第77話

「毒だって!?」

「どういうことですの!?」


 ドクターフラバスが唾を飛ばして立ち上がる。

 殺気をあらわにして周囲を警戒するロシナアム。


 和やかな雰囲気が一転して、張り詰めた空気になる。

 そんな中、私は手に持ったかじりかけの菓子を探るように見つめる。 


 ここはオープン前の研究所だ。私たちの見学は非公式であるし、来ていることを知る者は多くないはずだ。一体誰が、何の目的で毒を盛ったのだろうか。私かドクターフラバス、あるいはその両方に毒を盛る意図とは何なのか……?

 焼き菓子から視線を外さないまま、私は口を開く。


「……この焼き菓子には毒が入っています。具体的に言うとマンドレイクですね。独特の味がするので間違いないはずです。ロシナアム、今研究所にいるスタッフを建物から出さないで。ここに集めてちょうだい」

「承知しましたわ!」


 ロシナアムが機敏に駆け出して行った。

 一連のやり取りが聞こえたのだろう。食堂のおばちゃんたちが震えながら、厨房から私たちのほうへと出てきた。


 マンドレイク。別名『恋なすび』。大学時代に習った知識を思い出す。

 青い小さな花をつける可愛らしい植物だけれど、根っこは人型をしている珍妙な植物だ。地面から引き抜く際にすさまじい悲鳴をあげるとされ、この悲鳴を聞いた者は正気を失うという言い伝えも残っている。

 古くから鎮静薬として用いられてきた半面、使いこなしが難しい。量を誤ると毒となる危険な植物だ。有名な戯曲「ロミオとジュリエット」で用いられた毒もマンドレイクだとされている。


「マンドレイク……? いったい誰がこんなことを」


 言いながら、落ちた毒菓子を拾い上げるドクターフラバス。

 マンドレイクは食べない限り毒ではないので、触れることは問題ない。


「偶然混入するような類のものではありません。私かドクターフラバスを狙ったとみるのが自然でしょうか」

「そうなるか……。セーナ君が不死身だということは伏せられているから、どちらが狙いかは分からないね。いやぁ、もし僕が先に食べていたらと思うとゾっとする」

「魔族は菌類には耐性があるけれど、毒は有効なんですもんね」


 ドクターフラバスと初めて会った時、そういうやり取りをしたことを思い出した。魔族は魔力が堤防のようになっているから、他の生命体である菌類は体内に入れないらしいのだ。その一方で、単なる化学物質である毒は魔族にも有効だ。


「そう。いやぁ、今更ドキドキしてきたよ。……っていうか、なんでマンドレイクの味を知っているの? ちょっとスルーしちゃったけど、僕は今そこも驚いているよ」


ドクターフラバスは胸に手をあてて、疲れた様子でドカッと椅子に座った。


「薬草類は危険の無い範囲で味見してるんですよ。自分の使う道具をよく知るのは当たり前ですからね。そんなことよりブラストマイセスは平和だと思っていましたけれど、毒を盛られるというのはよくあることなのでしょうか?」


「は、はは、セーナ君は熱心だなぁ。――――いいや、ほとんどないよ。たまに間違って有毒植物を食べて搬送される患者はいるけれど、意図的に盛られたようなケースは稀だね。僕が経験したなかでは家族間のもめごとで父親の毒殺を試みた男がいたぐらいか。……まあ、セーナ君は今や王族だから、そういう意味では同じに考えない方がいいかもしれないけれど」


「うーん、そうですね。王族って、常に命を狙われているイメージです。デル様は人気がありそうだし、私の事が気に食わない人はいるでしょうね」

「セーナ君について世論の大多数は好意的に受け止めているけれど、常に例外や過激派はいるから気を付けるに越したことはないよ」


 眼鏡の奥から真剣な眼差しを向けるドクターフラバス。きゅっと心臓が跳ね上がる。

 普段どうにもゆるっとしている人物の真顔とはなぜか凄みがある。


「っ、そうですね。――毒ならまだしも爆弾とか仕掛けられたらさすがに無事では済まないと思うので気を付けます」


 そんな話をしていると、ロシナアムが息を切らせて戻ってきた。

 肩を上下させつつも、私の目を見て報告を始める。


「研究所内くまなく探しましたが誰もおりませんでしたわっ。王城の人事部にも確認をとったのですけれど、本日出勤しているのは確かに食堂スタッフ6名のみだそうですわ」


(……ん? 6名?)


 確か、食堂に来たときに居たスタッフは5名だったはずだけど……裏に1名いたのかしら?

