第70話
「嫌か? 私の妃になるのは。必ず大切にすると約束する」
デル様は真剣な眼差しでこちらを見つめている。
いつのまにかデル様は椅子を移動して私の横を陣取っており、腰に手が回されている。
給仕のひとは出て行っているから、デル様と2人きり。急にそのことが恥ずかしくなってきた。
「い、嫌というよりかはですね。私なんかがお妃様でいいのかなと戸惑ってます。 マナーとか全然分かりませんし……貴族でもありません。なんなら一回死んでますし、得体の知れない存在ですよ?」
嬉しいような、恥ずかしいような、戸惑いのような。
いろんな気持ちが全身を駆け巡り、返事に困ってしまった。
「セーナが不安になるのは理解できるが、心配は無用だ。とりあえず一から説明しよう」
「お願いします」
デル様の事は好きだけど――妃となると色々立場とか責任があると思う。それは、ただの庶民の私にでも想像がつく。
軽い気持ちで返事をしてはいけない気がする。まずは詳細を聞いてからだ。
デル様は優しい目で私を見ながら、形のよい口を開いた。
「まず、死者は冥界に落ちる。これはセーナも体験していることだな。この冥界というのは、ここ一帯の宇宙を担当している普遍的な世界だ。そなたの居た世界とこの世界も当然含まれている」
「はい……」
はいと答えたものの、理解はできていない。いち理系研究者としては、デル様の話は色々つっこんで掘り下げたい内容だった。
でも、ここは話の本筋でないことは分かる。とにかく、デル様いわく私の元居た世界とこの世界は、共通の冥界を持っているということだ。そして、デル様はたまたま冥界の管理人の1人だった。そういうことで、私は今ここに戻って来れている。
最低限の内容だけ咀嚼して、話の続きを聞くことにする。
「で、だ。冥界入りしたものは2つの進路を選べる。1つは転生だ。転生先は選べないが、なんらかに生まれ変わって新しい人生を歩むという道。もう1つは冥界で暮らす道。冥界は1つの街のようになっていて、みな思い思いの暮らしをしている」
「冥界にあった扉、その先に見えた陽炎のような街のことですか?」
4つあった各扉の向こうに見えた、水風船の中のような、陽炎のような街を思い出す。
「そうだ、それが冥界の街だ。扉が4つ見えただろう? その先の街も4つあって、それぞれに管理人がいる。死者の数と転生を選んで出ていく者――つまり冥界の出入りのバランスを考えると、4つに分けて統治するのがちょうどよいのだ」
デル様が頷く。そして、「この冥界の仕組みは他言無用だぞ。そなたには話すべきと考えたから伝えているが」と、小さく付け加えた。
「なるほど、わかりました。教えてくださりありがとうございます。……ええと、ということは、私が希望したブラストマイセスで薬屋というのは無理だということですね」
「理解が早いな、その通りだ。冥界から転生以外で外の世界に出すことは原則禁止だ。転生先をブラストマイセスに指定することもできない。そういうことを認めると世の中が混乱するからな。だから薬屋にこだわるのなら冥界でということになるが、冥界に病気とか死という現象は無いので、需要はないかもしれない」
(……やっぱりそうなのね)
さてどうしようかと、顎に手を当てて首を傾ける。
そんな私を見て、デル様はニヤリと笑った。
「ただ、セーナに限り第3の選択肢がある。それが私の妃ということになるわけだ」
「……と言いますと??」
「原則禁止、というのは例外もあるということだ。冥界の管理者、すなわち私が許可を出せば、外の世界に出すことができる。……ただ、権利を行使するには正当な理由が必要だ。私の妃という事情であれば、誰も文句は言わないだろう」
「な、なるほど。確かに筋が通った話です」
冥界の管理人というのは、とても力のあるポジションのようだ。
まあ、お嫁さんにするということは自分の目の届く範囲にいるということだし、管理人自身が責任を取れる範囲だから許されるという事情もあるのだろうけど。
「あとはマナー云々の話か。それも心配無用だ。旧王国時代は堅苦しいマナーやら舞踏会なんかがが存在したが、私の治世になってから全廃している。セーナは普段通り過ごしてくれればいい。国民の反応であるが、そもそも国王が魔王であるから、妃が死者であったところで今更であろう」
くくく、とデル様は可笑しそうに笑った。
「セーナが不在の間に、疫病対策を通して魔族と人間の溝はほとんど埋まったと言える。魔族は疫病に罹らないので人間の看病をしていたのだが、それが信頼を得たようでな。……この点は疫病に唯一感謝しているところだ。10年前まで魔族は人間に化けて正体を隠していたが、今では魔族として堂々と名乗って暮らせるようになっている。まあ、見た目だけは大きさ的な問題もあって、今も人間体を続けているが」
「それは素晴らしい変化ですね! デル様を始めとした魔族のみなさんの良さが認められて、私も嬉しいです」
ゾフィーの東部病院を思い出す。
