第78話
先に帰っていなさいとデル様に言われた私は、大人しくお城へ帰還した。
そして、ロシナアムに張り付かれながら食事や湯あみを済ませた。ロシナアムは貧乳だという発見があった。
寝室でごろつきながら「漢方調合レシピ集」を書いていると、ガチャリとドアが開く音がした。
この部屋はデル様と私が使う寝室で、ドアは2つしかない。私の部屋へ続くドアと、彼の部屋へ続くドアだ。今音がしたのは後者だから、入ってこられるのは1人しかいない。
ペンとノートを横にやり、急いで起き上がる。
振り返ると、やはりそこには麗しい婚約者様の姿があった。帰還してすぐここに来たのだろうか、華やかな軍服のままだ。
(――おや、表情が硬い)
付き合いの浅い人から見ればただの無表情に見えるだろうけど。近ごろはその張り付いた表情からでも本音を読み取れるようになってきた。
デル様と出会ってから11年くらい経つけれど、一緒に過ごしたのは実質1年ほどしかない。私はもともと人の機微に疎いし、王妃として自信を持って彼を支えられるという域には到底達していない。日々彼を観察して前向き研究をしているところだ。
「――デル様お疲れ様でした。浮かない表情ですけれど、お帰りになったということはひと段落ついたのでしょうか?」
ベッド横のソファに腰を下ろしたデル様は長い脚を雑に組み、短くため息をついた。麗しい眉間にしわを寄せており、結果が芳しくなかったことを予感させた。
「すまない、セーナ。犯人は見つかっていない」
「そうですか……。食堂スタッフと人事部に手掛かりはなかったのですか?」
デル様の隣に移動して、彼の大きな拳に自分の手を重ねる。そして、それはすぐさま握り返された。
「そうだ。人事部に提出されていた履歴書をもとに自宅へ捜索隊を出したのだが、その住所は空き地だった。付近の住民に名前を尋ねてみてもそんな人物は知らないと口をそろえていたらしい。つまり、履歴書は偽装されたものだったというわけだ」
「偽装! ますます怪しいですね……!!」
「ああ。今取れる手段として国境を封鎖し、食堂スタッフから聞いた外見の特徴を手掛かりに各地の領主へ捜索依頼を出しているところだ。……ただ、見つかるかは正直運だろうな。我が国は広い」
「そうですね……。履歴書を偽装までして計画的に行われたものだとしたら逃亡についても策を講じているでしょう。簡単に足がつくとは思えません」
「引き続きあらゆる方法で捜索する。セーナの警護を強化し、フラバスにも護衛をつけるつもりだ。――安心させてやれなくてすまない」
眉を下げてこちらを見るデル様。
子犬のように心細げな表情をする彼は、なんだか可愛くて愛おしい。
(私は基本不死身なのだから、そんなに心配しなくたっていいのに! むしろ毒を喰らうのは不運というより幸運ですし……!)
彼の大きな手をぎゅっと握りながら、心からの笑顔で応える。
「いいえ、私は全然ほんとうに大丈夫ですよ。それに王妃になったらこうやって命を狙われることは結構あるんじゃないですか? 慣れるいい機会だと思うようにします」
「……ありがとうセーナ。そなたの考え方に私はいつも救われている。犯人を見つけしだい私直々に処分を下し、二度とセーナを狙う愚か者が出ないよう見せしめるつもりだ」
「ふふ、頼りにしております」
おでこに1つ口づけを落とされ、そのまま大きな腕の中に抱きこまれる。デル様は清めの魔法を使ったのだろうか、1日の終わりなのに清潔な良い香りがする。
彼の胸にそっと頬をよせれば、じんわりと温かくて居心地のいい空間に自然と瞼が落ちる。あー、なんだか急に眠くなってきた――――
腕の中で大人しく丸まった私を見て、くすりと楽しげに笑う音が聞こえる。
「今日は疲れただろう、もう寝よう。私も着替えてすぐ来るから」
「……そうします。デル様、色々とありがとうございます。あなたがこうして守って下さるので私は安心して毎日を過ごすことができます」
もぞもぞと身体を動かし、手を伸ばしてデル様の琥珀の双頂を撫でる。
ビクッと彼の体が揺れ、一気に琥珀が真っ赤になる。
「こ、こらセーナ。寝るんじゃなかったのか?」
デル様は角が敏感だ。手を口元にあてて恨めしそうに私をねめつける。
「すみません、つい。私はデル様のお角が好きなんです、つるつるして大きくて――とても綺麗なので触りたくなります」
「それは嬉しいが、むやみに触られると身が持たない」
角だけでなくお顔まで真っ赤に染まるデル様。
その様子を見て、私は温かくてくすぐったい気持ちになる。しかし、同時に仄暗い感情もわいてくる。
前から思っていたけど、一番敏感な部分がむき出しになっている魔王の身体構造は大丈夫なんだろうか。人間であれば大事な部分は臓器として体の内部にあったり、表面にあれば毛が生えることで保護されている。だけどデル様の角は丸腰の状態で頭上に輝いているのだ。
うっかり木の枝が触れたら? 虫がとまったら? そのたびに反応してしまったら困るんじゃないだろうか。私は眼福だけど、他の婦女子に見られるのを想像すると、どうも気分がよくない。
だから、 お裁縫は苦手だけど、近いうちに角カバーでも作ろうかなと思っている。
そんなことを頭の中で考えている私を、デル様は丁寧に横抱きにした。角とお顔はいまだに真っ赤だ。
そしてふんわりとベッドに下ろし、優しく毛布をかけてくれた。その心のこもった動作に、身体の力が抜けいていく感覚があった。
――毒を盛られるなんて初めてだったから、意外とメンタルにきていたのだろうか。
ふかふかのお布団を胸まで引き上げて彼を見上げる。
「――おやすみなさい、デル様」
「ああ、おやすみ。セーナ」
愛されている、という幸福感。守られている、という安心感。
仕事ばかりの前世では知ることのなかった幸せに包まれながら、私は夢の世界へ落ちていった。
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