 現に、厨房から出てきて目の前にいるおばちゃんは5人だ。


「ロシナアム、今ここにいるのは5名に見えるけど?」

「……っ! おっしゃる通りですわ、1人足りません! ……でも一体どこに? 確かに所内には誰もいませんでしたけれど」 

「――心当たりはありますか?」


 水を浴びたように震えるおばちゃんスタッフ達に問いかける。


「は、はい。昼前には6人いたんですけど、王都のマルコ商店へ買い出しに行くって言って帰ってこない者がいます」

「見た目的にはあたいらと同じくらいだったよ。いやに姿勢がよくてキリッとした感じだったけど」

「名前は……なんだったべか? 声が小さくてよく聞こえなかったもんで……」


 互いの顔を見合わせながら、困ったように話し始めるおばちゃん達。

 どうやら6人は今日が初対面で、もともと面識があるわけではないらしい。


「うーん、その人は何らかの事情を知っていそうだね」


 腕を組んでうなるドクターフラバス。


「ですねぇ……。戻ってくればいいんですけど、そうでない可能性も高そうですよね……」


 でも、どうしよう。私はただの薬師兼研究者だから、こういう状況でどうしたらよいのかわからない。


 マンドレイク毒を含んだ菓子が私とドクターフラバスに提供された。行方不明のスタッフが1人。

 今分かっているのはこれだけだ。


 警察――は無いから。

 とりあえず、騎士団にでも連絡を入れたらいいだろうか?

 ロシナアムに騎士団への連絡をお願いしようと口を開いた、その時――――


「セーナ、そこまででいい。あとは私が取り調べる」


 聞き覚えがありすぎる低い美声が後ろから聞こえた。

 はっと振り返ると、漆黒の美丈夫が数メートル先に立っていた。


「でっ、デル様っ!? いつの間に……!」


 公務終わりで来たのだろうか、きちっと軍服を着こなしている。金ぴかのボタンやら勲章がいっぱいついたその衣装はデル様の抜群のスタイルにとてもよく似合っていた。あまりに様になっているので、思わず目が惹きつけられてしまう。――のは一瞬だった。

 デル様のお顔は、あからさまに憎悪に満ちていた。


(と、とてつもなく怒ってらっしゃる……っ!?)


「ロシナアムが念話をくれた。私の婚約者に毒を盛るなど万死に値する。じきじきにあの世へ送ってやろうと思って急いで来た」


 こめかみに青筋を立てて、コツコツとこちらに歩み寄るデル様。足がとてつもなく長いので数歩で私の隣に並んだ。


「ま、まだ私と決まったわけでは……ドクターフラバスかもしれないですよ!?」

「どちらにしろ重大な罪に変わりはない」


 前々から思っていたけれど、デル様の身内意識はすさまじい。

 魔族の同胞を巻き込みたくないからと5万の旧王国軍を1人で相手にしたり、私を誘拐した輩を爆散させたりと、守るべき対象が害されそうな時の行動はなかなか過激なのだ。「法は犯していない」というのが彼の言い分なのだが、そういう問題なんだろうか。


 デル様は不機嫌極まりない顔をしたまま、私の腰を強めに引き寄せて腕の中に囲い込んだ。


「あの、デル様。人の目がありますから……」

「今はいいんだ」

「あ、ハイ」


 ぴしゃりと言われれば、私は何も返すことが出来ない。デル様の怒りのオーラは、有無を言わせない力があった。

 私を抱き込んだデル様が、こちら見下ろしながら再び口を開いた。


「セーナはもう城に戻れ。あそこが一番安全だ。ロシナアム、お前はセーナに付け。フラバスは私と居残りだ」


 口角を無理やり上げて笑いかけてくれているようだけれど、目は全く笑っていない。


「かしこまりました!」

「お役に立ってみせましょう」


 ロシナアムが胸に手を当てて敬礼をし、ドクターフラバスが跪く。王妃教育のおかげで、これは人間と魔物それぞれの最高礼をとっているのだと分かった。


「――お城でデル様の帰還をお待ちしてますね」

「うむ。私が帰るまでロシナアムのそばを離れるんじゃないぞ」

「わかりました」


 ――私も事のゆくえに興味はあるが、帰れと言われればそれに従う。余計な首を突っ込んで場をひっかきまわすようなことはしたくない。

 「わたしが毒見すべきでしたわ、すみません」としょんぼり謝るロシナアムをなだめつつ、ロビーの魔法陣で王城へ帰還した。


(デル様は素晴らしい王様だから、きっとすぐに犯人を見つけるわ。婚約者となった今、気を引き締めるいい機会だったと捉えましょう)


 そう楽観視していたのだが、その晩彼から告げられたのは意外な事実だった。


【後書き】

ロシナアムは人間なので魔力がありません。つまり念話が使えません。なので魔王様から貸与された念話魔術具で連絡をとっています。

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