ドクターフラバスを始めとする魔族の医療従事者は、かつて自分たちを脅かした人間達のために必死に働いていた。心が広く、優しい種族なのだと感じた。彼らが本来の名を名乗り、のびのび暮らせる世が早く来ますようにと願っていたけれど、まさかこんなに早く訪れるなんて。
「うむ。魔族の共存が受け入れられたりと、人間国民の肝っ玉は太くなったと言えるから、そなたも問題なく受け入れられるだろう。魔族のほうは言わずもがなだ。魔王である私の病を治したのだから、みなセーナに感謝しているぞ」
「…………そうですか……」
なんだか、着々と外堀を埋められているような気がしてきた。
デル様の話をまとめると、私が取れる選択肢は3つだ。
1、なんらかのものにランダムで転生する
2、冥界で医療に関係ない職業で生きていく
3、デル様の妃になりブラストマイセスで生きていく
……転生はしたくない。次の人生で実験や研究ができる保障はない。虫とか魚になってしまう可能性だってある。
冥界でのほほんと過ごすのも無しだ。残念ながら研究、実験以外に興味のあることが無いのだ。怠惰にだらだらと生き続けるくらいなら転生の方がマシだ。つまり――
(実質一択だわ。妃としての公務に慣れたら薬師を再開して国の役に立つこともできるかもしれないし――――)
返事をしようと口を開きかけたところで、デル様が一歩早く言葉を発した。
「あ、言い忘れていたが――」
デル様がわざとらしくニヤリと笑った。
「私の妃になったら研究と実験がやり放題だ。疫病の件をきっかけに、我が国は医療に力を入れる方針を打ち出している。セーナが不在の間に、細菌類の研究もずいぶん進んだぞ。より専門的に研究を行えるように、主要拠点として国立医療研究所を建設中だ。……セーナの公務として、そこの所長になってもらえたら助かるのだが? フラバスによれば、そなたは間違いなくブラストマイセスで一番の知識と技術を持っているそうだ」
「お妃様になりますっ! ならせてください!!」
立ち上がった勢いで、ガタガタッと音を立てて椅子が倒れた。
(ま、まずい……興奮しすぎた……)
顔に熱を感じながら、椅子を元に戻す。
「なんだ、随分とちゃっかりしているな?」
思った通りの反応が返ってきたのが可笑しいのだろう。喉の奥からくつくつと笑うデル様。
はめられたと思いながらも、デル様は本当に私のことをよく理解してくれているなあと胸が震える。
「……否定はできませんね。でもそれだけじゃないですよ。デル様と一緒にいたいと思っていますから、研究所のことがなくてもお妃にしてくださいとお返事するつもりでした」
ぷぅとむくれてデル様を睨みつける。
確かに私は普通の女性ではない。興味があることといえば実験研究、調合、虫のスケッチであり、おしゃれや色恋には疎遠な人生を送ってきた。ただ、デル様のことを好きになり、ブラストマイセスという第2の故郷を得た今、そこに貢献していきたいという思いは強く持っている。王妃となるからには彼と国を支え、仲睦まじく添い遂げる覚悟だ。
「怒るセーナは小動物みたいで可愛いな」
ちゃっかり者だ、なんてぶつくさ言いながらもデル様は上機嫌だ。ニコニコしながら私の頬をすらっとした指先でつついた。
「もう、デル様ってば……。……本当に本当に、私なんかで良いんですね? やっぱり止めたとかは無しですよ?」
今更また恥ずかしくなってもじもじしていると、がっちりと彼に抱き寄せられる。
デル様の胸に顔を寄せると、すごい速さで心臓の音が聞こえた。デル様も緊張しているんだろうか……? そう思うと、一気に彼との距離感が縮まった気がした。
「セーナがいいんだ。私の唯一の妃。必ずそなたを幸せにする」
切れ長の目を細め、蕩けた笑顔を向けてくれるデル様。
美声に耳が、頭が、かあっと熱くなる。
(デル様……ありがとう)
言葉に出したいけれど、なんだが喉がつかえて、唇が震えて声が出ない。
感極まるってこういうことなんだろうか?
――妃という立場は、私なんかが想像できる以上に重いものに違いない。国民と王を支える太い柱であらねばならない。きっと苦労や困難も多い人生になるだろう。
でも、この人となら乗り越えていける気がする。優しくて強いデル様。つねに国民のことを一番に考えている素敵な魔王様。彼がブレたことなど一度も無かったと、私は知っている。王妃として一緒に国を守ると同時に、そんな彼のことも精一杯幸せにしたいと思う。やると決めたら絶対やり遂げる、それが昔も今も私の信条だ。
「セーナ、難しい顔をして何を考えているんだ?」
「ふふっ、どうやってデル様を幸せにしようか考えていたんです」
驚いて目を見張るデル様。
その深蒼の瞳にちりばめられたきらめきは、まるで宇宙に浮かぶ星々のよう。
――――どちらからともなく視線を合わせ、くすっと微笑み合う。
彼の大きくてたくましい体に身を任せながら、私は未来の旦那様にそっとキスをした。
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