第72話
その夜、約束通りデル様は時間を取ってくれた。
湯あみを済ませて彼の私室に向かうと、すでに彼は椅子でくつろいでいた。室内にいた侍従たちは、手早く珈琲とカモミールティーを淹れて退室する。
ちなみに私の部屋とデル様の私室は隣同士になっていて、なぜか内扉で直接部屋の行き来ができるようになっている。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
言いながら、私はデル様に
「当然だ。大切な婚約者のために時間をとらない奴がどこにいる?」
渡した煎じ液をあおりつつ、ちょっと照れくさそうに笑うデル様。
「ふふっ。デル様のお優しいところが好きですよ」
「……セーナは可愛すぎて困る。ほら、こっちへ来なさい」
両想いになってからというものの、私たちはこんな感じだ。
人目がある場所ではもちろん自重しているが、2人きりになるとお互い素を出して接している。
――まさか自分がこんなふうになるとは思わなかった。最初はやはり恥じらいがあったのだけれど、デル様はそんなのお構いなしで赤面する言葉を放ってくるため、それに応えるうちに私も慣れていったというところだろうか。
いや、まだ完全に慣れたわけではない。なにしろ私の婚約者は見た目も中身も本当にかっこいいから、気を抜くとすぐ心臓がやられる。恋の力ってすごいなぁと日々実感している次第だ。
デル様の膝に乗せられ、密着した状態で話は進む。
「それで、話というのは?」
言いながら、彼は机の上の菓子皿に手を伸ばす。
私の腕の長さでは届かない位置にあるものも、彼の長い腕でなら楽々目的物を取ることが出来る。
甘やかされるままに、差し出されたクッキーにぱくりと食らいつく。
「……ええと、ロシナアムから聞いたのですが、私は不死身なんだそうですね? でもデル様は寿命があると。この先いつかデル様がお亡くなりになって、私だけがずっと生きるのは嫌だなぁって、急に心配になりまして」
「ほう……」
デル様は嬉しそうな、面白そうな顔をして私を優しく抱きしめる。
人外の美しさを持つお顔が近くにあるのは緊張するが、それに触れる喜びも今の私は知っている。
形のいい唇を人差し指でなぞりながら言葉を続ける。
「ロシナアムはデル様に相談してみては、と言いました。私、できることならデル様と一緒に人生を終えたいのです。…………痛っ! 痛いですデルさま!」
デル様の唇を楽しんでいた人差し指がかじられた。
ぺろり、と軽く舌でなめられたのち解放される。
「すなまい、とても嬉しくてセーナを食べてしまいたくなった。私は本当にいい妻を迎えられるようだ」
言葉通り、顔をくしゃっとさせてとても嬉しそうなデル様。約310歳の美丈夫である彼だけれど、こういう笑みを浮かべる時はいくらか幼く見えるのが不思議だ。彼はニコニコしながら私の頭を撫ではじめる。
「セーナには好きなだけ人生を楽しんでほしいと思っていたから、私と共に終わりを迎えてくれるだなんて思ってもみなかったのだ。もちろん方法はあるぞ、なんせ私は魔王だからな」
「そうなんですか! よかった……!」
デル様と一緒に人生を終える方法があるらしい。
抱え込まずに、相談してみてよかったなと思う。
「ああ。私が終わりを迎える時、一緒にセーナの魂も引っ張っていこう。そなたは私の魔力に染まっているから簡単だ」
「魔力のつながりって、そういうことにも使えるんですね。ありがとうございます。よろしくお願いします!」
(ふふっ、よかったわ。……その時が来るまでは思いっきり人生を楽しみましょう!)
デル様の胸板に頭を寄せてほっと安心する。うーん、やっぱり離れたくないよね。デル様の腕のなかって麻薬みたいに依存性があるわ……。
デル様の大きな身体に囲われていると、彼の体温で眠くなってくる。重要な話が解決した私は、少々うとうとしてきてしまった。
「それでセーナ。念には念を入れた方がいい」
怪しげな言葉に、ハッと眠気が冷める。
見上げると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるデル様と目が合った。
(……何のこと?)
今の話で、なにか念を入れる内容があっただろうか?
「私の魔力が薄まらないようにしないとな」
くすりと人のいい笑みを浮かべているものの、その瞳の奥にちらつく熱に気づいた。
「……っ!!」
彼の言葉の意味を正しく理解し、顔がボンッと熱くなる。
急に身の置き所がなくなってきて急いで机の菓子に手を伸ばすが、彼のたくましい腕に阻まれる。彼は麗しいお顔を傾け、低い美声で誘惑する。
「セーナ、私はもう眠い。もう寝よう?」
(い、いかん。甘えっこデル様だ!)
甘えっこデル様になるともうだめだ、ということを私は知っている。ちなみに態度は甘えっこなのだが、その中身は野獣であるからタチが悪い。
仕組みは分からないが彼は時折そうなってしまうのだ。「なんでですか、それ」と尋ねるのはさすがに野暮だということは私にも分かるのでしない。最強の魔王様が意外と甘えん坊だという事実は国家最高機密であろう。
不思議な現象だと思うが、やぶさかではない。私の前でしか見せないこの姿にときめいてしまうのも事実なのだ。
ふふっと一つ笑い、彼の艶やかな髪をなぞる。
「はい、デル様。いきましょうか」
彼は目を細めて幸せそうな顔をし、私を抱えて隣の寝室へ向かうのだった。
【後書き】
☆治打僕一方とは☆
原典:一本堂医事説約
適応病態:打撲や捻挫などによる患部の腫脹・疼痛
弁証:裏・実/瘀血
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