第76話

ロシナアムの案内で研究所を見て回る。


「この研究所は疫病の流行をきっかけに設立されたのは、セーナ様もご存じですわね。国の重要拠点という位置づけですから、菌や毒の研究から薬の開発までを一貫して行うことができる設備を備えておりますの。所長は国王の婚約者で我が国の筆頭薬師でもあるセーナ様ですわ」

「あっ、私は筆頭薬師になったんですね」


 今、初めて知った。婚約者、次期王妃といい、なんだか色々肩書が増えた。


 研究所の建物は5階建てで、基本的に1フロアに1部署の割り当てだ。

 5階から2階までが順に開発部、薬物・毒物部、真菌部、細菌部。1階はロビーと食堂、資料室があり、地下1階は動物実験室と共有機器室がある。また、屋外には薬用植物園があり、様々な薬草が栽培されている。


「いや~、思った以上に良い出来栄えだね!」


 目を見張るドクターフラバス。


「同感です。これだけの器具を揃えるのは大変だったのではないですか?」


 お世辞ではなく本当にびっくりした。

 今見学しているのは共有機器室なのだけれど、エバポレーターやデシケーター、顕微鏡まであるのだ。


 ロシナアムいわく、これらの機器は私が棺桶に入れてから持ち帰った専門書をもとに、魔族と人間が協力して制作したらしい。

 たとえばエバポレーターだと、機器本体はガラス職人や鍛冶職人が制作し、原理の部分はデル様が魔術をかけているとのこと。これも、両種族が手を取り合っている今のブラストマイセスだからできたことだ。

 もちろん性能は日本のそれには遥か及ばない。でも、無いより全然ありがたい。


「国の発展のために、そして陛下の恩人であるセーナ様のためにと、みな頑張ったのですわ」


 ロシナアムが当然ですというすまし顔で答えた。

 私は専門書をもとに、この機器があったらいいな、という意見を出しただけだ。もちろんいずれもブラストマイセスにはないものだから、手探り状態での制作だっただろうに。関わってくれたすべての方々に心から感謝の気持ちがわいてくる。


「すべての機器の試運転は済ませているそうです。実際に使用してみて不都合な点があれば、遠慮なくおっしゃってくださいとのことですわ」

「ありがとう。早く使ってみたいです!」

 

 今日は見学だけということなので、実際に機器を動かすことはできない。本格オープンがますます楽しみになってきた。

 連れだって真新しい階段を上り、各部署の実験室もチェックする。


 ――いずれの部署も素晴らしい設備で、この国の実験レベルは一気に100ぐらい上がったと言える。ここを任せてもらえる以上、必ず結果を出して国民に還元しようと決意を新たにした。



 非常に満足した気持ちで見学を終え、私たちは食堂で一息つくことにした。

 1階に戻り、ロビーとは反対方向の廊下を進む。

 

 食堂の前には、揃いのエプロンを付けたスタッフが5名、並んで待機していた。

 ロシナアムが耳打ちしてくれたところによると、私たちの見学に合わせて急遽出勤してくれたとのことだ。


「みなさんこんにちは。所長になる予定のセーナと言います。私たちの見学に合わせて出勤してくださったとのこと、お忙しいところありがとうございます」

「いいえ、王妃様にお会いできて光栄です!!」


 軍隊ばりに息の合ったタイミングでお辞儀をするスタッフたち。酵母みたいにまるまるとした見た目のおばちゃん達だ。


 嬉しい反面、少々複雑な気持ちになる。

 私は庶民だし、なんなら死人である。こうやってかしこまった態度をしてもらえるほどの人物じゃない。王城では仕方ないにしろ、研究所職場でぐらい畏まらずフランクに接してもらえる方が助かるのだけれど。


 しかし、王妃の威厳というのは必要ですとおじいちゃん先生は言っていた。私自身のためというより、デル様の威厳のために必要だという説明にはすごく納得した。

 勉強と違って一朝一夕に身に付くものではないだけに、この点はまだ慣れなくて苦労している。


 席に案内され、すぐにちょうどいい温度の紅茶が提供された。ロシナアムは護衛として来ているので少し離れた壁際に控え、私はドクターフラバスと向かい合って着席している。


 紅茶のいい香りが鼻を抜けていく。さっそくカップを手に取り、口を潤す。


「美味しい紅茶ですね、カモミールの香りが落ち着きます。……ときに、ドクターフラバスは今もゾフィーにお勤めなんですか?」

「いいや、ゾフィーは3年前に離れたよ。今は基本王都の中央病院にいるけれど、後進教育のために各地の病院を回ったりもするね」


 そう答えて、ドクターフラバスもティーカップを傾ける。そして、小さく「うん、とても美味しい」と頬を緩ませた。


「ドクターフラバスは優秀ですから、ノウハウを共有することは素晴らしいですね」

「この国は豊かだけど、病気がなくなることは無いからね。医者の質を上げることが重要だと思っているよ。あとはぜひセーナ君の持つ薬学の知識を広めたいね。研究もいいけど、そっちの普及も進めてもらえるとすごく嬉しい」

「もちろんです! 漢方薬はこの国に自生しているもので作れますからまずはそこからがよさそうです。調合のレシピ集にしたら、分かりやすくていいですかね?」

「そうだね。本のようにしてまとめてくれると助かるな。病院の予算で購入して医者たちに配ろう」

「なるほど、それはいいですね。お城に帰ったらさっそく取り掛かりますね!」


 言いながら、運ばれてきた菓子に手を伸ばす。

 マドレーヌのようなものに干した何かが入った焼き菓子だ。できたてなのだろうか、バニラの香ばしい匂いにつられて、大きくひとかじりする。


(――――――!?)


「やあ、美味しそうなお菓子だな。僕も一つ――――」

「いけません!」


 菓子をつまんだドクターフラバスの手を叩く。

 いきなり声を荒らげた私に目を丸くするドクターフラバス。手を伸ばしたままフリーズした。


「セーナ様、何事ですの!?」


 壁際に控えていたロシナアムが、血相を変えて一瞬で駆けつける。


「大きな声を出してすみません。――これ、毒が入っています」


 叩き落として床に転がり落ちた、茶色の菓子。

 それ見下ろせば、思ったより低い声が出た。

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