第69話
――翌日。
節々の痛みと共に目が覚めた。
「う…ん……」
窓から暖かな日差しがさしこんでおり、既に部屋は過ごしやすい温度に整えられている。
肌に触れる、やわらかな毛布が気持ちいい。その感触を楽しみつつ、昨夜の出来事を思い出して顔が赤くなる。
ごろりと寝返りを打つと、彫刻のように美しい寝顔が目に入った。
デル様はまだ寝ているようだ。
切れ長の目は閉じられているが、かえって整った眉と鼻筋が強調されている。乱れた黒髪が、それだけで強烈な色気を放っている。
彼のつやつやした長髪を指先でいじりながら、ぼんやりと考える。
(私の今後について考えていかないとねぇ……)
デル様といると脳みそまでドロドロに溶かされてしまいそうだ。昨日でそれは嫌と言うほど実感した。
一緒に居られるのは嬉しいけど、甘やかされて廃人になりそうな危機感がある。私はお姫様でも何でもない、ただの薬剤師だ。できることなら今まで通り仕事をして生きていきたい。
帰ってきて早々にこういう思考になってしまう私は、可愛げがないというか、つくづく仕事人間なのだなあと苦い笑みがこぼれる。
うんしょ、と腰とお腹に力を入れて、起き上がる。デル様を起こさないように気を付けながら、ゆっくりとベッドを降りる。
(まずは状況の把握が必要ね)
私が居ない間にブラストマイセスでは10年が経過していたみたいだから、色々と状況は変わっているだろう。取り急ぎで疫病の件だろうか? 必要であればXXX-969をデル様に魔法合成してもらい、配布するということだ。
それが終わったら自分の今後についてだ。何らかの職に就いて自活しないといけない。死者らしく冥界で暮らすのか、ブラストマイセスに居てもいいのか、そのあたりも確認する必要がありそうだ。
ベットサイドのミニテーブルには、誰かが用意してくれたのだろうか、女物の着替え一式が置いてあった。
状況から見て、きっと私が着ていいものだろう。心の中で感謝しながら、私はそれに着替えた。
◇
ソファにもたれて今後についてあれこれ考えていると、ほどなくデル様も起床した。
「おはようございます、デル様」
「おはよう。……起きてそなたがいるというのは、本当に素晴らしいことだな」
私を見てニコニコと微笑むデル様は、本当に絵になる美しさだ。筋肉で引き締まった身体と相まって、すさまじい破壊力を持っている。
なんでデル様は私なんかがいいんだろうなあと思うけれど、昨夜うっかりそれを聞いたらひどい目に遭ったので、もう聞かないことにしている。
デル様の着替えが終わったところで、連れだって寝室を出る。
私室に移動すると、香ばしい匂いにじわっと唾液が湧いた。分かっていたかのように、テーブルに2人分の朝食が用意されていた。
「わぁ、美味しそうですね!」
皮がパツパツに張ったソーセージに目玉焼き。何種類もあるパンは焼き立ての香りを立てている。湯気を上げているのはスープで、ほのかにスパイスの香りがする。更にみずみずしい生野菜のサラダや、綺麗にカッティングされた果実まである。――とても2人では食べきれないような量が、大きめのテーブルを埋め尽くしていた。
「厨房が気合を入れたようだな……。さあ、さっそくいただこう。好きなものを好きなだけ食べるといい」
どうやら普段より豪華な朝食らしい。
私という客人がいるからだろうか。もてなして頂くほどの人物じゃないのに、少々申し訳ない気持ちになる。それでも、私の目はごちそうにくぎ付けだ。思えば昨日から何も食べていないので、お腹はぺこぺこなのだ。
「すみません、何から何まで……。お言葉に甘えて、ごちそうになります」
デル様が引いてくれた椅子に腰かけ、いただきますと朝食に手を付ける。
食事が終盤にさしかかったころ、早速さきほど考えていたことを切り出す。
給仕の人は珈琲を淹れて退室していったので、今は2人きりだ。
「……デル様、疫病はどうなりましたか?」
「そうだな、セーナが帰ったあとの話をしようか。……疫病は、結論から言うと、そなたが帰ってから1年ほどがピークだった。そののちに、月日をかけて徐々に収束していったな。毎年夏に流行る特徴があるものの、死亡率は2割前後に抑えられている。セーナが残した漢方薬のおかげが大きいが、フラバスを中心にして酒精消毒、手洗いうがいなどを周知したことも効果があるようだ」
