第74話

ふと気が付くと、入室したときには真上にあった日差し、はすっかり傾いていた。

 手元の文字は、気づけば随分と読みにくくなっている。


 灯りはどこかしらと席を立ったと同時に、自動的に明かりがついてびっくりする。まるで、私の意識を読み取ったかのようなタイミングだ。


 これも魔術かしらと感心しつつ、腰を下ろし、本日最後の本を手に取る。

 表紙に魔法陣のような模様がでかでかと書かれているものの、所々インクが薄れている。紙の質感もザラザラカサカサしていて結構年季の入った冊子だ。


(ん? これは本というより帳簿のようなものかしら……?)


 製本されてはいるけれど、内容がまとまった文章ではなかった。

 どのページも暦、日付、名前から始まっており、備考欄に一言二言メモが書いてある。

 パラパラとページを繰って行くと、一番新しいページに書いてある名前で目が止まった。


「これ、私の名前だわ!」


 同名の別人という可能性随分とけれど……確かにそこにはセーナと書いてある。


「この日付は……私が元の世界に戻った日だわ。ええと、備考には『門の歪みから迷い込みし魂を元の場所へ』? ああ、これは門の使用記録なのかしら」


 なるほど興味深い。

 門は起動にかかる魔力が膨大すぎることと、国は十分潤っているとの判断から現在使用禁止になっている。しかし、昔は国の発展のために技術者を召喚していたと以前デル様は言っていた。

 最初のページに戻る。

 そこに書いてある名前は『ヒポクラテス』だった。備考欄には『人生は短く、術のみちは長い』と書いてある。


「ひぽ、ひぽくらてすぅ!?」


 思わず声を上げ、文字を二度見してしまった。

 ヒポクラテスとは古代ギリシアの医者である。「医学の父」とも呼ばれており、医療関係の勉強をした者ならば皆知っている名前だ。


「ヒポクラテスさんが召喚されていたなんて、これは大事件よっ!?」


 誰もいないのをいいことに大声を上げ続ける私。一気に顔は紅潮し、手にじわっと汗が滲む。


 こんな大物から始まるだなんて、このあとに続くページにもきっと著名人の名前があるに違いない。知られざる歴史を目の当たりにしてアドレナリン感謝祭が止まらない。


 はやる気持ちを抑えながら2ページ目をめくる。

 目に飛び込んできたのは、『始皇帝』の文字であった。

 備考欄には『帝王学の監修』と書いてある。


 秦の始皇帝は初めて中国全土を統一した皇帝だ。紙幣や文字の一本化など様々な功績を残している。確かに帝王学を学ぶにはぴったりな人物だけれど……魔王に帝王学を教えるなんて、よほど肝っ玉が据わってないとできないよなあと思う。見ず知らずだけれど始皇帝が気の毒になってきた。


(……あ、もしかしてこの国に生薬が多いのは、彼が指示したのかしら?)


 漢方医学の始まりは、始皇帝が不老不死の薬を求めたことからである。健康意識の高い彼は、この世界に召喚されたあともこっそり研究をしていたのかもしれない。ただ彼は薬師ではないので、育てた薬草を活用するところまでは至らなかったのかもしれない。だって、私が転移してきた時点で、この国の薬学は遅れていたから。……あくまで推測だけど。


 とにかく、彼のおかげで私はこの国で薬師業ができている。始皇帝さん、どうもありがとう――。

 感謝しながら、次のページへと進む。

 3ページ目には『クレオパトラ』と書いてあった。備考『魔王陛下が膝枕を強くご所望のため』


(……ふざけた魔王もいたのねぇ。職権乱用じゃない!)


 長い歴史の中には、こんなスケベ魔王もいたのか。

 召喚には膨大な魔力が必要だろうに、こんな目的のためにそこまでするのか。そう思うと、逆に感心さえしてしまう。

 それは、いかにも魔王らしい使い方ともいえる。その点デル様は本当に真面目で善良だよなあと思う。


 ――――そのあとも、知らない名前に交じって『小野妹子』や『フランシスコ・ザビエル』などといった見覚えのある名前がちらほら出てきた。

 そして『ヴージェキア・ゲイン』備考『騎士。剣術の教示のため』というページの次に私が続き、帳簿は終わりだった。



「……これは、なかなか衝撃的だったわね」


 ぱたんと帳簿を閉じて、天井を見上げる。長時間読書をしていたため首が凝ってしまった。

 左右にゆっくり首を回してストレッチをする。


(とっても興味深かったし、一つ疑問が解消したわ。この国って、なんかちぐはぐだと思っていたのよね)


 トロピカリで最初に持った印象は「一昔前のヨーロッパ」。歴史の教科書で言う中世~近代ぐらいの発展具合に感じていた。でも、ここで暮らしていくうちに、分野ごとの発展度合いがバラバラなことに気づいた。例えば、外科的な医学はそこそこ発展しているのに、薬学は遅れている。水道の整備はされているけど、電気は無い。多分それは、召喚人が居た分野は発展していて、そうでなかった分野は遅れているということなのだ。

 そして、帳簿の名前の3分の1が、地球の歴史上の人物だったこと。これは、以前デル様が言っていた「この世界はセーナのいる世界とアクセスがある」ということにきっと理由があるのだろうと思った。


「――それにしても、人選を担当した人は結構センスがあるわね」


 きちんとその道のプロみたいな人を呼べているのだ。担当者はかなり優秀だったことがうかがえる。こうして平和で豊かな国に発展できたのは、召喚人と人選担当者の苦労があってのことだったのだなあと改めて感謝する。


(でも、ザビエルは失敗したのかも。ブラストマイセスは無宗教だし)


 宗教を通じて国民をひとつにして、治めやすくするという手法はよくあることだ。たぶん当時の魔王もそれを狙ったのだろう。

 布教に失敗したザビエルは国に帰してもらえたのだろうか? デル様は、元の国に戻すケースはほとんど記録に無かったと言っていたけど。

 しばしザビエルに想いを馳せてみるが、まぁ考えても分からないことだ。彼が幸せな異世界生活を送れていたことを願うばかりだ。


「さて、読み終わったことだし戻りましょうか。お腹がすいたわ」


 かなりロシナアムを待たせてしまっていることを思い出す。

 慌てて山積みにしていた本を丁寧に元の場所へと返却し、図書館を後にした。

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