第80話
「オリジナル抗生剤だって?」
「はい。疫病の件で抗生剤がどういうものかは知ってますよね? 身体の中に入った悪い菌をやっつける薬のことです」
「ああ、知ってるよ」
「抗生剤の成分を作るのも、また菌なんです。不思議というか、面白い話ですよね。病気を起こす菌もいれば、治す菌もいる。それでですね、私たちの研究テーマは抗生剤になりそうな菌を見つけることです。専門的な言葉で言うと、菌を培養、分離、単離精製して、スクリーニングすることです」
ふむふむと、腕を組んだサルシナさんが頷く。しかし、その眉間にはしわが寄っていた。
少し、説明が難しかっただろうか。
「なんだか小難しい話だね。ええと、あれかい? 新聞で見たけど、確かセナマイシンも土から見つかったとか書いてあったね? 土の中から菌を探すってことなのかい」
「そうですそうです、覚えてもらえて嬉しいです! あれは上司のゴルフに付いて行ったとき、こっそりゴルフ場から採取した土から分離されました」
気前のいい上司だった。土目当てで勝手に付いていった私の交通費や食事代まで出してくれた。まだ新入社員で貧乏だったからすごく有難かった覚えがある。自分が主任になった時は彼の振る舞いを参考にしたものだ。田中さん、元気にしてるかな?
「ゴルフとやらが何だか分からないけど、あんたがまた変な行動したのは伝わったよ。――ええと、間違ってたら言っておくれ。土の中には抗生剤を作る良い菌が含まれている。それを培養して、成分を抽出する、みたいなことなのかい?」
「おおむねそういうイメージですね。付け加えますと、土の中には色々な種類の菌が入ってますので、1種類ずつに分ける作業が入ります。そのあとにそれぞれの菌の成分を抽出します。で、その抽出した成分が薬になるのか、はたまた何の効果もない成分なのかを調べるのがスクリーニングになります。ですから最悪、全て薬にならない成分だったら収穫はゼロですね。まあ、ざっくりですがこんな流れです」
「もしかして、結構手間がかかる実験……? それなのに、収穫ゼロの可能性がある……?」
サルシナさんは勘が鋭い。でも、手間暇かけるからこそ当たった時の嬉しさはすごいぞ!
絶対に当たる宝くじなんてワクワク感がないだろう。そりゃ嬉しいけど、そういうことじゃないんだよなあと思う。はずれが含まれているからこそ当たりの価値が跳ね上がるし、取り組みがいがあるというものだ。
「おっしゃる通りです! 地道な作業ですけど土から宝石を見つけるようなワクワク感がありませんか? ブラストマイセスの土にはどんな菌がいるのか、どんな成分を作っているのか、そう考えるだけで白飯3杯はいけますよねっ!?」
「…………」
サルシナさんの反応は芳しくない。
目を半開きにして、胡散臭そうな視線を私に向けている。
「そんなに心配ですか? 大丈夫ですよ、スクリーニング系はいろいろ用意します。抗生剤の成分はなかったとしても、もしかしたらガンに効くかもしれないし、解毒薬になるかもしれないですからね。作業が無駄にならないように私も一応考えてますから! あっ、化合物ライブラリーも作らなきゃいけないですね。分離した成分は凍結保存して後世に引き継ぎましょう。今は役立たずの成分でも将来は何かに効くかもしれませんから。ああ、もう結構時間が過ぎちゃいました。貴重な時間が! さあさあ、さっそく取り掛かりましょうねっ」
笑みを隠し切れなくなった私は、完全に目を閉じているサルシナさんをぐいぐい押して実験台へ移動する。
婚約者になったタイミングが研究所の完成間際だったため全体の設計には関われなかったのだけれど、私個人のスペースはまだ間に合ったのでオーダーメイドで作ってもらった。
研究所の地下に所長室はあり、執務室のとなりが実験室だ。
長方形の黒塗りのデスクが実験台で、その正面には棚がついている。試薬やビーカー、シリンダーといった細かい器具を置く場所だ。そのつくりを1ユニットとして、4ユニットが配置されている。
上階のほうが見晴らしは良いけれど、地階は共有機器室や動物実験室があり便利なので効率重視でこのフロアに部屋をもらった。器具図鑑を鍛冶職人に預けているのでこれから仕上がる器具もたくさんあって楽しみだ。
次期王妃とはいえ、私は一応研究でご飯を食べていた人間だ。「セーナの技術に見合う最高の設備を整えろ」と言ってくれたデル様の言葉に甘えて、予算は遠慮なく使わせてもらい、今この国にある技術を尽くした設備を整えてもらった。もちろん結果を出して期待に応えるつもりだ。
さあやるぞと白衣の袖をまくり上げ、サルシナさんに笑顔を向ける。
「まあ、今日の作業は軽いもんですよ。培地を作って土の希釈液を播くだけですから」
「あたしは言われたとおりにするから、指示を出しとくれ」
「ではまず培地を作りましょうか。今から必要な培地成分を読み上げるので、該当する試薬瓶を取ってもらえますか?」
「分かった」
実験棚にずらりと並ぶ試薬瓶。
そのほとんどが棺桶に入れて日本から持ってきたものだ。10年以上前から私はこの研究がやりたかったのだ。ブラストマイセスの菌や動植物から薬を創る研究が。
「ポテトデキストロースアガー」
「ああ」
「トリプトン」
「はいよ」
「麦芽エキス」
「うん……」
「肉エキス」
「はい……」
――――「いったいいくつあるんだ?」とでも言いたげなサルシナさんの目線。
あと15はあるよとは言えず、私は高らかに読み上げを続けるのだった。
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