「2割……! 流行り始めの頃は5割でしたから、だいたい半分くらいに抑え込めているんですね! それはすごいことですよ……! 多分私の漢方薬にそこまでの効果はないと思うんですよ。さすがドクターフラバスです。他にも何かしたんですか?」
細菌感染を防ぐためには、手洗いうがいといった衛生観念が大切だ。もちろんそのことはドクターフラバスに伝えていた。
しかし、その考え方を国中に行きわたらせて、何千万人といる国民に実行させるのは大変だったはずだ。彼の目の下のクマは今どうなっているのだろうと、すごく心配になった。
「ああ。患者が発生したら隔離病院に入ってもらい、家族も一定期間外出禁止とした。他者に菌を移すということを防ぐためだ。それに加えて、セーナの漢方薬などで時間を稼いでいる間、国として療養施設を建て、医療者の人員確保を行った。流行り始めの頃は場当たり的であった治療や施設が整えられたことにより、医療が行き届くようになったな。おそらくこれも、死亡率の低下に関係しているだろう」
「……素晴らしいですね」
思わず感嘆の息がこぼれる。
元々優秀なお人だとは思っていたが、それを再認識した形だ。治療薬がなくとも死亡率5割を2割まで引き下げ、致死的な病から夏の流行病にまで抑え込んだのだ。暮らしに馴染んだ病気と表現するのは変かもしれないけれど……日本で言えば、インフルエンザのような感覚にまでということだろう。
この様子なら、XXX-969があれば、疫病で亡くなる人はほとんどいなくなるだろう。
持ち帰った薬が役に立てそうで、ホッとする。
「デル様は一度現物を見れば魔法で作り出せるとおっしゃっていたので、疫病の特効薬を持ち帰りました。後でお渡ししますね」
バイアルに入れて持ってきた錠剤を思い出しながら、デル様に笑いかける。
「ありがとうセーナ。ブラストマイセスのためにそこまでしてくれたことに、国王として礼を言う。そなたが何か目的を持って元の世界に戻ったのは感じていたが、まさか我が国のためだったとは――」
あろうことかデル様は食事の手を止めて立ち上がり、私に向かって深くお辞儀をした。
見上げるような長身が折りたたまれて、私の目線より下にデル様の頭がある。
慌てて私も立ち上がり、彼の側に駆け寄った。
「いやいやいや、やめてくださいデル様! 頭を上げてください。本当に気にしないでください、私が勝手にやったことですので。薬師としてするべきことをしたまでですから!」
彼の肩をぐいと引っ張り、やめてほしいと必死に訴える。
深青の瞳がちらりとこちらを見たが、納得していない色が浮かんでいた。
「……そうは言っても、きちんと礼をさせてほしい。希望があれば遠慮なく言ってほしいのだが」
「いえいえ、お礼なんていらないです! そういうつもりでした訳ではないので。…………あ、でももし可能ならば」
「なんだ? 全力で叶えよう」
上体を起こし、私の目を真剣な眼差しで見るデル様。
その視線を受け止めながら、起きてから考えていたことを口にする。
「私、またどこかで薬屋として生きていきたいのですけど、許可をいただけませんか?」
「……どこか?」
「できれば馴染みのあるトロピカリですかね? あっ、でも10年経っていますから、村人が不審に思うようであれば他の街でも大丈夫です。というか、それ以前に私は死者ですから冥界に戻るんでしょうか? 冥界の仕組みとか自分の状況が掴み切れていないので、とんちんかんなこと言ってたらすみません……」
なんせ私は死んでいる。
初めてブラストマイセスに来た時は、たまたま異世界どうしをつなぐ「門」に歪があって、たまたま生死をさ迷っていた私の魂がそこを通過したという偶然だった。つまり転移してきたということだけど、今は元の世界で死んで、死者としてこの世界に戻ってきている。以前と同じように活動してよいのか、できるのか、謎な点が多い。
「……ふむ、それはちょうどわたしも考えていたところだ。いいかセーナ。そなたの今後はとっくに決まっている」
「えっ、そうなんですか?」
初耳だ。
目を丸くしてデル様を見つめると、彼はさも当然かのように言い放つ。
「もちろん、私の妃だ」
「……んっ!??」
(私がデル様の、つまり国王様、魔王様のお妃になる?)
言葉を失って呆然とする私の顔を、彼は面白そうに眺めていた。
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