第73話

ある日、ブラストマイセスの宰相だというおじ様が部屋にやってきて、今後のスケジュールについて説明してくれた。

 結婚するまでの1年間は王妃教育が中心になるとのことだ。無事にそれを修了できれば、婚約者の身分でも研究所での勤務を始めてもいいらしい。


 研究所は現在建設途中なので、完成するのと私が王妃過程を修了するのとどちらが早いだろうか? 王妃教育ではどのようなことをするのか楽しみだけど、やっぱり早く研究に取り組みたいなあとうずうずしてくる。



「セーナ様。本日から王妃教育の教師が参りますわ。毎日午前中は講義を受けて頂きますわね」


 時刻は朝の8時。身支度をしながらロシナアムが教えてくれる。


「いよいよ今日から……! 頑張らなくちゃね!」

「では、お支度をしますから、鏡台の前におかけくださいませ」

「わかりました」


 寝室の一角にある、鏡台の前に座る。猫足の椅子はクッションがふかふかしていて、快適な座り心地である。


 ――最初は自分で身支度できるからと断ったのだけれど、「セーナ様はそれでいいかもしれませんけれど、恥をかくのは陛下ですのよ?」とはっきりきっぱり言われてしまった。つまり、いつもの身支度ではいけないらしい。デルさまの婚約者になった以上、適当なワンピースを着て髪に櫛を通すだけではだめだということだ。

 ロシナアムがはっきりと教えてくれて助かった。先日も屋根裏部屋でいいと言ってしまったように、私はまだ全然デル様の婚約者としての適切な行動が分からない。間違ったことを正してくれる人が側にいるのは、とてもありがたい。


 彼女は私の天然パーマを一生懸命撫でつけながら、見栄えのする髪型に結い上げてくれている。これもまた一つの王妃教育なのだと思って、身をゆだねている。

 髪を優雅に結い上げ、ぽんぽんと顔にお粉をはたき、ミドリムシみたいに綺麗な緑のワンピースを着せられる。毎度鏡を見ると「誰?」と思うあたり、ロシナアムの侍女スキルは相当なものなんだろう。


「お待たせいたしました。完成ですわ」

「ありがとう、ロシナアム」

 

 準備が整うと、さっそく教師が待っているというホールへ向かった。



 地球の一般庶民だった私が勉強についていけるだろうか?

 そんな心配もあったけれど、結論から言うと大丈夫だった。


 王妃教育のメインは座学だった。科目ごとに専任の教師が来てくれて、ブラストマイセス以前の歴史や、魔物、魔法などについて教えてくれた。

 教科書を見ながら講義を聴き、宿題が出される。こういう形式で進めていくようだ。授業みたいなものは本当に久しぶりに受けたのですごく楽しかった。


 デル様の言っていたとおり、気になっていたマナーの科目は私の目から見ても最低限という感じだった。いくつかの礼や言葉遣いだけ覚えればよく、逆にこれだけでいいのか心配になるレベル。先生いわく「陛下は将来的に身分制度をなくそうとお考えですから」とのことだから、国民との距離を縮めようとお考えなのだろうか。デル様の目指す国作りについても学ばなきゃと頭の中にメモをする。

 

「セーナ様は勉学がお好きなのですね。半日という短い時間でしたが、そのことがよくわかりました。図書室に色々と資料がございますので、ご興味があればご覧になってみてはいかがでしょうか?」


 授業終わりにそうおじいちゃん先生が教えてくれた。


 もちろん見るに決まっている!!

 さっそく午後向かうことにした。



 図書室は、王城のメインの建物から渡り廊下のようなところを通って、隣接する建物にあるそう。

 先導してくれるロシナアムの後をてくてく着いていく。現役の暗殺者アサシンである彼女はすらりと背が高く、スカートの裾からは形のいいヒラメ筋が顔をのぞかせている。


 お城はとても広く、黒っぽい石でできているのもあって重厚な雰囲気がある。廊下には数メートル間隔でたいまつの明かりがついており、ゆらゆらと炎が揺れている。歩いていく廊下には左右にいくつものドアがあって、こんなにたくさん部屋があって、いったい何に使っているんだろうと思う。

 こんな立派なお城の主がデル様だということも、不思議な心地だった。


「お待たせしました。こちらが図書室ですわ。入室には魔力登録が必要ですが、セーナ様は陛下の魔力をお持ちですので不要ですわ。こちらに手をあてると扉が開きます」


 ロシナアムは、とある扉の前で足を止めた。城の素材と同じ黒い石でできた扉だ。

 そして、扉のある部分を掌で指し示した。


 そこには、なにかの紋様が描かれていた。蝶、だろうか?

 促しに従って手をあてると、ぽぅっと紋様が金色に光った。そして、抜き出されたように浮かび上がった。いくつもの小さな金色の蝶が、ぱたぱたと飛んでいく。


「わぁ……!」


(なにこれ!? 魔法を使っているみたいでわくわくするわね!)


 感心していると、重厚な扉がすうっと霧のように消えていき、部屋の中があらわになった。

 見渡す限りいっぱいにずらっと本棚が並んでいて、古書特有の香りが流れてくる。


「では私はこちらで控えておりますわ。ごゆっくりお過ごしくださいませ」

「ありがとう。ゆっくり見て回るから、ちょっと時間がかかると思うわ」


 1歩入室すると、再びすうっと扉が現れ、廊下に留まるロシナアムの姿は見えなくなった。


「これもきっと魔術かなにかなんだわ。すごいわね、本当に……」


 魔法と魔術という似て非なる2種類があると、先ほどの講義で教わった。

 すごく簡単に言うと魔法は模倣、魔術は芸術、だそうだが、抽象的すぎて理系脳の私にはよくわからなかった。今後詳しく教えてくれるそうなので楽しみだ。


「さて、図書館を楽しみましょう!」


 改めて室内に向き直る。

 ……予想していた以上に、立派な図書室だ。


 床から天井までの壁が丸々と棚になっており、ところどころに梯子がかかっている。

 天井はドーム状のステンドグラスになっていて、側面にある窓は効率よく光を取り込めるように計算されて切り出されているように見えた。

 部屋の中央には読み書きができそうな机と椅子がいくつか点在しており、ペンやノートも備え付けられている。


(よくある例えで言えば、東京ドーム0.5個分くらいかしら)


 旧王国の蔵書と魔族の蔵書が合わさっているにしても、かなりの量だ。ざっと見た感じでは本だけでなく資料や図録のようなものも並んでいる。

 本の数だけ知識と情報がある、と思うと心が躍る。どの本も地球には無いものだろう。


(私の知らない世界がこんなにあるなんて素敵だわ。死ぬまでに読み切れるかしら?)


 私が唯一執着するもの。それは知識欲だ。

 未知なる知識、未知なる世界を知ることが、私の生きる意味と言っても過言ではない。


 当然、地球とは異なる本ばかりだろう。だから全ての本を読む決意をする。まあ、私の人生は長そうだし、1日50冊くらい読めば無理なく読み切れると思う。


「とりあえず、分かりやすくここから攻めていきましょう」


 私以外に誰も居ないけれどそう宣言して、入り口に一番近い書架の最下段からごっそり10冊を抜き取った。

 それを近くの机に運び、同じように5回繰り返して本日の50冊を積み上げる。


「ふふふっ、インクのいい匂いがするわ。どんな本なのか楽しみね」


 そう微笑んで最初の1ページをめくる。1分もかからずに、私は本の世界へ引き込まれていった。

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