第81話

培地3種類、各100プレートを作り終えて時計を見上げると、15時過ぎを指していた。

 培地が乾燥して使える状態になるには2、3時間かかる。一息つくにはいいタイミングかもしれない。

 ちなみにブラストマイセスにプラスチックは無い。かさばるけれど、再利用可能なガラス製シャーレを使用している。


「――2人でやると早いですね。休憩を挟んでから土の希釈液をまきましょうか」


 実験台に並んだアルコールランプやシリンダーをいったん片付けつつ、サルシナさんに声を掛ける。


「りょうかい。はぁ、慣れないことは肩が凝るねぇ」


 実験台にもたれ掛かりながらグダッとするサルシナさん。

 目の前に広がる大量のガラスシャーレをぼんやりと見つめている。相当疲れたようだ。


「ふふっ、魔物のかたも肩が凝るんですね。所長室にお茶とお菓子がありますから、一息入れましょうか」

「ああ、ごめんよ。本当ならあたしがやるべきなのに」

「全然気にしないでください。仕事中は立場とか関係なしでお願いします!」


 疲労困憊でぐったりしているサルシナさんの手を引っ張り、椅子から立たせる。

 ふくよかなサルシナさんの手は温かく、すこしだけ湿っていた。


 白衣を脱いで所長室へ移動し、簡易お茶セットを準備する。

 食堂に連絡すれば軽食やお茶などをデリバリーしてくれるのだけれど、研究者とは元来引きこもりがちな生き物。こうして部屋に最低限の飲食を備えておく習性がある。


 引き出しから茶器セットを取り出して、紅茶を淹れる。

 あいにくこの部屋に給湯器は無いので水出しだ。だけれど、実験で火照った身体には、冷たい飲み物がかえってちょうど良い。


 カップに茶を注ぎ、さじ一杯の水飴を混ぜ入れる。疲労回復には適度な糖分がいい。


「はい、ペパーミントティーです。メントールの香りで気分がすっきりしますよ」

「ありがとう。――――うん、疲れた体に染みわたるねぇ!」

「良かったです! クッキーもどうぞ。あ、ジャーキーのほうがいいですか?」

「ジャーキーをもらっていいかい? すまないね」


 ジャーキーという単語を耳にしたとたん、サルシナさんの表情がぱあっと明るくなる。


 ふくよかな体型から甘党なのではと思っていたのだけれど、ジャーキーなど干し肉の類が好きなのだと一緒に働くようになってから知った。私の隠し食糧引き出しには、彼女の好きなジャーキー、干しささみ肉、干し芋なんかも常備されている。


 用意を終えると自分も着席して、ぺパーミントティーに口をつける。

 スーッと爽快な香りが鼻を抜けていき、水飴の甘さが舌を喜ばせる。


 クッキーはアーモンドが一粒埋め込まれているやつだ。木の実って香ばしくていいよね。


「――――サルシナさんとゆっくりお茶を飲むなんて初めてですね」


 トロピカリ時代、サルシナさんの店に薬草を卸しに行くとお茶を出してくれた。でも私は家が遠かったのでゆっくり飲んでいくことはできなかったのだ。付き合いは長いけれど、実はお互いそこまで深く知っているわけではない。


「2人では、確かに無かったかね。まあ、あたしゃ陛下からセーナの話は色々聞いてたから、あんたのことは良く知っているつもりだけど」


 満面の笑みでジャーキーを噛みしめるサルシナさんが、更ににやりと口角をあげた。


「なっ……!?」


 いったい何を話したのだろうか。ていうか、デル様とサルシナさんは結構仲良しなんだな。――なんか悔しい。私だって2人と仲良しだと思っていたのに、私抜きでいろいろやり取りをしていたなんて!


「っ、なんか納得できないのでサルシナさんかデル様の話を聞かせてください! 私を仲間外れにしないでくださいっ」

「あはは、ごめんごめん。別にセーナを仲間外れにするつもりじゃないんだよ? あたしは陛下が小さかった頃護衛をしていたんだ。だから仲がいいというか、付き合いが長いだけさ」


 ふくれた私の顔が面白かったのか、目じりを指でぬぐうサルシナさん。


「ええっ、そうなんですか! 初耳です。そういえば、私デル様の昔のことをよく知らない……」


 ブラストマイセスに来たばかりのころは関わりがなかったし、冥界から戻った後は改まってそういうことを聞く場面がなかった。彼と一緒にいるときは、他愛もない話をしてふざけ合っているだけなのだ。――え、全然だめじゃん私!!


「そうさね、あんたは知っておいた方がいいだろうね。次期王妃で、陛下を支えられる唯一なんだから」

「お願いしますっ!!」


 がばりと頭を下げる。


「培地が乾くには、まだ時間があるんだね?」

「はい、あと1時間半くらいかかると思います」

「じゃあその間に色々教えてあげようか」


 そう言ってサルシナさんは干し芋に出を伸ばしながら、話し始めた。

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