第68話
すまし顔の侍女さんに連れられて、デル様の部屋に戻る。
「ああ、セーナ。さっぱりでき――」
デル様は机で書き物をしていたけれど、入室してきた私たちに気づいて顔を上げる。
私と目が合った瞬間、動きがピタリと止まり、絶句した。右手からペンがポロリと落ちる。
フリーズするデル様。
(そりゃあそうでしょうね。こんな恰好、見苦しいわ)
美女でないうえに、スタイルも特別いいわけではない。
私も何と言ったらいいのか分からなかったので、もじもじとワンピースの裾を必死に伸ばしていた。
この地獄の状況で、口を開いたのは侍女さんだった。
「こちらの手違いで、女性用の夜着がこちらしかございませんでした。大変申し訳ございません。すぐに発注をかけてまいります」
棒読みでそう言った彼女は一礼し、そそくさと退室した。
「…………」
取り残されてしまった。ああっ、恥ずかしい。
「……なるほど。無いなら仕方がないな。セーナ、暖炉のそばにきなさい。風邪をひいたら大変だ」
「はい、ありがとうございます……」
防寒機能なんて一切無視したこの服だ。たしかに油断したらすぐにでも風邪を引きそうである。
お言葉に甘えて暖炉の前にあるソファに腰かける。書き物をやめたデル様も立ち上がり、私の隣に座った。
(大きなソファなんだから、もっと広々と座ればいいのに)
デル様はなぜか私にぴったりとくっついていた。
そして、大きな掌を、膝に置かれたわたしの手に重ねた。
「セーナ、また会えて嬉しい。この10年は退屈で、とても長く感じた」
甘えるような美声に、頭がくらくらした。
真っ赤な顔になっている自覚はある。デル様の顔を見上げると、彼は目を細めて、切なそうな表情をしていた。
「わたしも、です……。あ、あの、私デルマティティディス様にお伝えしたいことがあって」
「なに?」
デル様の腕が脇腹に回される。透け透けワンピ1枚しか挟んでいないので、まるで直に触られているような感じだ。羞恥心に、いっそう顔が熱くなる。
「10年前、ですか。私はデルマティティディス様のお気持ちを知りながら、なにも応えることなく元の世界に戻りました。それは、疫病に効く薬を取に行くためだったのです。……でも、そういう大義名分のもと、私はあなたの気持ちを傷つけ、悲しい顔をさせました。それをずっとずっと、後悔しているんです」
今思い出しても胸が締め付けられる。門を起動したときのデル様の悲しそうな顔が脳裏に浮かぶ。
「本当に、すみませんでした。……今更なんだと思うかもしれませんが、どうしても伝えたくて。私はデルマティティディス様のことが好きなんです。あの時も、今も」
隣で息を飲む音が聞こえた。
「デルマティティディス様のお気持ちがもう私にないことは分かっております。当然です、あなたを傷つけましたし、10年も経っていますから。ですから、今後は必要であればまた良き友人としてお付き合いさせていただければ――――っ!?」
そこまで言葉を紡いだところで、急に肩をつかまれ、そのまま押し倒された。
上等なソファは大変ふかふかしており、勢いよく押し倒されてもどこか痛めることはなかった。
「でっ、デルマティティディス様?」
肩を掴んでいた両手は私の顔のすぐ横に移動しており、私はデル様に囲われた状態になっている。真上から垂れ下がる彼の髪が、私の頬をくすぐった。
驚いて見上げると、彼は明らかに不機嫌な表情をしていた。
「気持ちが、ないだと? ……そんなわけあるか。私が好きになるのは生涯セーナだけだと断言できる」
「え……」
「あの時、自分の気持ちを伝えたことを後悔している。結局悲しみを隠し切れず、そなたをずっと困らせていたと分かったから」
「困るだなんて、そんなことは……」
「……でも、あの時のことがあったからこうしてセーナが気持ちを伝えてくれた。ずるい男だな、私は。正直今、歓喜の気持ちを抑えられない」
不機嫌な顔が一転、びっくりするぐらい蕩けた表情になった。
彫刻のように整った顔で優しく笑いかけられ、心臓が悲鳴をあげる。
星空のような瞳は私の目をしっかりと捕えて離さない。美しい顔がこちらに近づいてきて、唇に1つキスが落とされた。
「あ、ふっ……」
頭がぼんやりしてきた。暖炉の熱にあてられたのか、それとも――
ゆったりと顔を離したデル様は、すごく色っぽい顔をしていた。自分が彼にそういう顔をさせていると思うと、恥ずかしくてたまらなかった。嬉しいけれど、こういうことに関しては全く経験がない。すべての刺激が強すぎる。
「……ねえ、セーナ。もう愛称では呼んでくれない?」
ねだるようなデル様。今日の彼はなんだか子どもみたいだ。記憶にあるクールな態度とは正反対なのに、私の心臓を的確に打ち抜いていく。
そんな彼にお願いされるなら、もちろん私の答えは一つで。
「で…デル様…っ」
10年ぶりの呼び方に、気恥ずかしくて少し声が小さくなってしまう。
「ふっ、セーナは本当に可愛いな。ああ、夢みたいだ」
デル様は目を細めてすごく幸せそうな表情を浮かべた。それを見て私も自然と笑みがこぼれる。いろいろと気恥ずかしいけれど、全く嫌ではない。むしろ、この甘い雰囲気に流されてしまいたいとすら思えてくるから不思議だ。
彼は私の耳にキスを落とし、美しい低音でそのままささやいた。
「10年ぶりに、一緒に寝たい」
――それがどういう意味なのかは、経験の乏しい私でも理解できた。
トロピカリにいた時代、いたずら半分で添い寝したこととは訳が違う。
恥ずかしい、照れる……そんな気持ちで頭が爆発しそうだったけれど、彼のことが好きで、彼もまた私のことを想い続けてくれた。その幸福感に2人で浸っていたかった。
彼の首に両手を回し、「私もです」と小さく頷いた。
すぐさま温かなもので塞がれる唇。
暖炉の薪が、パチンと爆ぜる音がした。
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