくれよ。――あんたを連れ戻したのはあたしなんだからさ」



 いつもに比べてかなり早く帰ってきた私に、ロシナアムは驚いていた。「デル様をお出迎えしたくて」と説明すれば、ニヤニヤ含み笑いをしながら何故か頭を撫でてくれた。


 動きやすい出勤服から王妃らしい上質な服に着替え、彼女にお願いして少しだけメイクもしてみる。

 急にこんなことをしだしてデル様は戸惑うだろう。でも、少しでも喜んでくれたらいいなと思った。


 執務を終えて帰ってきたデル様を笑顔でお迎えする。

 ――――彼は一瞬びっくりした顔をしたけれど、すごく嬉しそうな顔で「ただいま、セーナ」と答えてくれた。

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